対戦車障害物が邪魔なので迂回路が作られている
対戦車障害物の多くは1970年代に作られたもの、道も広がりバイパスも出来たし
邪魔だから取り壊せ、いまさらそこを敵戦車が通ることなんて考えられないって
※ニホンが財産をのこして去った後の残有資産分配に不満を持った韓国人の多くが再分配を求めていたのが1950年頃の韓国の情勢。
その35年前の朝鮮王朝崩壊の際には資産の移転が公正に行われた為、市民への分配が無かったことに対する不満が「日帝の搾取」だったと位置づけられている。
元来、国や政治に関心の薄かった韓国人にとってはあまりにもドーでもいい事件だったわけですが、中国人民軍の義勇兵参戦でふたたび翌年春にソウルが解放されると、いよいよ ”祖国統一確定か” という動きまであったという韓国でした。
※中国が清王朝から国民党政府にかわり共産党政権になっても1950年の中国軍が、北方のモンゴル族ではなく漢族であるとして半島介入を歓迎する言論もあった。
しかし再び国連軍が押し戻して現在の38度線あたりが戦場になったまま停戦をむかえた朝鮮半島では、とりあえず ”食べるものが先” という状況だったため国軍の編成(再編成ではない)などは後回しにされて国連からの援助物資をいかに多く受け取れるかという課題のもとに港湾施設の復旧などが急がれ駐留連合国軍向けの物資などの横領事件なんかも多かったというのが李承晩までの時代でした。
※李承晩の時代までは韓国軍が戦ったとか勝ったりしたという ”超時空戦記” はまだ存在していませんでした。戦闘の主役は連合軍だったし、”韓国軍” は後方で共匪討伐という名の収奪事業に励んでいたのです
対戦車障害物でソウルを守れ
ちょうど韓国が第1次建設ラッシュだったころに多発した建設途中の連続アパート崩落事故がそのヒントになったとも言われていますが、敵の進路上に障害物を用意しておく式の考え方は東西ベルリン封鎖のころに同じものが見られることなどから、かなり怪しい説であると見ることができそうです。
同様に、ソウル市内の高層アパートが特定の爆破手順で土台を破壊すると ”ドミノ倒し式” に敵戦車の侵入を防ぐバリケードになるというハナシもありますが、こちらはあながちデマというわけでもなく、20年ほど前には韓国の国防大臣が国会質疑で ”首都圏新都市マンションを防御的に活用、アパートバリケード転用” を公表したこともあってちょっと揉めたこともあったようですね。(要出典)
※北側からソウルへ通じるいくつかの幹線は狭小な山地を通るルートがあり、大型車の通行は高架となったパイパスを経由するルートが多い もちろん戦車が通れないことは言うまでもない
爆薬を仕掛ける穴が見えている、設置されて半世紀近くなるが自然崩壊などの噂はあまり聞かない、あるいは頑丈すぎてダイナマイトぐらいではびくともしないとも言われている。
※爆薬をセットする工兵部隊はバリケード設置地区から離れたところに移転している。
※バリケードの爆破をする工兵部隊はソウル以北には一つも無い。しかも韓国の工兵部隊は2004年以降施設爆破の任務から解放されている。現在では工兵部隊の任務は橋梁構築と渡河だけとなっている。
高陽市の外れに置かれた対戦車障害物、この道路は朝鮮戦争のときにキタ朝鮮軍のT-34がなだれ込んできたところで、たいした反撃も受けないまま中央政庁(旧総督府)前の光化門通り(現在の世宗大通り)まで歩兵の行軍に合わせて戦車隊が通った。
※240トンのコンクリートといわれた対戦車防壁はすでに解体された
ソウルの北漢山、いまさら車も通らない山の上の旧道にもあったりする
これは青瓦台襲撃未遂事件のころにソウル北方の間道に多く設置された
こちらも交通に不便で、すぐ隣にもっと広い道ができたため放置されているバリケード。ちょっと変わった形をしているのが珍しい
軍事的要衝などに関係なく、隣の集落との切通し部分に置かれてみたりしていた
爆破には軍の工兵部隊が任務に当たる。 ”有事の際” に爆薬をセットして破壊する計画だったが、その工兵部隊はすでに漢江南岸に移転している
ナナメの土台の上に置いてつっかい棒で支えているタイプの対戦車バリケード。こちらもバイパス道路がすぐ隣を開通したために役目を終えて放置されている
議政府市の端っこにあった対戦車障害壁、道路の上に忽然と置かれた高さ7m長さ11mと言われるコンクリート製構造物は2006年頃まで置かれていた。
これの撤去は道路封鎖して突貫工事で行われたが頑丈すぎて撤去工事の工期が1年以上も先送りされたことがある。
※設計上のミスから、決められた発破位置では役目を果たせないとも言われた。
(ソウル/2ちゃん番長)
これね、ソウル観光じゃほとんど見かけませんが、DMZ見物とかで国境近くになると全ての道にあったそうです。ところが今では道が広がったり新しく出来たり住民の反対で撤去されてみたりして邪魔者になってるんだそうです。
たいていの構造は爆薬をセットして破壊する式なんですが、これがまた誰がどの段階で誰の判断で何時やるのかということがまったく命令系統が無いらしいのです。
構造物に迷彩色を塗ったり広告掲示を許可するのは近くの駐留部隊だそうですが、実際の認可窓口はお近くの市役所らしいのです。そういうわけですから撤去要求があるとそれを審査するのは自治体だったりして、住民運動で撤去と決まれば市長がOKを出しちゃうなんてこともあるんだとか。
あのほら、公道に設置された物なんですよ。所有権はわからないし設置の経緯もわかんない、戦争になっても誰が爆破するのか分かんないというのが現在のようです。
しかも意外と丈夫だったりするのが驚きですね