ハイトビール、エクストラコールド新発売
ハイト眞露、1933年創業と書いた新製品を発表、それってアウトじゃね?
[ホッピーミーナ]ハイト眞露がこれまでの原料の割合と工法、包装などを変えた「オールニューハイト(All new Hite)」を25日から発表した。
麦芽、ホップなどの原料の割合を調節してまろやかな味を強化しており、マイナス1.5度で熟成して濾過した従来の方式で温度を1度ほど下げた「エクストラコールド」工法を適用してすっきりとした味わいを生かしたのが、ハイト眞露側の説明である。
ラベルも変えて波状の青い色斜線を加え、アルコール度数の4.3%と創立年度1933年を大きく濃い青色で表記した。工場出荷価格は既存のニューハイトと同じである。
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韓国にビールが入ってきたのは1876年の開港と一緒にニホンによるものだ。 サッポロビールを始めとして1900年に前後して、'エビス'と'キリンビール'が入ってきた。
1910年には、これらのビール会社がソウルに支社概念の出張所を開設して本格的な販売に入った。 国内消費量の増加に伴ってこれらの日本のビール会社が国内にビール会社を設立した、1933年には'大日本ビール(大日本麥酒株)'が'朝鮮ビール'を設立し、同年12月'キリンビール'が'ショーワキリン(昭和麒麟)ビール'を立てる。
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この時からビール業界の王座をめぐり起こっている全面戦はもう80年が過ぎた。 これら両ビール会社は解放以後、米軍政によって敵産管理体制を経て、1951年に民間に払い下げられた(戦時中っ)。
1952年に'朝鮮ビール'(現ハイト真露)と'東洋ビール'(現OBビール)として再誕生する。朝鮮ビールの主力商品はクラウンビールだったし
※敵産管理体制①自国または占領地内にある敵国人の財産 ②<歴史> 1945年8月以前まで朝鮮半島にあった日本人所有の財産
もうひとつあった惜しいビール
韓独(ハンドク)ビールは、1973年本格ドイツ風という触れ込みで全量を輸出する外貨獲得のために設立されたが、輸出計画が失敗に終わると6ヶ月ほどで生産を中止した、その後1975年から国内向けに市販を開始して”336年の伝統”と銘打って国内シェア15%にも達したが、代表者が不法な外貨流出で拘束されるなどの理由で、1976年に倒産し1977年に朝鮮ビール(クラウンビール)に吸収合併される。
▲光復後、本格的に、熾烈な角逐戦が続く中、1975年には、ハンドクビールが本格ドイツ式ビールを標榜した'アイゼンベックビール'が発売される。
ハンドクビールは莫大な広告費を投入し、両社体制のビール市場に隙間を広げ、15%の市場シェアを占める。 当時、市場のシェアを見ると、OBビール51.7%、クラウンビール32.9%、アイゼンベックビール15.4%だった。 アイゼンベックビールは経営難で消えると、この時期OBビールが確実な登場をすることになる。 市場占有率も57%に跳ね上がって確実な1位の座に確定する。 以降、OBビールは1990年代半ばまで20年間、この席を守る。
相手企業のスキャンダルだけが逆転のポイント?
