売上年平均2億ウォン、韓国のチキン屋というハナシ
誇らしい韓国の自営業創業経営システム、チキン店経営で億台の年商とか
全世界のマクドナルドより多い韓国のチキンショップ、実際は'空っぽの菓子'
[ソウルミーナ]フランチャイズチキン屋の一ヶ所が1年に平均2億ウォンの売上げをあげることが明らかになりました。
売上規模だけを見たら、してもいいと考えることができるだろうが、本社が持っていくお金に賃貸料、人件費などを差し引けば、中身のないものになる確率が高いとします。
全世界のマクドナルド売場より多い3万6千店
1年に7千軒が新たにドアを開いて40%は3年以内に廃業する、創業の夢と挫折が絶え間なく分かれるところ。 すぐにチキン屋です。
[キム・ナムジュン/フランチャイズチキン屋社長:現在は、売上やこのような部分が少し難しいです。 四方八方にチキン屋が入ったから……フランチャイズするつもりなら、事前調査をして売り上げやこの部分についてもっと調べてからしたら…。]
韓国の鶏肉市場規模は年間5兆ウォンを超えます。
ほとんどは大手フランチャイズ会社が掌握しています。
上位15のブランドを分析してみると、加盟店あたりの年間売上高が4億ウォンを超えるところがあれば、8千万ウォンに足りないところもあります。
平均で考えれば、フランチャイズチキン屋の一ヶ所が1年に2億ウォン程度を稼いでいます。
その程度なら大丈夫だろうと思っても本音をのぞき見れば、違います。
フランチャイズチキン屋のドアを開けるのに入る最初の加盟金だけでも平均1200万ウォン。 インテリア費用は少なくとも数千万ウォンにのぼり、億台が入ったりします。 材料費に加え、ロイヤリティ・広告、販促費などを引くと、加盟店主が持っていけるのは売上の35%前後。
さらに、ここから賃貸料と人件費まで差し引けば中身のないものになる確率が高いです。
[ベ・ジンチョル/公正取引調停院院長:加盟店をすれば月収がいくらだ。 大ヒットが出る。 人生逆転することができる。 そんな広告をたくさんするのに、今回の比較情報を見て客観的にその加盟店をしたらどんな収入を得ることができるか(先に把握しなければなりません)。]
契約条件、商圏などに対する緻密な分析なしに、チキンブームを皮肉った'チヌ様'という言葉だけを信じて創業すれば失敗する可能性が大きいと、専門家らは警告します。
(翻訳:みそっち)
まず、韓国のチキンは小さいですね、大きく育てても同じ1羽ですから小さいほうがイイんです、参鶏湯(サムゲタン)って1羽まるごと入ってるでしょ、でも普通だと1羽なんて食べられないですよね。
じゃあサムゲタンをみんなで分けて食べようなんて考えますか? ほかの人の食べる途中のサムゲタンって想像できますか?
韓国ではひとりにひと皿という文化がありませんでした。ついこの間まで一つのなべをみんなで食べていたんですよ。
サムゲタンも丸々1羽を家族全員で食べていたのです。ところがこれを外国人旅行者に食べさせようとしたらとんでもない拒否反応は出るわけです。見るからにグチャグチャしたものですからね。そういうわけで現在ではサムゲタンに使われるニワトリは4週間ほどだけ育てた、おとなの毛の生えてないようなヒヨコを食べているのです。
同じことがチキン屋でも行われています。販売単位が1羽なんですよ、丸ごと1羽分が入ってる、だけど小さいほうが仕入れが安く済みますからパーツが小さいのです。
スーパーで売っている鶏肉もニホンでみるようなモモ・胸肉(ササミ)・手羽なんていう分け方はしてません。買う方も1羽分を買って帰るようになっています。そうしないと損をした気がするらしいです。 でもね家で料理するのも面倒なんでしょうね、そいういう買い方をするのも最近ではほとんど無くて、惣菜を買ってきて家族で食べるというのがソウルでは一般的です。
チキン+神様=チヌ様 誕生(Birth)と死(Death)との間には、チキン(Chicken)があります。
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ちょっと前にソウルに行ったことのある人に聞いてみた
1990年代の韓国に行ったけど宴会料理でコレは無かった
まず、ビビンバはありません、外国から来る賓客に出すようなものではなかったからですね、同様に参鶏湯(サムゲタン)も無かったでしょう、あれは保養食でしたから特定の時期だけに食べるものなので観光客に出すようになったのは最近のことです。
ノリ巻き(キムッパ)も出ないでしょうね、あれは屋台などで食べるものですから
焼肉に葉っぱを巻く?、これは骨付きカルビのハサミで切るのをご記憶の人もいらっしゃるとおもいますがおそらくこれがメインだったものと思われます。
冷麺も無かったでしょう、そのかわりチヂミは冷えたのが並んでいたはずです
