事件追跡]武装脱走兵の都心の狂乱の殺人劇
-恵化洞武装脱走兵の銃撃の乱暴事件
2017-10-17 19:06:56
[国防ミーナ] 去る1993年4月19日未明、江原道鉄原郡近南面沙谷2里にある民家に、K1小銃と手りゅう弾で武装した軍人が忍び込んだ。 陸軍第15師団、戦車中隊所属のイムチェソン一等兵(20)だった。 'わんわんわん' っとけたたましい犬の吠える声が出ると、村の住民ナムヒョンウ氏(32)の妻が "この夜明けになんと犬がこんなに吠えて"して、門の外へ出た。
真っ黒な物体が彼女の前を塞いだ。 イム一等兵だった。 彼は、ナム氏の妻に銃口を突きつけて家の中に入った後、お茶の間のドアを開いた。 夫のナム氏はその時、ようやく目を開けて尋常でないことが起こったことを直感した。 壁の時計を見たら、未明は5時40分を指していた。
イム一等兵は野戦用のジャンパーのポケットに入っている実弾30発が装填されたクリップと手榴弾を見せながら、 "本当に生きていたくないからいい加減なことしたら殺してしまうニダ" と威嚇した。 イム一等兵は重武装した状態だった。 K1小銃と実弾130発、手榴弾22発を携帯していた。 彼は戦闘服の代わりに、ナム氏の空色の運動服に着替えた。
イム一等兵は、ナム氏にボンゴベスターワゴン車を運転をさせて "ソウルに行こう"と目的地をつぶやいた。 ナム氏には銃口を向け合った状態だった。
ワゴン車は午前6時20分ごろ、ナムさんの家を出てソウルに向かった。 ナム氏の車は、躊躇うことなく突っ走った。 京畿道南楊州郡と中部(チュンブ)高速道路を経由して2時間40分ぶりにソウルに潜入した。
ワゴン車が東大門に到着した時間は午前9時だった。
▲イム一等兵と銃撃戦を繰り広げている軍警。イム一等兵が首防司特別警護隊の銃撃を受けて負傷し、呻吟している(四角内)。 (出典=MBCニュース画面、ハンギョレ新聞の紙面)
ぽつぽつ穴があけた首都ソウルの警備
その間首都ソウルの警備・治安は穴があいた。 ナム氏の父親は同日、午前6時40分ごろ、"武装した脱走兵に息子が拉致された"と鉄原(チョルウォン)警察署に申告した。 約35分後に江原警察庁に武装脱走事実が報告されており、25分後の7時35分ごろ、全国の警察に検問検索強化令が下された。 警察が最初の通報を受けて検問検索強化措置を取ることまで、実に55分がかかった。
15師団を管轄する5軍団憲兵隊は警察の連絡を受けて午前7時10分に武装脱営事実を知った。 10分後、1・2・3軍司令部に状況を伝え、首都防衛司令部に知られたのは午前8時20分だ。 いざイム一等兵の所属部隊は脱走の事実を上部にまともに報告しなかった。 武装脱走の事実を遅れて把握していたことだ。
検問所を通るたびに勤務者がいないのか、そのまま通過した。 7時45分ごろ、イム一等兵が乗ったワゴン車を初めて発見した光陵内の検問所では勤務者たちがプライド乗用車で追いかけそこねたハプニングも起こった。
首都圏の防衛を担当する首都防衛司令部の対応もいい加減だった。 脱走の事実を報告された首都防衛司令部は首都圏一帯の検問検索よりは京春・京釜(キョンブ)・中部高速道路一帯に兵力を配置、イム一等兵のソウルへの進入を阻止することができなかった。 ソウルに進入したイム一等兵は午前9時20分ごろ、東大門付近で、ナムさんの家に電話をかけて "おばさん、東大門付近だが、心配いらない"は余裕まで働いた。 イム一等兵は午前10時30分ごろ、イースタン・ホテルの駐車場に車を止めておいて30分間の休憩を取った。
