懲りるという文字はハングルにはありませんよ
フォーミュラEのレース、2020年韓国開催の調印式 ”7年ぶりの再挑戦”
[ハンドルミーナ]フォーミュラワン(F1)の電気自動車バージョンのフォーミュラEレースの国内開催が推進される。
2020年、ソウル都心に一時的仮設サーキットを作成しフォーミュラレースを繰り広げる方式である。
英国フォーミュラEと国内スポーツエンターテイメント会社であるJSMホールディングスは30日、ソウル・ステート・タワーでフォーミュラEチャンピオンシップの開催を確定する調印式を締結した。フォーミュラE アレハンドロ・アガグ会長とJSMホールディングス ムンジェシク会長が30日、ソウル・ステート・タワーで調印式に参加した。
フォーミュラEレース開催の目標期間は2020〜2025年までだ。フォーミュラ大会は、通常5年の開催協約になされて年々金額を増やすように開催権料を出す。
開催権料で懲りたのは別の韓国人だから
大会主管社である英国のフォーミュラEは韓国をはじめ、オーストラリア、ロシア、ニュージーランドなどアジア地域を対象に開催を増やすのが目的である。 F1との競争構図を成し、互いに開催国を増やそうとする神経戦が最近5年間で大幅に増えていく形だ。
フォーミュラE主催側は、すでに10日前よりソウルを中心に開催ポイントを現場調査し、ソウル市などの公共機関と協議を行った。やはり興行性を向上させることができるのは、ソウルの中心である光化門広場とソウル市庁一帯で、競技の準備をして開催される十日間の交通を制御し、競技を行うことができるか実現可能性調査を本格的に開始する。
フォーミュラEレースはF1の人気下落と環境にやさしい自動車の傾向に合わせて、5年前の新生したレースだ。 F1と形が似た競走車で10チームが各2人ずつのドライバを出展させてシリーズ大会を開く。 F1日程と重ならないようにするために、韓国で見れば二年をかけて、冬に開かれる。 2018〜2019シーズン式で7ヶ月の間、世界中の10都市を回って開催される式である。
今年はパリとローマ、メキシコシティ、チューリッヒなどで開かれ、来年には11チームと選手22人で構成されたチームが、ニューヨークとベルリン、香港など12都市で進行する。
フォーミュラEレースが予想より早く定着したのは世界の自動車ブランドが飛び込むたからだ。アウディ、ジャガーをはじめと来年からベンツ、BMW、ポルシェがフォーミュラEに出場する。一般的な自動車販売電気自動車へと急速に風に乗って広報マーケティング面で大きな助けになるからである。
ただしF1が全羅南道霊岩(ヨンアム)で開かれる途中放棄し数千億ウォンを飛ばしたことが反面教師となっている。 2014年に契約をシーズンの中途で解約し、大きな損害を与えた前科があるからである。 7年ぶりの2020年グローバルフォーミュラ級ビッグイベントが再び開かれることができるか注目されている。
(ソウル/みそっち)
光化門通り(世臭大王通り)は広いけどデコボコしていたイメージがあったかと思います。あの石畳風舗装なんですが、去年頃まで舗装工事が行われて今はアスファルト舗装されています。
そこがコースになりそうですよ。ええ、フォーミュラEはマラソンコース程度のデコボコ道ならOKなのでしょう。
フォーミュラEが音が静かだそうですから、マラソンコースのような市街地コースでOKなのです。
関係者から入手したコースレイアウトによればピットは光化門広場に設けられスタートは李舜臣将軍像のすぐ横でそのままコースを北上して右に曲がり広橋(どこ?)を渡ってソウル市庁の先(多分南大門だと思う)でUターンする案らしいです。 (およそ4.2km)
これだと鐘路区庁や警察とかニホン大使館へのクルマの交通があの低い地下道ひとつになる(各交差点には歩いて行ける地下道が完備されています)ので、混雑が予想されるとかだそうです。んでも大規模デモのコースであることもあって警察は慣れたものかもしれません。
※あの低い地下道は過去カキコ参照
※光化門広場で陣取っているセヲル号の連中がテントを移動させるかは未知数
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ソウル世宗大通りの名物だった石舗装やめちゃえ 見栄えが悪い、いつも工事中 デコボコしてる、戦車も通るのにこれじゃぁダメ 過去には立派な敷石も剥がされて朝鮮戦争の前後には住宅の建材に 最近の更新日2016年10月5日 初期工事費用より保守費がさらに大きくなっているのだ、例えるならば'腹よりへそがさらに膨らむ'状況のためだ。 ▲ソウル鍾路区光化門広場の脇に造成された花崗岩の道路はツギハギだらけだ。 車道石舗装は、呉世勳(オ・セフン)市長時代、光化門(クァンファムン)広場を造成し当時、欧州のイタリア、フランスなどの都市の車道に敷かれた石舗装を模して作られた。 単調なアスファルトよりは、欧州の風情のある石舗装がいいという意見だった。 ごつごつした石舗装が光化門(クァンファムン)広場を両方を行き来する車両の速度を減らして、スピード違反車両の広場内侵入による被害を減らすことができるという点も考慮された。 しかし、8年も経たないうちにこのような構想は、'血税浪費'に帰結されてしまった。 