景福宮勤政殿の柱が曲がったまま放置中
ユウンヒェ議員の国政監査資料…"大黒柱などでも亀裂発生"
景福宮の勤政殿の柱16.5センチ曲がったにもかかわらず、17ヵ月間、無対応
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景福宮の勤政殿:150年ほど前に作られた韓国に現存する最大の木造建築物。加藤清正が見た時には朝鮮民によって焼かれて廃墟だった、その後は丙子胡乱(1637年)の無条件降伏で宮殿や城郭の修繕や再建が禁止されたため放置されていた。 1868年 興宣大院君の景福宮再建工事の際に再び建てられた
15日、国会教育文化体育観光委員会所属のあっちの民主党ユウンヒェ議員によると、国立文化財研究所が、昨年2月、勤政殿で施行した安全点検の結果、殿閣を支える柱が曲がったり亀裂が発生し上部の構造物が内側に変形される現象が発見された。
これと関連して、国立文化財研究所は昨年5月文化財庁に持続的なモニタリングと原因分析が必要だという意見を伝えたが、文化財庁は、保守、対策作りはもちろん、モニタリングもなにも実施していないことが分かった。
文化財庁の関係者は "勤政殿に大きな構造的欠陥があるのはない"とし"直ちにモニタリングを施行するようにする" と話した。
ユ議員は"文化財庁が1年半近くこの事実を知りながら放置したのは問題"だとし、
"一日も早く対策を樹立しなければならない"と主張した。
(翻訳/みそっち)
あのほら、景福宮っていうのは朝鮮総督府のあったところですよね、中国の清が弱まってきたときに勤政殿などの宮殿の修復を興宣大院君(高宗の父?)がはじめたのです。
お金が無かった朝鮮王朝の末期でしたが、草ぼうぼうだったところに建てたんですね。途中で火が出て材料が焼失したり、資材の横領とか人夫への未払いとか山奥からの大木移動で死人が出たりしてとんでもない散財だったようです。
まぁこれで使ったお金を貸したロシアとか中国、ニホンが当時の朝鮮に出入りしてお金のかわりに利権を受け取っていましたから 自業自得なんでしょ。
勤政殿がそこにあったのは加藤清正が進軍する前までです。逃げ足がはやくて、逃げ出した後の勤政殿はすでに朝鮮民によって焼かれちゃっていました、そんなところで朝鮮王宣祖が李舜臣将軍に刀を渡すシーンとか李舜臣将軍が光化門から出てきて通りを戦場へ向かって行進するシーンが韓国ドラマの見所になっていますが、あれは四十七士が山鹿流陣太鼓と永代橋や泉岳寺っていうの暮れになると見たがるニホン人と同じように、韓国人のこころを熱くさせるそうです。
朝鮮でも1867年ころまでは、輸入技術無しでこれくらいのものを作ることが出来たんですね (笑)