孤独のグルメ Season7 #9 #10 韓国出張編
ちょっ ゴローちゃん それやっちゃダメ
[ソウルミーナ]アンニョンですょ~♬ こんばんわぁ~、今日の話題は、ソウルでもちょっと人気で話題のゴローちゃん韓国出張編ですね。
さて、今回は韓国にやってきた怪しげな稼業をいとなむゴローちゃんですが、今回もエスプリの利いたカメラクルーによる韓国のあやしげな風景があちこちに写し出されていますよ。
まずは番宣 第09話 ”韓国チョンジュ市の納豆チゲとセルフビビンパ” は16日まで
Tverで見ることができます https://tver.jp/episode/44965748
まずは冒頭の相手先訪問のシーンですね。セグウェイのようなのが見えます
ニホンではNinebot mini Pro、韓国ではMiniRobot って言いますよ
もちろんセグウェイじゃありません 中国のメーカーなんだけどね
電卓がありますね、シャープとカシオがシェアを2分しています。どちらもひらがなや漢字で社名を表示しないので韓国の企業だと思っている人しかいません
韓国に電卓メーカーはありません、そいうことです
行った店のようす 住所:전북 전주시 완산구 평화18길 19
全州ビビンバの納豆汁かな? 見てのお楽しみ
ビビンバだと知らずにご飯を食べようと
メニューのようす 略
食べ終わったところ
最後に出てきたおこげスープ(ホントだからね)
韓国の食卓
ビビンバはひとつの器で家族全員が食べていたころの名残りですよね。まずおとうさんがみんなの分を混ぜるのが食事のはじまりです。それからめいめいが一斉にスプーン(韓国語ではスッカラって言うよ)を伸ばして一様に食べたら、どんぶりに残ったコメつぶを残さずに満喫できるように最後にお湯をいれて回し飲みします。そういう文化は1970年代になっても韓国の農村部などでは当たり前でした。
すなわち、年長者が家族みんなの分を混ぜるという特権的行為を独占していたのです。
そういった文化も1988年のソウルオリンピックの頃を境にすがたを消してゆきました。
そんな文化生活を子供時代を経てきた韓国の高齢者(60代~)っていうのはソウルのアパート生活をするようになり、子供たちには回し食いが嫌われたこともあって自身で混ぜる特権を行使することもなく不平不満が溜まっています。
その一方で回し食いを嫌がる子供たち(30~40代)が社会の中心になってくるとその両者のあいだで葛藤が生まれたりもします。
ちなみに、無償給食に並び、バッカス公園で男女交際しているのが韓国の ”回し食い世代” で、かれらには弁当を振る文化はありません。お弁当を振る文化はもう少し若い1970年頃の食糧不足と貧富の格差の時代に学生だったひとたちからはじまった一過性の現象です。
たとえば韓国通で知られる元日経の鈴置さんのソウル特派員時代は1987年-1992年ですから ”回し食い” や ”無償給食” などは見たことが無いでしょう。
嫌韓論でおなじみの室谷さんはさらに5歳年長(ホントカ)ですが、ソウル特派員生活ではインスタントラーメン生活は見ていても、”振り弁” なんていうのは現地では見たことも無いとおもいます。(混ぜる文化は直接体験しても振り弁の弁当持参はあり得ない)。
筑波大学の古田センセのソウル留学は1980年のことですが、まわりに振り弁を強要された経験を持つ韓国人の学生は大勢いたことでしょう。でもそれはかれらにとって消去すべき歴史だったはずで、弁当の中身の格差を無くすために強制された振り弁をわざわざ、韓国の最高学府であるソウル大学でやりだす大学生はいなかったハズです。 そういうわけで韓国通といわれるセンセ方も振り弁や回し飲みのことはほとんどご存じないのです えへへ
その後、小・中・高と学校給食(ほとんど無料)の普及もあって、弁当持参が事実上無くなってみると、”振り弁” と言う文化もすっかり消えて無くなり、近年の”思い出弁当” ブーム(ソンナノアルノカ)などは、わざわざリバイバルされた文化であると言えるかもしれません。
※最後に出てきたおこげスープのこびりついたコメつぶですが、店名の由来となった土鍋のようすをみると、きれいに洗っているとはとても思えないですね 🎶 🎶
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ソウル韓国風焼肉 激闘編! まもなく放映予定
うわぁ
そのステンレスの茶碗、それ手に持って食べちゃダメですよ。
ここまでで疲れちゃったので今日はおしまぃ