罰金を払うお金もない 職業は窃盗犯の50代
心不全の手術から四日目に労役場 結局、二日後、病気の悪化で死亡
その弟は「こりゃ金になる」と遺体の引き取りを拒否しつつ 熱弁をふるう
[ソウルミーナ]21日、韓国ハンギョレ新聞は、心不全症(心臓機能異常)を患っていた50代の基礎生活受給者が、罰金150万ウォンを払わず、労役場に留置されてから二日後に死亡したことを残念そうに記事にした。
この患者は窃盗の容疑で検挙され罰金を払うことも出来ず、実の弟からも縁を切られた状況で住民センターの緊急支援で手術を受け、死亡する六日前に退院したことが確認された。
盗んだ額の多寡で同情が得られます。
窃盗で検挙されたキム某(55)さんは昨年12月、ソウルのあるマートの椅子に置かれていたハンドバッグを盗んだ疑い(窃盗)で、罰金150万ウォンの有罪判決を確定された。 彼が盗んだハンドバッグや物の総額は80万ウォン前後だった。
キムさんは基礎生活受給者としてひと月70万ウォン余りの基礎給与の収入のすべてだった。 彼は国家の支援を受けてソウル鍾路区の安宿にある半坪(ハンピョン)余りの狭い部屋で一人で生活していた。
半坪(ハンピョン):文字通り畳1枚分のスペースの安宿のこと
キム氏は20年余り前、大邱(テグ)から上京して、日雇いを転々として、時にはホームレス生活をしたりもした。 結婚もせず、子供もなかった彼はソウルでずっと一人で生きたという。 ひとりがやっと横になることができる部屋の中で、彼は床に置いたガスバーナーでご飯を食べて薄いひざ掛けを覆って寝た。
彼が使っていた旧型フォルダ携帯電話は料金を払えず、途絶えていた。 安宿の彼の知人たちは罰金150万ウォンを出すことは事実上不可能だったと伝えた。
キム氏が一人での安宿に住んでいたのは良くない健康のためだった。 キム氏は先月29日にも自ら病院の救急室を訪ねた。 6ヵ月近く息切れ症状が継続され、じっとしていても息苦しくてきたからだ。 病院では'肺水腫を伴う心不全'と診断し、手術を勧めた。 病院費を出すことができなかったキムさんは退院を要求した。 このようなキム氏の事情を見かねた担当医者は病院の方に'キム氏の手術が必ず必要である'と述べ、幸い、病院は彼が、基礎生活受給者であるため、緊急支援を受けられるという事実を知らせてくれた。 キムさんは住民センターの支援を受け、'ソウル型緊急支援'で手術を受けた。 しかし、緊急支援金100万ウォンで手術費と入院費を全額負担するには力不足だった。 手術が終わった後、彼は100万ウォンを中間精算をし、今年9日、退院した。 医師は数日もっと入院が必要としたが、キム氏を強制的につかまえておくことはできなかった。
退院してから四日後の去る13日午前10時、彼はソウル拘置所に収監された。 罰金未納による労役場留置だった。 そして二日後の15日午前8時45分、彼は、京畿道安養市。病院に移送されて一時間ぶりに死亡した。 解剖の結果、彼の死亡原因は'心不全の悪化'だった。 大きな手術を受けて退院してから四日ぶりに罰金150万ウォンのために労役場に留置され、誘致されてから二日後に死亡したのだ。
罰金が払えなければ収監するのは決まりなのに
キムさんの健康状態は拘置所収監当時も知ったものとみられる。 すべての被疑者は拘置所に入る時に身体検査を受ける。 当時、キム氏が作成した'逮捕・拘束、被疑者、身体確認書'を見ると、"先月急性心不全症で倒れて病院に入院治療のうち、最近退院して、薬物治療中におり、この病気によって胸と頭が痛く、動きが不便だ"と記されていた。 しかし、そんなキム氏のために、国家機関がどんな処置をしたかどうかは確認されなかった。
キム氏が二日間、短い収容生活をした拘置所側と矯正本部を管轄する法務部、彼を労役場に留置するように指揮した検察は"法と原則による"という言葉だけを繰り返した。 ソウル拘置所関係者は"収監当時の医療陣が診療をし、患者と判断して病棟に収容するように言われて病棟にいた"、"伝染病がなくてすべての被疑者を収監させるのが原則"と話した。 さらに、"検事が労役場留置の執行を指揮すると、拘置所はこれに従うのみ"とし、"拘置所の立場では被疑者を勝手に取ったり、入れられる権限がない"と話した。 ムンホンソン法務部報道官は"法務部矯正本部は収容者だけを管理するだけの被疑者がどんな容疑かも分かりにくい"、"検察に問い合わせてほしい"とした。 ソウル中央地検のパク2次長は"原則によって罰金を出さないと労役場留置を指揮する。 労役場に留置した当時、死亡者の心不全症は確認ができない事項だった。 収監当時の健康状態は矯正当局で確認する" とした。
