振り弁研究家みそっちの やめてよソウル
弁当の時間になると韓国の学生はいまでも弁当箱を振るのか
給食が普及した現在でも給食のメニューに振り弁があったりする
[振り弁研究家みそっち]振り弁が歴史に登場したのは比較的近年のことである。未曾有(みぞうゆう)の食糧難だった1970年代までの韓国ではいくつもの社会問題が顕在化していた、その中でも学生の教育問題とともに浮上したのが弁当の問題だったのである。
弁当持参が普通だった時代、公立学校では弁当の時間になっても食べ物を持参できない学生が多くいた時代である、その一方で社会高位層や新興財閥系の子弟らは比較的食糧事情がよく白米に数種類ものおかずを取り合わせた豪奢な弁当を持ってくるということが行われていた。
▶飲食店でも25~30%の雑穀を入れて提供することが義務付けられたりもした。(写真は1967年の新聞)
まさに格差社会の誕生である。
当時の朴正煕大統領は食糧難の解決のためにアメリカから小麦の有償支援を取りつけ粉食を奨励してみたりしながら食糧事情の改善に取り組んでいたという。
そのころ学校規模で”弁当検査”が行われたりもした。 このころの弁当は隙間なく敷き詰められた雑穀米に少量のおかずとキムチという取り合わせだった。
このころにはまだ”振り弁”という行為は誕生していなかった。
▲弁当を食べる前に白米に規定量の麦や雑穀が入っているかどうかをチェックするのが弁当検査である。(1960年頃のようす)
そんな時代にひとつの解決方法として班ごとの弁当をひとつの容器にあけてそれを混ぜて食べれば”不公平が無くなる”という些か乱暴な方法が主張されることになった。
これが後に伝えられる”班食(バンチョク)”という汎社会運動である。
学級班ごとに洗面器大の容器に各自の弁当を入れそれをよく混ぜてそれを分け合って食べるという文化の誕生だった。まさに弁当を混ぜて食べることを強制した時代だったのである。
▲班食の実際のようす、(ヤンブンビビンバとも呼ばれる)
▲韓国では振り弁を”思い出の弁当”という名で提供している食堂が複数ある。
弁当の格差を無くすための班食も弁当検査も、いつしか本来の目的をはなれて自己犠牲的に弁当を混ぜ合わせるという工夫が生まれた。これが振り弁の始まりである。
焼きビビンバまでこの時代に発明されていた
当時であれば弁当の保温に石炭ストーブが使われていたことが容易に想像することができるだろう。
ストーブのまわりのイイ位置に席をとるクラスの有力者たちが弁当の保温としてストーブの上に直接弁当箱を置いて保温した結果生まれたのは現在の石焼ビビンバのようなものだったと考えられる。まったく新しい食べ方の誕生だ。
▲振り弁は食糧難の時代の後にやってきた格差社会を
なくすための汎国民的運動だった。
韓国のことわざに”十匙一飯”というのがある、これを文字通りに受け取れば周りのひとからひと匙ずつ分けて貰い一食にするという助け合い精神を表したものだと思われがちだが、このことわざの起源はなんと1972年であるという。
当時、既に漢字教育の廃止が進められ義務教育期間には漢字教育が行われなくなっていた時代である、そんな中で”十匙一飯”という四文字が社会に初登場したのだ。
これは当時の子供たちを含む韓国中で口々に伝えられた当時の合言葉であったという。しかし1970年代ともなれば解放から25年でありハングル専用化という社会現象のなかで新鮮な出来事であったかもしれない。
※十匙一飯という語彙は古くは修行僧の托鉢のようなものだったともいわれる、しかし朝鮮の500年のあいだは仏教が排斥されてきたので本来の意味を失い新しい意味を持って1972年に再誕生したものと考えられる
▲振り弁には弁当箱の中に空間が必要なのだ
▲ハサミで弁当の中身を切ってから振るようす
▲良く振られた弁当を2人で分け合って食べる様子 ふたりである
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学校給食に振り弁の日が登場
韓国では何でも振るようにできている
