みそっちのソウルちょっと探訪⑫
おつむゴンゴンの銅板はもう無いらしい
[ソウルミーナ]ソウルの探検って言えば荘厳な造形の総督府はもう無いし、ソウル駅も京城市庁舎も日帝の遺物で古いけどアレでしょ、南大門はもう見たよね。ソウル市がいちおししてるのは漢陽城壁っていうか、ソウル城郭とかいろいろ言い方があるけど、ちょっと足を伸ばして”おつむゴンゴンの碑”を見に行きましょうよ。 場所は川向こうのロッテワールドタワーのある石村湖のすぐ脇にあります
付近のロードビュー:http://map.daum.net/?srcid=7932325&confirmid=7932325&q=%EC%86%A1%ED%8C%8C%EB%82%98%EB%A3%A8%EA%B3%B5%EC%9B%90+%EC%82%BC%EC%A0%84%EB%8F%84%EB%B9%84&rv=on 振り向くとロッテタワーが見えるでしょ。
▲こんなことがあって(裏表ですからね 2個あるわけじゃないですよ)
これが2007年のことでした、キレイキレイにして移転したのです
370は370年目ということ あとは意味不明とも言われています。
(ウラ・オモテで철거 撤去、병자 丙子 やっぱり意味不明 )
この事件があったころは現在地から少し離れた児童公園のなかに建っていたそうです。近隣の住民も何の石碑なのか知らないまま全斗煥大統領のころからあったそうですよ。※それまでは埋められたり建てられたりを繰り返していた
文化財保護なんとかに運び込んで洗浄作業をしたのですが、石碑の移転要求があったり、最初にあった場所がよくね? なんてこともあって2010年にあたらしいところに移転されました。 こんなところですよ
▲三田渡碑 (史跡第101号) とか大清皇帝功徳碑とか呼ばれてますよ。台座は2個あるんだけどね。(元々は2つ石碑が建っていたらしい)
①三田渡っていうのは漢江の船着場のあったところらしいです。矢切の渡しみたいなイメージでいいかも。
②なぜそこなのかというと清の大軍20万人が整列できるところで選ばれたようです。
③漢江の対岸の地に石碑があったせいで朝鮮の王は対岸の地(現在の江南あたり)に決して足を向けなかったと言われています。
④現在の場所はロッテタワーのすぐ下になるところ、石碑を見下ろすことで精神的優位性が維持されるという見方もある。
⑤仁祖が降参してから2年の後に朝鮮人の手で字が彫られて建てられた。
あれれ? これしかないけどアレはどこ??
これ ↓
この銅板は1983年に作られたもので、描写の姿が事実と合わず、文化財的価値がないとして2010年に三田渡碑が毀損されて設置場所が移転された時に撤去した。Wiki
撤去した... そですか 残念っ
▲2010年まで現在は児童公園になっている場所にあった(見ての通りかなり大きい)
◇ ◇ ◇
教科書でちゃんと教えているのかな?
というわけでもう現物が無いのです、2010年に無くなったってことなので教科書にあるイラストもまもなく消え去ることでしょう。 それは歴史上の事実が無かったことにするという ”韓国型代償行為” ってことかな。
おまけ 無限ゴンゴン