米国務省の韓国の扱いが雑ニダ
公式呼称はサウス・コリア? 公式名称にも不満が 塗って治るクスリがあったら
[国際ミーナ]米国務省建物に掲揚された韓国の太極旗の順番が南アフリカ共和国(South Africa)の次に位置して国号も公式名称であるROK(Republic of Korea)ではなく、'South Korea'を基準にしたことが分かった。
国務省トルーマンビル1階ロビーに掲揚された米国と国交を結ぶ国のアルファベット順で韓国は、ソマリア(Somalia)と'南アフリカ共和国(South Africa)の間に位置している。 掲揚台の下の国家名はコリアと表記しているがSouthを併記して順番を'K'の代わりに'S'に合わせ、太極旗の高さも周辺の国旗より低いことが分かった。 写真は太極旗(テグクキ)など米国の国交を結ぶ国の国旗が掲げられた国務省の1階のロビー
S.Koreaと表記、太極旗もサウスアフリカの国旗の次に位置、
米国務省建物に掲揚された韓国の太極旗手順が南アフリカ共和国(South Africa)の次に位置して国号も公式名称であるROK(Republic of Korea)ではなく、'South Korea'を基準にしたことが分かった。
米国ニューヨークの韓国メディアの'グローバルのウェブマガジン'ニュースロ(www.mewsroh.com)は9日、米国務省トルーマンビル1階ロビーに掲揚された米国と国交を結ぶ国のアルファベット順で韓国がソマリア(Somalia)と'南アフリカ共和国(South Africa)の次に位置していると報道した。 韓国にいた国は、'南スーダン(South Sudan)'だった。これと共に太極旗掲揚台の下は'韓国(Korea、South)'と表記した。 コリアと表記しておいても順序は'K'代わりに'S'者に合わせたものだ。 また、太極旗の高さが周辺の国旗より低く、不均衡な姿だった。
ニュースロのウィリアム・ドア記者は"米国のマスコミなどで韓国を北朝鮮と区別するためにサウス・コリアと表記することが一般的だが、米国政府が正式名称の代わりにサウス・コリアに分類し、その順序によって国旗を配列することは大変な非礼と言わざるを得ない"と指摘した。
彼は"トルーマンビルに米国の国交を結ぶ国の国旗を掲揚したために北朝鮮国旗と誤認する理由もない。 韓国を十分に待遇するなら、コリアで表記して括弧の中にROKを入れれば良い。 たとえ表記を直さなくても掲揚手順をKに合わせなければならないだろう"と付け加えた。
問題は、このような太極旗の掲揚と韓国表記慣行がかなり前から続いてきたという事実だ。 彼は"ワシントンの韓国大使館が一体何をしているのか分からない。 多くの外交官が国務省庁舎を訪問したが、誰一人関心を持って掲揚された太極旗の位置を確認しなかったという証拠がないことができない"と批判した。
これと共に、米国務省の地図が韓国と日本、中国などを紹介し、差別的で誤解しかねない情報を紹介するのも、早急に是正されなければならないだろうと指摘されている。
米国務省公式ウェブサイト(www.state.gov)に紹介された韓国(www.state.gov/p/eap/ci/ks/)地図は'日本海(Sea of Japan)'表記とともに、韓半島の南だけが露出されたが、日本地図(www.state.gov/p/eap/ci/ja/)は、日本はもとより、韓半島と中国の東北部とロシアの一部まで紹介しているためだ。 特に、独島は'日本海'の下'リアンクル・ロックス(暗礁)'と表記して事実上日本領土のように見えるようにする効果をあげている。
ウィリアム・ドア記者は"米国務省の日本地図は、過去、軍国主義時代支配した満洲、韓半島を含めて沿海州、南シナ海、太平洋にまで影響を及ぼす大国のイメージを伝えている。 島国ではなく、大陸の一部を支配する東アジアの強国とみられる"と話した。
彼は"日本の植民地政策で、一世紀前英語の国号'Corea'が'Korea'になって、今は米国務省から韓半島の半分である'South Korea'と呼ばれる身になった。 大韓民国の外交部はどうしてこれを黙認するのかとても気になる"と皮肉った。
(翻訳:みそっち)
ああそうですか
というわけで(どんなわけだ)ちょっと話題を脱線させてみましょう。
高麗国旗とありますが、これはKorea国旗を漢字にしたものですから、そういう風に書いてあるのだと考えればそれでいいわけです。高麗という国の国旗ではなくKoreaの国旗という意味でしょう。 属国なんだけどね
景福宮ってさニホン人がはじめて見たときはどんなだったの?
現実を否定して理解しようとせずに、脳内で考える理屈を何度も大きな声で繰り返すという朝鮮人特有の考え方は、朱子学や儒教といった捉え方も合っていますが、1636年の丙子胡乱で敗戦国となってから260年余りのあいだずぅ~~っと”敗戦国”だったという歴史が朝鮮人のねじ曲がった考え方に弾みをつけたものなのです。
その260年間は、城壁を直すとか宮殿を直すといった工事をずぅ~~っと禁止されてきたのですね。ニホンが総督府を建てた景福宮跡地もずぅ~~っと礎石だけが残っている状態だったわけですが、大院君のころ(1865~)に再建しようとしたことで国の財政が完全に破綻したきっかけとなったことはよく知られています。
そのときに光化門も再建されたわけですが、その後大院君の再建した景福宮は1876年に火災にあい再び1888年に工事に取り掛かりましたが朝鮮末期の安普請のためにほかの工事は完成しなかったのです。
※近年の光化門を含む景福宮の再現事業では1865年当時の様子を再現していることになっています
それでも ”豪華絢爛な景福宮”を日帝が壊して総督府を建てたと言いはるわけですが、再建された豪華絢爛な景福宮というのは最近の韓国人の考えた妄想にすぎません。 写真も無いんだけどね。
ちょうど現在の光化門広場のあたりからあっちを見てみたところ
当時無かったものが想像と口承でつぎつぎと建てられてみたりしている
今世紀初頭の景福宮の光化門を内側から見たところ、草ぼうぼうでしょ、つまり総督府の建てられた場所はこのような空き地だったんですね。
同じようなところからみた光化門の内側のようす、総督府のあったところは広場のままだったりする
興礼門というのがそのさきにあります。
この先はまたいつかご紹介しましょう ♪