5日、ソウル市によれば、光化門広場の車道は舗装して8年目に入り、老朽化が手の施しようもなく進行された。 石と石の間や石と従来アスファルト(ソフト)を固定させるセメントのモルタルが機能を喪失し、破損された区間が増えている。 2009年6月石の舗装をした後、この9月まで7年4ヵ月間、光化門(クァンファムン)広場車道区間石舗装沈下・破損によって補修された面積は計9090平方メートルに達する。 これは全体面積2万2867平方メートルの約40%に達するものだ。 このために使ったお金も少なくない。 ▲石畳が完全に撤去されて去年(2017年)舗装された ソウル市は初期工事費用(約70億ウォン)の40.6%にあたる約28億ウォンを保守費としてすでに使った。 昨年だけで9億ウォンの保守費が入った。 ソウル市関係者は"アスファルトに比べて保守費が8倍以上多く入る"と困難を吐露した。 保守費が多く増えたことも問題だが、市民の不便もアスファルトに舞い戻ったのに一役買った。 この区間は、ソウル市内でもバスなど重量の重い車が集中するところだ。 路線バスだけでも1日平均1247台から3415台が運行される。 光化門(クァンファムン)広場を設けた後は、倍以上に増えた。 このために石舗装破損が加速化された。 急制動と加速が頻繁なバス停車帯と横断歩道前の石舗装は状態がもっとよくなかった。 乗車感が落第点なのは当然だ。 ここに石舗装破損の問題点を指摘するマスコミ報道が連日して減らした。 ソウル市はこのような状況を考慮して市民の意見などを取り集めた末に7年4ヵ月ぶりにアスファルトへの'里帰り'を決定した。 ソウル市関係者は、血税の浪費という指摘について"バス自体も流入が大幅に増えた。 石舗装そのものが全体道路の100%になったら良かったが、部分的に敷かれ、クラックもできた。 予期しなかった部分があった"と謝罪した (翻訳:みそっち) あのほら、デモ隊と警察バスが対峙するところですよ。アメリカ大使館の真ん前でもあります。とにかく道がデコボコしていてビックリなんですよ。 しかも敷石が同じ大きさのばかりじゃないんです、だから見た目もひどいんです。 最初の問題が起きたのは石舗装した翌日でした。石が飛んじゃったんですね。あいにく当時のソウル市長がもみ消したんですけど悪評ばっかりでしたよ。 この大理石は納入業者と市長が癒着してるとかあって途中で石の規格が変わったんですね、だから色の違うところがあったりするし韓国人の手作業で設置したわけですから波打ってるんですよ。 ▲ソウル鍾路区光化門(クァンファムン)広場の脇に造成された花崗岩の道路(車道)が所々がおちくぼんでいる。 ▲歩道部分の敷石にも重篤な毀損が見られている ▲ソウル鍾路区光化門(クァンファムン)広場の脇に造成された花崗岩の道路の一部を補修作業している。 (これは車道部分であり、この上を乗用車やバスが通る) |
あの石畳がボロボロのでこぼこ道ですよ
見てくる記事 http://japanese.joins.com/article/847/177847.html?servcode=400§code=400&cloc=jp|main|top_news (長さ550mくらいの公園が真ん中にあります)
それによると光化門広場って言うらしいですね、作られたのは2009年でしたか。
光化門広場は、2009年8月に誕生したばかりの広場です。景福宮(キョンボックン)の正門にあたる光化門前から市庁方面に向かう大通り、世宗路(セジョンノ)の16車線のうち中央部6車線分のスペース(幅34m・長さ557m)に造成されました。現在ではセヲル号のテントが常設されていたりしています。
それではそれ以前はどんなのだったのかというと記録的な写真がありますよ
戦車が通っても大丈夫な舗装道路でしたね、この手前を人気ロックバンドの5人が横断している写真はご存知ですよね。(みなうそ)
もちろん施工はニホンですよ、路面電車のレールが2車線見えます、 T-34-85戦車の横幅が3mほどですから当時の道幅としてもすごく広かったみたいですね。
※アメリカ大使館はこの写真のころにはまだ建っていません。
ニホン人の知っている世宗大通りはこんな感じです ちょっとおしゃれな写真ですね
それでは古い昔の地図を見てみましょう
この地図では上下が逆になっていますが
この辺に崇礼門とあるのが見える↓숭례문
ここには景福宮がある ↑ 경복궁
なにしろ270年も放ったらかしだった宮殿でしたが、高宗が1865年に再建を開始するときまでは世宗路っていうのは無かったんです。無いったら無いんですよ。
つまり韓国観光すると大概連れてかれちゃう景福宮っていうのは慶応年間(1865~)に作られたものなんです、世宗大通りっていうのもその頃に開墾されたものだったのでした。
しかも高宗の再建計画は途中で放棄されちゃったんですね。景福宮の再建は光化門と内部の宮殿をすこし作ったら予算オーバーでそれっきりになったんです。それからというものはロシア公使館に屋根を借りたりしてそのままニホンに併合されたというのが正しいようです。
▲景福宮から伸びる世宗路は行き止まりの東亜日報ビルのところでT字路だったことが分かる、ソウル駅まで延長させる計画はニホン統治時代に計画された。