市場に新たな機運が感知され始めたのは1993年。朝鮮ビールがHite(ハイト)ビールを発売してからだ。 クラウンを捨ててハイトビール発売した朝鮮ビールは会社のすべてをかけたことに他ならないことだった。
▲クラウンビールは1952年から1993年まで販売されたブランド
1992年に70%以上迫っていたOBビールの占有率が急激に墜落した。 ついに1996年ビール市場に驚くべきことが起きた。 万年2位だった朝鮮ビールがハイトビール一つで1位の座を占めるようになって韓国ビール会社に一大事件が生じたのだ。
成功の背景には1991年3月14日、慶尚北道の亀尾(クミ)工業団地の斗山(トゥサン)電子がフェノールの原液30万トンを流出させる事件があった。 当時、世界的に環境に対する社会的な関心が高まっていた時期と斗山(トゥサン)グループの所有だったOBビールはイメージに深刻な打撃を受けるしかなかった。
このような環境的要因の上に、ハイトビールの徹底したマーケティング戦略市場に的中した。 '地下150m 100%天然岩盤水で作った純粋なビール'広告コンセプトのハイトは津波のように市場を席巻した。 ビール瓶パッケージは、韓国で初めて瓶の裏面に付着する'裏ラベル'(Back Label)と瓶の首に付着する'ボトルネック・ラベル'(Neck Label)を装着して差別化を置いた。
新しい工法の新製品にハイトにフェノール事件の反射利益と経営革新の3拍子が完璧にかみ合った結果だった。 以降、ハイトは20年間、大成功し、王者の座を守った。 2003年から2012年まで10年間市場占有率を見てみると、9:1にハイトが圧勝した。
◇2012年20年ぶりにOBビール1位奪還。。。永遠な1等ない
しかし、2011年から再び戦況は傾いて2012年OBビールは市場占有率57%と44.3%のハイトを躱して約16年ぶりに1位奪還に成功、'永遠の1等などない'という言葉を実感させた。 これは、現ハイト真露が20年余りの間の長期政権(?)によるブランド老後化を阻止できなかった上、2010年、満を持して発売していた新製品'ドライフィニッシュd'不振が主な原因だ。
ここにOBビールが2010年当時、ジャンインス、ハイト酒造代表を電撃的にスカウトしたものが市場に大きな影響力を与えたものと分析される。 ジャンインス現OBビール社長は1980年代からジンロで細い骨が太い営業通と主流を流通する総合酒類卸売会社から営業の鬼才と呼ばれ、信頼を受けている人物だ。
ハイトが焼酎会社、ジンロを買収し、ハイト真露になったので、戦争で言えば、敵将を味方武将として作って敵を打つ戦術が莫大な貢献をしたのだ。
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ビール市場占有率を見てみると、OBがジンロから買収したCASSビールの市場占有率46.7%に支えられてOBビールが逆転に成功したが、ブランドの争いは、まだハイトジンロとはゲームにならない。
OBビールは1980年OBビールの歴史を継承した'OBゴールデンラガー'を2011年3月に発売した。 市場占有率は3.4%にみすぼらしい。 今のハイト真露を作った歴史の産室'ハイトビール'占有率は33.7%で企業の正当性を継承したブランドの戦いではハイト真露の勝利といえる。
OBビールは1998年OBビールを所有していた斗山グループがベルギーイントブル(Interbrew Corporate-世界最大の醸造会社である'アンハイザーブッシュ・インベブ'の前身で1988年当時、ベルギー1、2位のビール会社であるアール東亜(Artois)とピドゥブェプ(Piedboeuf)が合併して設立し、2004年にブラジルの酒類会社アムベブ(AmBev)と合併し、酒類会社インベブ(InBev)を設立した-)と合弁後2001年構造調整でイントブルに主人が変わったのに続き、2009年7月コールバーグクラビス・ロバーツ(KKR)がもう一度最大株主が変更された。
KKRは、米国私募ファンド会社で、韓国からビール会社を引き続き経営する理由がない。 2014年OBビールは世界最大ビール会社アンハイザーブッシュインベブに5年ぶりに再買収された。
ロッテ七星飲料の”クラウド”は2年目になる新しいブランド、本格ドイツ式の醸造がどうにかしてるという評判がある。お値段はちょっと高くてコンビニなどでは見かけることがないが、ロッテマートなどのような大型店ではビールシェアの10%程度売れているとか Cloud(雲)の一文字がKから始まっているのが特徴。
そういえばニホンのタバコのハイライトhi-lite(造語)のラベルがhiteビールのブランドに使われたことは割と有名だったりする。
(翻訳:みそっち)
まあソウルではハイトとCASSが飲めるってことです。
そういえばセヲル号のころに盛んに流されていたCASSのCMですが、こんなのが放映中止にならなかったんですよね。今見てもヤバイ気がしませんか?
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