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Channel: minaQのつぶやき 네토미나
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みそっちの見てきてソウル⑤

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ソウル新旧写真を見比べてみよう


景福宮と光化門

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▲光化門の向こう側は19世紀中ごろまで焼野原のまま放置されていた景福宮の跡地で、もちろん光化門も石組みだけが残る焼け跡しか残っていなかった。

1867年頃に興宣大院君によって再建された景福宮は、焼失から270年ぶりに光化門が作られて、内部にも再建された比較的新しい勤政門や勤政殿などが点在していたが、結局完成することは無く財政が疲弊しただけの結果に終わった。
ニホン総督府があった頃は1867年式の光化門は宮殿敷地の東側(つきあたりを右側)に移築されていた。 ※1950年の戦争で、右側に移築されていた光化門は焼失

1968年になると朴正煕によって光化門は現在地より少し西側にコンクリート製で再建されたが、総督府の撤去とともに2010年に光化門も1867年式のあった位置に新たにつくられた。 扁額が割れたり文字色の記録が残っていないなど随所に韓国様式のある近代建築物だ。
※王宮守門将衛兵交代式は1996年に市職員の空想から創作された客寄せイベントとして知られている。

何度でも読み返しておきたい過去カキコ

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▲正面に光化門が見える現在の世宗大通りは朝鮮時代には六曹通りと呼ばれたという記録が残っている。右議政と左議政などの役所が並んでいたらしい。

行列ができている建物は朝鮮時代の領議政省か何かで、男女の姿も見えるが何だかわからない。この辺はニホン統治時代には警察や学校が建ち並ぶように整備された。
2010年の発掘では道路の地層から寄生虫卵がくまなく発見されたのがこの場所であり堆積物のほとんどが人糞や生活ごみだったと推定されている 
※この写真に写っている朝鮮時代の建物にはトイレが設置されていた形跡が発見されていない


関連過去カキコ



明洞の新世界百貨店

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明洞ロータリー(韓国銀行前交差点)に今もある新世界百貨店は朝鮮戦争後の一時期、駐留米軍のためのPXとして接収されていた、向こうに見える山はソウルタワーのある南山(240m)


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▲新世界百貨店は1階増しに増築されている。突き当りにみえる南山にはYTNソウルタワーが見えている。
右側にあるのは1978年に設置された噴水台。現在、水の出ていない噴水台広場にはソウル版 ”トレビの泉” 化計画が真剣に議論されていた。予定収益や増加するつもりの観光客数などがあまりにも韓国っぽい。

ついでに読み直しておきたい過去カキコ



京城府庁舎はソウル図書館

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▲現在ソウル図書館として使われている歴史ある建物は、ニホン統治時代の1926年に京城府庁舎として建築された。終戦後はソウル市庁舎としてずっと使われ、多くの政変や汚職、クーデターなどの背景に写真が多く撮られています。

1950年11月撮影とされるこの写真には不揃いの作業着を着て文字の入ったたすきをかけている人たちが見えます。市庁入口には太極旗が見えることから、2度目のソウル陥落前のひと時を写したようすです。

徴用された韓国軍兵士>>っと説明されがちな写真ですが、私服でもなく作業着姿であることや武器や装備などを持っていないことなどから兵隊である可能性はゼロで、荷役のために募集された民間人だと思われます。
※韓国人の本格的動員となる国民防衛軍は翌1951年のことで大量の餓死者を出して失敗していますから、この写真は米軍物資荷役隊の行進でしょう

韓国軍は1950年7月19日に作戦命令権を国連軍に譲与したあと指揮命令系統が実質的に解体されてしまいます。やがて1952年には停戦交渉が始まり国連軍が撤収しはじめると俄かに兵隊を募集して連合国の余剰武器を手にして38度線付近で小競り合いを始めました。そのために停戦の調印が遅れたことは韓国軍の責任だと見ることができます。

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現在はソウル図書館として利用されています。後ろに見えるのは現ソウル市庁舎で、展示型の外観のために内部は十分な広さがあるとは言えず、市の機能の一部は近隣のビルに間借りしている状況が続いています。

何かのついでに読み直しておきたい過去カキコ





新旧写真シリーズなんですけど、古い写真が前のPCと一緒にご臨終しちゃったのでお陀仏なのです。 まぁぼちぼちとやっていけたらイイかな  むふっ




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鬼ころって3回言ってみて




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