もう一度言っておく 韓国には ”駅伝” が無い
トップが第二走者にバトンを渡すとほかの第二走者全員がスタートしちゃうぞ
そういえば世界陸上開催国がノーメダルだったことがあるんだけど 覚えてる?
[ソウルミーナ]韓国には駅伝競技がありません、過去に何度か開催されましたが、駅伝のタスキを渡すというルールが多くの韓国人には受け入れられず、いずれも数回の開催だけで消えてなくなりました。
※韓国版Wikiでは駅伝の解説が非常に少ない
韓国には孫なんとかというベルリンオリンピックのマラソンの英雄がいるのに、似たような駅伝競技が無いのはなぜでしょうか。 駅伝の由来がニホン原産だから?それもあります、しかし韓国に駅伝が根付かなかった理由はほかにもあったのです。
2011年大邱世界陸上で開催国の韓国はノーメダルという歴史的記録を作ったことがある
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他人のたすきを受け取ってから走りだすのが我慢できない
韓国では集団でする人気競技というものもいくつかあります、野球やサッカーなどの人気は時としてファンの武力衝突にもなったり地域対立の導火線の役目までしていますよね。
ところが駅伝競技では最初の走者だけが一斉にスタートしますが、あとの走者はタスキを受け取ってからスタートしなければならないという、”韓国人には理解できないルール”があるからなのです。
ましてや、箱根駅伝では二日目になれば前日の成績によってハンデタイムが設けられスタートさえできないというジレンマに陥るため多くの韓国人がその時点でテレビ観戦をやめてしまうと言われています。
なぜ彼らはタスキのリレーが我慢できないのでしょうか?。これは朝鮮社会に脈づいてきた身分格差構造への反発と、韓国がアジア最貧国だった1970年代終盤頃までに教育されてきた ”平等な教育機会と社会的チャンス” というものにはじまっています。
親の出自や身分の上下に左右されない平等な社会こそがこれからの韓国に必要だとして時の独裁者朴正煕はいくつかの改革を行ってきましたが、特に力を注いだのが平等な教育という分野だったようです。 じゃぁ教育ばっかり重視して走るのを罪悪視したのかというとそうでもなさそうです。
学校給食のなかった時代ではお弁当持参が当たり前でしたが、どうしてもお弁当の内容には各家庭で格差が生じます、この格差を差別だと受け止めて問題の解決をしようとした制度では”弁当検査”だったり、”班食(バンチョク)”と呼ばれる、お弁当の強制混ぜ混ぜだったりしたわけですが、親に持たされる弁当には差別(格差)があってダメだという考えが現在の”韓国型食盆給食文化”になったり、お弁当の強制供出から班ごとに全部混ぜてしまう班食はその後になると”ビビンバ”あるいは”振り弁”へと変わっていったりしたのです。
※現在の完全給食制度は欠食児童を無くすためと言い換えられていることが多い
韓国ではこのように朝鮮時代の身分差別を再現するような”格差”という差別を本能的に避けてきた歴史があるのです、駅伝競技ではどう見てもタスキを渡すだけという単純な行為ですが、韓国では、前の走者の成績を引き継ぐということに抵抗感があります。
たとえばこれは数年前(2008年大田市らしい)に実際にあったハナシですが、韓国のある小学校の運動会で、父兄対抗のリレー競技があったといいます、たぶんバトンを使っての単純なリレー競技だったのでしょう。最初の走者が走り出しました、これは当たり前ですよね、トップが運動場を一周して次のランナーにバトンを渡したとき、なんと第二走者全員が一斉に走り出したそうです。
もちろんトップのランナーだけがバトンを受け取ってあとの全員は素手だったんだとか。
これって、つまりバトンが来るのを待てなかったのか? というとそれはそれで ”韓国型行動” だと見ることができますが、待たなかった理由は、トップランナーがスタートしたのに自分だけがスタートできないのはおかしいダロっという”韓国型感情”があったものだといわれています。
※ルールの説明では”バトンを受け取ってから第2走者がスタートする”ということでトップランナーがバトンを渡したところで第2走者全員が走り出したらしい。
ルールを説明してもそれを理解できないというような人たちですから、とにかく前の走者から遅れたバトンを受け取るということが我慢できないとか、となりがスタートするのを黙って見ていることができないというのが”韓国型思考”の源流だと見ることができます。
※最近では400mリレーなどに特化した選手の育成でリレー競技も見直されているがテレビ観戦などでは相変わらず遅れてスタートする理屈が理解できない韓国人も多い
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