みそっちのソウル探訪⓮
韓国でよく知られる ”盗賊洪吉童(ホンギルドン)” 新資料の発見
作者にでっち上げられ、11代孫まで現れた不遇の文官
[ソウルミーナ]24日韓国の朝鮮日報によると、イ・ユンソク前延世大国語国文学科教授が朝鮮中期の文臣が残した文集から400年前に漢文で書かれた洪吉童(ホンギルドン)伝が発見されたと伝えた。
ハングルで書かれた最古の小説の洪吉童伝とは内容がよく似た作品だが、漢文版の洪吉童伝が発掘されるのは初めてである。
韓国国内のハングル原理主義者が推進してきた「洪吉童伝が最初のハングル小説であり、著者がホ・ギュン(1569~1618)である」という主張とは異なり、ハングル洪吉童伝は18世紀後半に出てきた作者不詳の小説であって許筠(ホ・ギュン)はハングル小説とは無関係という主張だ。
※ハングル小説の起源を18世紀後半だとするには無理がある、当時であれば識字層はハングルを使わず、ハングルの普及は日帝以後だからである
イ・ユンソク前延世大国語国文学科教授は、ファン・イルホ黃一皓(1588~1641)が書いた洪吉童伝であるノヒョク伝(盧革傳)を「芝所先生文集」から発見したと24日伝えた。ノヒョク伝はファン・イルホが1626年に漢文で残したものだ。
ノヒョク伝に書かれるホン・ギルドンはハングル小説洪吉童伝の主人公のように泥棒の頭で、母の身分が卑しいという点も同じである。
この元教授は、「ノヒョク伝は伝(傳)の形式を整えた内容で、講釈の伝統に従っており、事実とフィクションが混ざっている」とし「当時伝えるホン・ギルドン関連の話をすべて集めた可能性が大きい」と説明した。
小説ホン・ギルドンは、朝鮮時代に実在した泥棒が素材であると知られる。18世紀に編纂された朝鮮王朝実録によると、燕山君6年(1500)10月22日丞相の聞き書きには「強盗ホン・ギルドン(洪吉同)を捕ったので、喜びを耐えることができません」とある。その後の実録には、宣祖21年(1588)までのホン・ギルドンという名前が複数回登場する。 このように朝鮮王朝実録に出てくるホン・ギルドンはとても長生きをした強盗で、登場のたびに何度か死罪になっているようだ。
今回の発見でノヒョク傳は全体量が約750文字しかないが、ハングルの小説洪吉童伝は4万〜5万文字に達するとして、ハングル小説洪吉童伝の作者を論じる場でホ・ギュンが書いたという洪吉童伝が割り込む桁はない」と断言した。
(ソウル/みそっち)
血統の絶えた人物を何度も再利用する韓国型思考
ホ・ギュン(許筠)1569~1618とは、韓国の時代ドラマによく出てくるような人物で、文科に合格し、政争に敗れたあと逃げたが捕まり処刑された人である。彼の一族も連座制で処刑されている。
なぜそんな人物が有名なのかというと、彼には子孫がいないため、後世になりその子孫に成りすますことが比較的容易だったからなのである。
韓国では、昔の偉い人の子孫であることを誇りにする考え方がある。そのため現在の韓国では誰でも例外無しに、全員がいつぞやの王や高官の子孫であると主張している。
そう言う事情があって、韓国には ”3代前から農家で百姓” という人物は絶対に存在していない。
ホ・ギュンの子孫を名乗る人物が現れたのは1980年代のことで、ホ・ギュンの生き残った息子(ホ・グェン)の直系子孫を名乗る人物が、仮処分申請を通じてホ・ギュンの直系の子孫であると主張してきて、1995年に11世孫として血統を継続することになったことがある。
そのころにホ・ギュン(許筠)の生家が復元され、現在では私設の記念館まで併設しているという。
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韓国ではこのように背乗りや成りすましが日常的に行われているが、その一方では先祖の供養が代々行われているという主張もある。これまたとんでもないことで、韓国人が先祖を供養するようになったのは比較的近年のことなのである。
実は背乗りした赤の他人の先祖の霊を弔い、それを大々的にいかにも伝統文化であるかのように振る舞うことで、自己との同一性を得ようと考えるのである。
今回の発見で、ホ・ギュンが「ハングル小説洪吉童伝」の著者でないことが証明されても、ホ・ギュン(許筠)記念館は展示の内容を変えることは無いだろう。一度認証されたことは本人の中でそれが真実となるのであり、それを否定することは韓国人にはできないことだからである。
つまり成りすました系譜が否定されても彼らは意に介さないということなのである。