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あまりにも重くて立てるのが容易ではない仏像

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まさに倒仏としか言えない
倒れた列岩谷磨崖仏  

慶尚北道 慶州市南山列岩谷磨崖仏 発見から10年以上放置されて元の位置を探す





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[ほとけのミーナ]2007年の5月末 "慶州(キョンジュ)ナムサンヨルアムゴク(列岩谷)で、統一新羅時代に造成されたものと推定される大型、磨崖(佛像(磨崖佛像)を発見した" という記事が一斉に報道されたことがある。 

磨崖仏とは石壁に文字や絵、仏像などを刻んだものだが、慶尚北道有形文化財第113号の石仏坐像(石佛坐像)の復元整備事業と関連した発掘調査をしていた文化財庁国立慶州文化財研究所(所長ジビョンモク)が偶然発見したものだ。 


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しかし、列岩谷磨崖仏は花崗岩(約250×190×620センチ、重さ約70トン)のある面を利用して浮彫(うきぼり)で表現したもので、当時仏像が彫刻された岩石は元の位置から傾斜面に沿って前方に倒れた状態だったため仏像の詳しい様子は分からなかった。 

釜慶(ブギョン)大学環境地質学科研究チームは去る2009年、地質学会誌に発表した論文から南山(ナムサン)ヨルアムゴク磨崖仏が現在の位置から約12m離れた自然岩盤に彫刻されていたが、切り離され、左回りの方向に20度回転したという見解を明らかにしたことがある。

研究チームは "仏像の風化状態や周辺の岩石の分布、その形態などを見た時、仏像は製作されて久しいず、突然の力で崩れた可能性が大きい"、崩壊の原因として779年の慶州地震を名指ししたりもした。


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▲初めて発掘された当時の磨崖仏、大半が埋もれていて、一部分だけが確認された。


国立慶州文化財研究所はその後、追加調査作業を通じて仏像の台座(臺座、仏像などの台)と両脚、胸と肩を確認した後、やっと仏の顔まで明らかにしたことで仏像の全体像が世に知られるようになった。




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▲磨崖仏をスケッチした、磨崖仏の想像姿


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▲磨崖仏の顔の堆積層を取り外し、顔の詳細な姿を確認することができた。


この磨崖仏は約4等身(等身)で、体に比べて頭部分が大きく表現されており、礼拝する人が磨崖仏を見上げる時の比例感を考慮して視覚的な効果をよく表そうとした点が目立つという評価を与えられた。 

国立慶州文化財研究所は、以上の特徴からみて、列岩谷の石造仏像は8世紀後半頃に作ったものと推定され、サムファリョン三尊仏、バリー・サムチェブル、石窟庵・本尊仏につながる新羅時代の仏像の大きな流れを続けている重要な資料として評価されると言う。 

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地中にほとんど埋められている形で約1,300年の歳月を過ぎても損なわれず、殆ど原型に近い姿を持った磨崖仏という点もこの仏像の発見が持つ重要な意義だ。




2007年に発見、復元対策、足踏み…周辺地盤安定化案も研究

1千年以上、ひっくり返ったまま地面を見ている慶州(キョンジュ)ナムサンヨルアムゴク(列岩谷)統一新羅、磨崖(佛像の元の位置を探す研究が行われる。

4日、文化財庁によれば、南山(ナムサン)ヨルアムゴクの石造仏像の元の位置と方向を確認して、仏像周辺地域整備と安定化に向けた研究が進められている。

南山列岩谷(ヨルアムゴク)の石造仏像は存在が確認された後から顔を出すための論議が進められた。 あまりにも重くて仏像を立てる立佛が容易ではないという判断に90度に回してきて臥佛の形で公開する案も検討されたが、実現しなかった。

国立慶州文化財研究所は2015年、磨崖仏の現況と保存処理結果などを盛り込んだ整備報告書を発刊しており、慶州市は韓国建設技術研究院に立仏の可能性を打診するための研究業務を任せた。

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当時、韓国建設技術研究院は、伝統的な工法では立仏が難しく、地盤を補強した後、ホイストクレーンという装備を利用すれば、磨崖仏を立ち上げることができるという結論を下した。

ただ、ホイストクレーンで立てる前に安全性を把握するため、模型実験をしなければならないが、予算24億ウォンが必要として、一応仏像に安全施設を設置する方向で専門家の意見が集まった状態だ。文化財庁の関係者は"韓国建設技術研究院の研究が8月まで続く予定"だとし、"研究結果などをもとに、磨崖仏を保存するようにすること" と話した。


(ソウル/みそっち)



まぁ、自然に倒れたのなら運が良かったですよね いえね、朝鮮時代は仏教が迫害されていて石仏の首なんか全部切り落としたんですよ。そーいう残骸がいくらでもあります。
古いハナシでは加藤清正の軍のころに朝鮮出兵したお侍を書いた日記に首の無い仏像のハナシが出てきます。

それから400年も過ぎたころようやく開国してからニホンから偉いお坊さんや生臭いお坊さんが大量に押しかけて手助けしたんですよ。そのときにまたびっくりしたんですね。 そのままだったんです。




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▲慶州の国立考古博物館には頭部の欠けた仏像が大量にコレクションされている、この多くは蒙古軍の進入や倭乱などにより毀損されたと解説版には書いてある。


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▲比較的原型を復元した"石造り五重の塔"、この復元には慶州大学考古学部による綿密な調査が行われ建立当時の荘厳な雰囲気を忠実に再現している
※周辺には余った部材が散乱している っておい



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▲百済の時代のものと推定される石仏、顔面がセメントで復元されているが、"周囲を圧倒する存在感とおだやかな表情" が親近感を与えている。
 
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 あの顔に似ているっ
 
韓国で復元された石仏はまるで "中世から伝わるフレスコ画のような温和な顔をしている" らしい
 

こんなのもある

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▲三韓高麗百済な時代の建立という石仏の頭部は歴史的考証と正確な検証を経てコンクリートで忠実に再現された (専門家の手による復元・・・)


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▲区庁が21日午前、南区斗旺洞グリーンベルト内の無許可の寺院に対する撤去作業を行なっている。蔚山市南区斗旺洞の開発制限区域(GB)内の仙岩寺が21日、強制撤去された。※菩薩像のたたりが怖くて目隠ししました。
 
 




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その口が文化財だって







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