あの手榴弾”手首ポン”の彼のお母さんが吠えた
訓練兵の家族-軍当局、民間病院の治療費、義手の購入費用葛藤
”韓国型介護文化”と、”もっとジェニを寄越せ”という主張に軍当局も難色
[国防ミーナ]"信じていた軍の当局が今になって裏切られました"、去る9月11日、大邱陸軍50師団新兵教育大隊の訓練場で手榴弾の爆発事故で右手首を失ったソン(20)訓練兵の家族が軍当局との深刻な対立をもたらしている。
民間病院の治療費から手訓練兵の右手の代わりにする義手(義手)の購入費用、将来の就職斡旋などの問題で争っているのである。
▲6日大邱北区ハクジョンドン漆谷慶北大病院6人病室で会ったソン訓練兵の母の李某(44)氏は、「国防の義務を尽くしたが不意の事故に遭った息子にした約束を軍当局がごまかした」とし「木箱地雷被害の副士官のように大統領が見舞いに来てこそ軍が変われるのに」と涙を流した。
李さんは「軍当局は、規定を掲げ義手購入費用を800万ウォンに制限した"としながら"親指と中指、人差し指三本の指を動かすことができる義手は2100万ウォン、5本の指すべて動く義手は3600万ウォンだが、800万ウォンですべて解決しろとは息苦しい」と言った。
ソン訓練兵は9月11日から10月14日まで、大邱北区サムドクドン北大病院二人部屋で治療を受けてきて以来、慶北慶山市ハヤンウプウンホリの国軍大邱病院に運ばた。
しかし、国軍大邱病院ではソン訓練兵の折れた歯を3個治すことができず、事故による精神的ショックを代わりに行う心理療法が不可能である。
ソン訓練兵は国軍大邱病院に入院した状態で9日間北大病院歯科と精神科などで外来診療を受けた、軍当局が京畿道城南市盆唐区律動の国軍首都病院に移ることを勧めた。国軍首都病院は、民間病院のよう治療費が別途かからず精神科の治療が可能であるが、介護者が許可されていないためソン訓練兵一人で過ごさなければならない困難がある。
李さんは「息子が国軍大邱病院でも精神的なショックから抜け出せなかったので自分は別に介護をしたところ、一人で過ごさなければならない首都病院には到底送りだすことができなかった」と説明した。
このような理由から、ソン訓練兵は先月23日から大邱北区ハクジョンドン50師団近くにある漆谷慶北大病院6人病室に移し治療を受けており、中区サムドクドンの心理療法センターとは別にトラウマを治療を受けている。
すると、軍当局は「国軍首都病院に運ばなければ外来診療費と漆谷慶北大病院入院費を支援することができない」とし、「軍当局の不当をマスコミに知らせる」と言いだしたソン訓練兵の母親の反発に「最大限支援与える」との立場を変えた。
▲大邱北区ハクジョンドン陸軍50師団で手榴弾投擲訓練中に手榴弾が爆発訓練教官など3人の死傷者が発生した。この事故で教官であるキム某(27)軍曹が亡くなり、ソン某(20)訓練兵の左手首が切断された。
ソン訓練兵の母は、「第2作戦司令官など将軍が息子をお見舞いするときは「すべての支援を惜しまない」と激励しておいて、今更いろいろな種類の規定を含ませ約束したことをそっちのけにしている」とし「軍務員特別採用などの息子の将来の職業と関連しても何もしてやることができないとした」と怒りを爆発させた。
彼女はまた、「満19歳のしかならない息子の責任を負わないのなら、私の息子の右手を返せ」とし「大韓民国青年たちがどのように軍当局を信じて国防の義務を果たすに入隊したのか」と問い返した。頭や顔、足などにちりばめられた数十の手榴弾の破片のために苦痛を訴えていたソン訓練兵は「怪我をしたのも悔しいのに、軍当局がこのような仕打ちを想像もできなかった。悔しいし寂しい」と涙声で話した。
これに対し、50師団側はソン訓練兵の母親の一方的な主張という立場である。チョン・ウィキ義務隊長は「すでに北大病院で治療費は多いのに民間病院をこだわりして、民間病院で治療を受ける場合は、自費で負担しなければならないという説明をすべてしてやった」とし「義務本部で審議する際、民間病院の治療費も最大限に支給されることができるように努力するという意味を7回に渡って伝えた」と述べた。