[ニュースミーナ]東平小学校(校長丁一権)は、2013年10月8日(火)学校給食の時間に思い出のお弁当というコンセプトで、イベントの給食を行った。 この日は、児童がすべて空のお弁当箱を用意して、給食で提供されたご飯とおかずをステンレス食盆の代わりに用意したお弁当箱に入れて振って食べる給食で、児童達は大変な興味や反応を見せた。
東平小学校は10月8日に、学年ごとに現場体験学習が計画されていたが、台風を伴った雨により、すべての現場学習がキャンセルされ、通常の授業が実施された。
学生は、ややもすると失望することもあったが、当日の学校給食で思い出のお弁当というコンセプトで振って食べるお弁当の供給のイベントに熱狂的な反応を見せた。
前日、保護者たちへの学級通信で思い出のお弁当給食の趣旨を説明し、空の弁当をあらかじめ用意して来るように案内した結果、90%以上の学生は、個々のお弁当箱を準備し、当日の給食に提供された米飯、いわしの煮物、目玉焼き、ソーセージ、キムチ炒め、調味海苔をお弁当に入れてわさわさと混ぜて食べるお弁当を経験した。
今回の行事進行後、児童は様々な反応を見せた本物の量はお弁当を用意して来て給食を振って食べるのエキサイティングな経験に月に一回ずつできるようにお弁当の給食を要求している生徒もいた。 さらに、お弁当の給食は、すべての食品をお弁当に入れて振って食べたので、いつもより給食量が多かった結果として、残飯も顕著に減らす効果もあった。
東平小学校は「お弁当は4・50世代の思い出であり、最近の子供たちはお弁当を体験する機会が珍しく大人には思い出を、学生たちには、過去の困難な時代を思わせるよう試みる機会を提供し、新たな供給を経験するようにする行事で非常に良い反応を得ることができた」と述べた
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教育の現場で振り弁教育
食糧事情は好転したのに今さらセマウル運動の再現
揺り弁当体験は大変効果的な栄養教育の一環
[メディアミーナ]大平小学校(校長ギムジョンイ)は、2013年8月28日のランチタイムに「思い出の揺れ弁当」を体験してみる時間を持った。 給食に提供された米、アンチョビの炒め物、かまぼこの炒め物、ハム焼き、目玉焼き、のりの和え物、キムチを、持って来たお弁当箱に入れて振って食べて、いつもよりもはるかに活発な昼食の時間を過ごした。
▲別の学校だが教室のロッカーが色違いの同じものであることがよくわかる
昔は給食がなかったので、ほとんど登校したときに、お弁当を包んで通った。 お弁当をカバンに入れて学校に行くとお弁当が揺れてご飯とおかずが混ざっていたりしていた大人たちの思い出を考えながら「思い出の揺れ弁当」を体験してみた。
児童はお弁当に、さまざまなおかずとご飯を入れて振って見て面白い経験を通して、普段よく食べなかったおかずまで均一においしく食べた。 加えて、体験を通して食べたおかずなので、今後も抵抗なくよく食べることができる栄養的な効果があると期待される。 揺れるお弁当体験は大変効果的な栄養教育の一環であることを知ることができた。
(翻訳:みそっち)
▲持参した容器を振る様子、イチゴも入れて振っている子が必ずいる
振り弁といえば1970年代の韓国でうまれた由緒ある文化であると言えます、この振り弁という習慣が広まった背景には当時の韓国の状況を知ることが必要ですが興味がないのでここでは省略します。
文中に出てくる4050世代の思い出とあるように現在の4050代の韓国人は学生時代に振り弁をしていたという習慣があったということです、その後になり海外からの食糧援助などでわずかながらも食糧事情が改善されたこともあって振り弁は無くなったかに見えましたが、最近になってリバイバルしてきたとされています。
現在ソウルには振り弁を提供する食堂が20件以上あり、その数は今後も増えていく可能性が高いとされています。
こうした異食文化を世界に広めることこそが韓国を知る手掛かりになればと思います。
振り弁研究家 みそっち