飲み物はビールと日本酒がふんだんにあったようです、洋酒となるウイスキーは当時関税が高くておいそれと手に入るものじゃなかったハズです
マッコリなんてものを当時の韓国で飲んだ記憶のあるひともいるかもしれませんが当時のマッコリは今のものと違ってかなり酸っぱいものでした、それをおそるおそる観光客向けに飲ませていたという記録はあります(マッコリの製品名はわからない、たぶん自家醸造品だったらしい)
当時の韓国料理は大皿に盛ったものというのが普通でした、それはちょうどニホンで言うところの”舟盛り”にも似た一見して箸のつけにくい”観賞用”の料理だったかもしれません
▲韓国の伝統的な料理シリーズの切手(2004年発行)韓国料理のイメージとしては大体こんな感じになっている、しかし神仙炉は1970年代にブームになった中華料理の亜流である
いまでは焼肉も一般的になりましたが1970年代半ばまでは肉はソウル中をさがしても手に入らないようなものでした(葉っぱで巻いて食べる習慣も1980年代末から)
ニホン風な刺身なども当時の鮮魚の流通条件では見つけることが困難だったようです
つまりニホンからの旅行者が当時の韓国で食べたものというのはほとんど記憶に残らないけど”口に合わないものだった”という程度のものだったわけです
わけも分からずキムチだけは何種類もあった?
最近多くなった”小皿の数だけで勝負”する様式さえも1996年のKBSドラマで王朝時代のブームがおきるまではまったくこの世に存在していなかった食事文化だった。
※祭祀のときに過度に小皿料理を並べる習慣が王朝文化の捏造とこんがらがってわけのわからないものになったらしい
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ニホンでは宴会文化というものがあります、バス1台分位の人数が伊東のハトヤに行くようなあれです。これはもうお風呂上がりに浴衣を着て大抵はステージがあってカラオケで盛り上がるのでしょう。
いまでこそ韓国といえば罰ゲームとしか考えられていませんが、10年とちょっと前までの韓国といえば、”キーセン観光”しかありませんでした。
もしも何かの拍子に”社員旅行が韓国だった”なんてひとがいるかもしれません、どんな食べものが出てきましたか? 飲み物はビールだったでしょ。もうちょっと規模を小さく考えると、”お得意先と一緒”に韓国にゴルフに行ったひともいるかもしれません、食べ物や飲み物はどんなものが出ましたか?
当時”宮廷料理”なんてものは無かったでしょ
ニホンでは新年になるとお得意先も呼んで新年会があります、これは地元の宴会スペースのある割烹などが使われました、人数分のお膳が並んで偉い人から順に座ったりするアレですね。
固形燃料でグツグツするのもありますよね、でも自宅で固形燃料を使ったり、先づけや小鉢が並ぶような一般家庭の食卓はありません、だからといって天ぷらを家で食べないという家もほとんど無いでしょ。
韓国では最近になってビビンバとかも綺麗に盛り付けるようになったけど文化の原点は”混ぜ合わせたものを食べさせる”ってことですから食材の再利用にも抵抗感ってものがないんですよ、そしてロクなものじゃないってわかってるんです
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1970年代の現地のマッコリを飲んだことのあるひとによれば、「酸味と雑味に入り混じった一口で言うと、飲んではいけない味がした」とあります、どぶろくを小麦粉からつくるとタンパク質成分が発酵して得体の知れない味を生み出していたのかもしれません。
「食べ物は毎晩焼肉だった気がするが、現在のイメージとちがう”フライパンで作ったような焼肉のたれで煮絡めた肉”だった」 、「めしはステンレスの容器で出てくるが開けてみるまで誰かの食べかけだったりするので注意が必要だ」、「旅行も二日目になると腹を下すものが出てくる、水が合わないというよりも水自体が臭うようだ」
「セイロガンをもってきたら途端になくなってしまった」
このほかにも食器やコップ、箸やスプーンなどがよく洗われていないことなども記録されています。
これが最近になるとどうなったでしょうか、店は小奇麗になりビールもキリンビールばかりではなく、韓国産のビールが出てくるようになりました、マッコリは昔とは全く違う”コメ粉を溶かした甘くないカルピスサワー”のようなものになりました。
場末の焼肉店にありがちな無煙ロースターもいまでは見かけなくなりました、キムチはそのほとんどが中国産に代わったし何よりも”焼肉の肉が牛肉”になったということで驚いちゃうかもしれませんね。
だけど、同じものがお客さんのテーブルと調理場を何往復もするということは何一つ変わっていません、一家にひとつのナベで食べ残しを順繰りに食べてゆくという文化はいまでも韓国人のDNAに深く刻み込まれています。