イム一等兵は軍と警察の機動打撃隊が出動する気配を察知してイースタン・ホテルを出発し、苑南洞交差点 ~三仙橋~城北洞ロータリーを経て午前11時35分、鍾路区恵化洞(チョンログ・ヘファドン)オリンピック記念国民生活館の前に到着した。
市街戦彷彿とさせた銃撃戦
この時した下り坂で恵化派出所所属の警察官3人が車を止めた。 イム一等兵は銃を持って射撃姿勢を取った。 その隙を逃さなかったナムさんは車から脱出して坂を越え、城北(ソンブク)2交番に行って、身辺保護を要請した。 こうして、彼も辛うじて生き残ることができた。
ナム氏が脱出した後、イム一等兵は手りゅう弾を保護筒から取り出して小さなリュックサックに入れるなど追撃隊と対峙し始めた。 車を止めたにもかかわらず、イム一等兵が下車しないと、これを変に思った警察官たちが近寄った。 すると、イム一等兵は小銃を乱射し、乗っていた車から飛び降りた。 彼はここから車を捨てて幼稚園に通っていた息子を迎えに行きた金順愛(キム・スンエ)氏(女・36)を人質に捕まえた。
イム一等兵は、通り過ぎる車両と周辺商店を向かって無差別射撃をかけ始めた。 当地を通っていたソナタ乗用車(ホン・56)と1tトラック(チェチョンソク・27)も銃弾を受けた。 トラック運転者の崔氏が頭に貫通傷を負ってトラックと共に、歩道に倒れた。 近くのオトゥギ食堂でビビンパを食べていた金ソンス氏(39・大工)はステンレスの窓枠をくぐって飛んできた弾丸に太ももが当って、負傷した。 手榴弾も投げたが、幸い火をあける時に使用するソイ手榴弾だった。
イム一等兵は、人質のキム氏を引きずって50m離れた韓屋に入国しようとしたが門が閉ざされていて失敗した。 その時から、彼の狂気は極に達した。 再びやたらに銃を乱射してソイ手榴弾一発を道端に投げた。 イム一等兵は人質を集めて南に30m余りほど離れたオリジナルスタジオの前に逃げた。
この時バイクに乗って通っていたコソンジュ氏(51・商業)が乗合車の後ろに隠れしようとしたら、頭に正照準射撃し、その場で死亡させた。 イム一等兵は明倫洞1街チェジェチョル氏(55)家に殺傷用手榴弾を投げた後、銃を乱射し、家政婦、キム・ソンギュ氏(女・40)の両側大腿部に重傷を負わせた。
人質キム氏を連れて逃げていたイム一等兵は明倫洞(チョンロク・クァンスドン)のビルの前で30代の女性と子供2人を再び人質に取り、、通り過ぎるラボトラック(運転者李成根(イ・ソングン)、58)を立てると、李氏など5人を人質に取り、軍や警察と対峙した。
イム一等兵は"助けてほしい"と哀願する金順愛(キム・スンエ)氏の胸を銃で撃って重傷を負わせた。 再び、通りかかったヴェスタ乗り合い車(運転者ヒョンナムドゥ・23)に銃撃を加え、兄さんが負傷した。
イム一等兵はこのワゴン車に人質を乗せ、軍警と銃撃戦を始めた。 約5分間、戦争を彷彿させる都心の銃撃戦が繰り広げられた。 首防司特別警護隊所属の軍人らは、イム一等兵を正照準して集中射撃を加えた。 この時、両足と右の耳、腹部などに銃傷を負ったイム一等兵がその場に倒れた。 イム一等兵は赤黒い血を流したまま、ワゴン車の間に散らばった。