チョン義務隊長はまた、「義手の場合、軍の補償規定に800万ウォンに制限されており、規定を変えなくては超過金額の支払いが難しい」と釘を刺した。
パク・ジョンフン参謀は、「ソン訓練兵は、最も良い環境で治療を受けることができる国軍首都病院で精神科の治療など、すべての治療が可能なのに、民間病院を固執している」とし「軍務員特別採用ニーズと関連してもそのような前例がないと十分に説明し、国家有功者加算点を受け公務員や軍務員試験に応じることができるという説明を伝えた」と述べた。
この事件は、9月11日午前11時13分大邱北区ハクジョンドン陸軍50師団新兵教育大隊手榴弾訓練場で入所3週目を迎え訓練を受けていたソン訓練兵がKG14 M67手榴弾の安全フックを選んだ後、「投げ」という掛け声を叫んでいたその手で手榴弾が爆発した。この事故でソン訓練兵の右手首が切断され、ソン訓練兵と一緒にいた教官キム・ウォンジョン(27)軍曹が全身に破片を迎え治療を受けて死亡し、これらの1mの距離にあったパク某(27)軍曹が負傷した。
(翻訳:みそっち)
ええとですね、韓国では結婚しても姓は変わりませんから母子で姓がちがうのです
まだ戦争本番じゃありませんよね、第二次朝鮮戦争が始まったら半日位の戦闘で出てくる死傷者だけで治療費と補償金が膨大なものとなって内部から国家破綻するだろうという予測さえ出てきているお話ですよ。
※ほんの半日ほどの本格的交戦で3,400人程度が負傷したり死亡した場合に、現在の国軍基準による補償金や年金などを見積もってみた場合に発生する政府の負担額の規模が絶望的に大きいってこと
韓国軍で戦死者や負傷者にお金が出るようになったのは朴正煕の時代になってからでした。李承晩のころに戦争や訓練で死んだ兵隊にはお見舞いのお金を支給するということがなかったのです。
朴正煕の時代に整備された軍人への死亡補償でしたが、わずか数年後のベトナム参戦による戦死者の増加でふたたび減額されてしまうことになります。
※韓国軍のベトナム戦の戦死者は5000人くらい
義手が片方800万ウォンまでっていうのが軍の決めた上限額です、今回の場合ソン訓練兵(原隊配置されるまでの4週間は訓練兵という身分なので階級はまだない)のお母さんが”韓国型被害者請求”をやっているってことですよ。
あれもこれもそれもみんな言う通りにしろって言ってるんです。国軍首都病院では”付き添い看護がいりません”っていうのにこの母親は”ウチの子がぁ~”っと言って転院したがらないとかですね。 ※ヒント:国軍病院付属の体育館に寝泊まり
もちろん国軍病院のほうもいい加減なんですよ。韓国の国軍病院とは、銃創を治療できない国軍病院として有名ですが、そればかりじゃありません。国軍病院っていうのは一種の隔離施設でもあるんです。兵隊生活に不自由なのをまとめておくようなところなんですよ。そんなところって知っていれば誰も入院なんてしたくないですよね。
韓国の国軍病院というのは病院の目の前で小学生がクルマにはねられてすぐに手術が必要だっていうときでも119番の救急車を呼ぶようなところです、軍医志願の英才がよってたかって無償治療しちゃうなんてことは絶対にありません。輸血が必要になると健康満々の兵隊が列をなすなんてことは金輪際ありません。
さらには入院や治療が完全予約制であり週に3日しか外来受付がないとか言われています。これは兵役があるなかで医官という楽な兵役のひとを集めておくための施設だからなんですね。この国軍病院っていうのが無かったら民間の医師を高額報酬で招聘することになるのでお金がとてもかかるのです。そのため体裁としては国軍病院をつくり、実際の治療は近所の大学病院にさせておくってことです。
※兵隊の健康診断・身体測定くらいなら誰でもできるからね
そういうわけですから国軍病院に常勤の医師はいません、医療設備もほとんどなく一般人のお見舞いさえも厳しく制限されていたりします。