お金も援助もしなかった弟の登場
キム氏の弟は "退院してから四日しか経っていない人を罰金150万ウォンのために必ず入れなければならなかったのか疑問"だとし、"かろうじて生きてきた兄がとても空しくに去ったようだ"と話した。 家族は、キム氏の葬儀をまだ受けなかった。 キム氏の遺体は20日現在も病院の霊安室にある。 キム氏の弟は健康が良くないキム氏を無理に労役場に閉じ込めて死亡に至らせた彼らの謝罪を受けた後、葬儀を行いたいと思っている。 しかし、拘置所と法務部、検察のどこも謝罪せず、彼もどこに責任を問わなければならないかもしれない。
(ソウル/みそっち)
韓国の近代監獄行政はニホンが作りました。それ以前はというと、よく知られているように「おしりぺんぺん」が朝鮮の刑罰でしたね。
さて、監獄と韓国はひと文字違いですが、監獄はニホン統治期の朝鮮韓国でもお役所のひとつでした。そんなところですがニホン人に監督される地位にある現地の朝鮮人の看守も多く採用されていました。
そんな中、1945年になるとマッカーサーの指示で朝鮮にアメリカ軍政が敷かれることになります。そこで韓国人がさっそくやったことが監獄からの釈放でしたね。 もう誰でもかまわず身柄が確認できれば全部釈放したのです。つまり刑期の徳政令ですね。
おしりぺんぺんの時代があって、韓国人の手で近代監獄を運営することになってみると罪状・刑期の関係なしに、書類上の本人であると確認されれば釈放されたわけです。
これを当時の韓国では「パンドラの箱を開けたようだった」と表現するひともいます。
つまり犯罪がチャラになったわけですから、韓国型思考で言うところの ”原因と時系列(事象)の逆接続”が行われることになりました。その結果、犯罪者を捕まえていた警察や監獄は悪い組織だった。ということになったのです。(悪い組織に捕まるのは正義の側であるから、つまり犯罪者が正義であるという韓国型思考になってゆく)
マッカーサーの時代になってみると韓国にも軍備を持たせなきゃという考えがありました。ニホンでも旧軍の解体があって警察予備隊⇒自衛隊になったように。軍隊の無かった韓国でも軍の役目をする中核になるのは警察から進化するだろうという目論みがあったようですが、韓国では「警察は悪の組織」と考えられてしまったので。韓国では警察が軍になることはありませんでした。 (韓国の警察は九九式小銃などの旧軍装備だったし新編された南朝鮮国防警備隊は米軍の余剰兵器の供与を受けた)
このように韓国では善悪が逆転した状態が続くことになり、テロリストは義士になり売春婦は被害者になるというニホンでは理解しえない状況となりました。その結果、韓国の警察の仕事は ”酔っぱらいの保護”、”人間バリケード”、”汚職” という3つがお約束になったというわけなのです。(このほかにも落し物横領とかもやる)
さて新聞記事では50歳の身寄りが名乗り出ない犯罪者が心不全と手術で収監されて死んだことが「警察と検察・監獄が謝罪すべき事例」のように扱われているわけですが、登場する人間関係を見てみると、弟がいるのに ”半坪暮らしの兄” が心不全で死ぬまでは手術代も生活の面倒も見ずにいてしかも遺体の引き取りを拒否しながら葬儀を先延ばしにしているというだけの出来事なのです。
その部分が読めない韓国人の多くは「法の原則よりも優先すべきことがある」と考えてしまうようです。 まぁ、いずれ自分が警察に捕まった時にも ”刑期の徳政令” があって欲しいと考えているのでしょう。
”夢のアメリカ暮らし” なのに現地でホームレスになるよりもソウルに帰ってきて処罰されない社会で暮らしたいと考える韓国系アメリカ人も最近増えてきています。
韓国人犯罪者にとって韓国は世界で唯一韓国人犯罪者にやさしい国であるということです。(ワカラン)