特警隊がいち早くイム一等兵の手とお腹を足で押さえつけた。 この時死んだと思われていたイム一等兵が生きている兆しを見せると、軍人たちが銃口をぐっと近づけた。 イム一等兵は病院に運ばれ、手術を受けた。 これで武装脱走兵の都心狂乱の殺人劇も終わった。
▲写真の出所=1993年4月20日付'東亜(トンア)日報'キャプチャ
1人死亡、7人重軽傷着て
この事件で1人が死亡して、7人が重軽傷を負った。 死亡したコソンジュ氏は、城北区敦岩洞市場で小さな野菜店を運営し、1人4女を育ている家長だった。 同日、コ氏は朝から押し寄せた注文に応じるなど、朝食もせずに鍾路区明倫洞取引先に配達に行って事故に遭った。
コ氏の妻は出前行った夫が戻って来ないと、変に思った。 近所の食堂のおばさんから"早く病院に行ってみなさい"という、連絡を受けてやっと事態を把握することになった。 病院で夫の死を直面しては大泣きした。
人質に捕えられ、胸に銃傷を負った金順愛(キム・スンエ)氏の夫は "白昼にこのような仕事がどう起こる恐れがあるのか。 いったい軍警は脱走兵がソウル都心まで何の制止もなく入るまで何をしていたのか" ながら、ぼうぜんとした。
軍警は検問の不備と協力体制の不備で武装脱走兵がソウルのど真ん中まで入ってくるように放置した。 ソウルでものろま出動などずさんな状況対処で無辜の市民たちが犠牲になる惨事を招いた。
国防部は、今回の事件の責任を問い、15師団のキム・ヒョンテ・少将(甲期157期)を補職解任し、師団参謀長も軍団、懲戒委に付託した。 イム一等兵が所属していた戦車中隊の中隊長チョハンオク大尉(31・3士官4期)と日直士官など5人を拘束した。 検問所の管理などの衛戍責任を務めていた5軍団憲兵隊長も、補職解任された。
警察も例外ではない。 警察庁はヨグヮンクソウル警察庁長(57)を書面警告して、警備課長イジェウン総警(57)など2人を職位解除するなど関連者8人を問責した。 一線の警察署状況室長など3人も懲戒を避けて通らなかった。 イム一等兵は軍事裁判で無期懲役を言い渡され、現在も服役中だ。
イムチェソン一等兵は誰
暴力前科3犯の問題の兵士 下士志願から脱走、降格のコース
イムチェソン一等兵は全羅北道井邑で4人兄弟の長男として生まれ、1992年2月、井邑(チョンウプ)テイン高校を卒業した。
彼は高校時代、有期停学を3度も受けた。 卒業後、下士官学校進学を条件に軍奨学金を受けた。 卒業後には高校在学中から付き合っていた恋人と同居生活をするとし、騒ぎを咲かせ、家族の反対で別れたりもした。 同年7月、友人らと付き合ってソウルに遊びに来た時、小遣いがなくなると、学生たちを相手に金品を強請り拘束されることもあった。 暴力前科3犯だ。
8月に全羅北道益山市ヨサン)にある陸軍下士官学校に入校した。 イム一等兵は軍に入っても適応できずに勝手に行動した。 下士官学校教育中の11月、友人に会うという理由で脱走した。 父の説得で自首して陸軍軍法会議で起訴猶予処分を受けて二等兵に降格された。
軍は問題私兵であるイム一等兵をきちんと管理しなかった。 前方部隊に配置したこと自体が志願兵管理の弱点を露呈したものだ。 イム一等兵は脱走を向けて緻密な計画を立てた。 一ヶ月前に弾薬庫の鍵を入手し、毎日、弾薬庫に出入りして、実弾と手りゅう弾を手にしたことが分かった。
(翻訳協力:2ちゃん番長)
まだ無期懲役中でしょうか、このくらい有名人ともなると易々とは出せないのかな
そういえばこの間の銃乱射もイム兵長でしたね 漢字で書くと 林さんです