シムイル少佐の公的真偽論争と度を超えた参戦元老侮辱
やっぱり声の大きい方が勝つ韓国の事情
歴史の証言者を思考力の状態が正常ではなく90の高齢の老人たちって
[国防ミーナ]今、国防部と陸軍は激戦中だ。 シムイル少佐戦功の真偽を判断する決闘が現在国防部傘下の軍事編纂研究所と陸軍の軍事研究所の間に行われている。
軍事編纂研究所はシムイルの戦功が本物だと主張していて陸軍側の軍事研究所はシムイルの戦功が捏造されたと主張していて深い葛藤があった。
葛藤が浮き彫りになると、双方はシムイル功績審査委員会を作って審判に座らせ、8回も激論を繰り広げた。 それでも結論が出ないため、委員会の名前で、この1月24日、一方的に公聴会を開催した。
とても話にならない強引さの公聴会だった。言葉が共青会誌公表会のようだった。
委員会というのが、皮をむいてみたらその研究所と同じ仲間だった。 博士、教授にする人を委員と選別したので、博士、多くのそちらの研究所へと走るしかなかっただろう。
シムイルの功績が本物だという事実を形式化してこれを正解に発表しようとした下心があったようだが儘ならなかった。 ごり押しに大きな反発が起き、公聴会は台無しになってうやむやにされた。 翌日メディアが入ってから辛辣に批判した。
自分たちの主張が百回、正しいと確信していたらこんな仕業をしなかったのにとても無理なことだった。この無理な公聴会でまた現れたのはシムイルの功績に対して否定的に言った、参戦元老についた公然の人身攻撃の侮辱だった。
真実究明のために軍事編纂研究所は主に文書記録を漁ってシムイルの功績の正確性を立証しようとした 陸軍側の軍事研究所は様々な証人を見つけて証言を聴取する方法を選んだ。
軍事編纂研究所は軍事研究所のこのような証言の確保の方法を "都市伝説" する信頼性のない方法で削って降り一歩さらにこの証言をした分を ”思考力の状態が正常ではなく90の高齢の老人たち” だと攻撃した。
公聴会が通り、静かかと思ったら、軍事編纂研究所は職員ではない教授らを動員して月刊朝鮮のオ某記者と会見をさせた。 これらの教授という人たちは現場の地理や戦闘状況も全く知らずに驚愕するほど幻想的な話をした。
軍事編纂研究所は軍事研究所のこのような証言の確保の方法を "都市伝説" する信頼性のない方法で削って降り一歩さらにこの証言をした分を ”思考力の状態が正常ではなく90の高齢の老人たち” だと攻撃した。
公聴会が通り、静かかと思ったら、軍事編纂研究所は職員ではない教授らを動員して月刊朝鮮のオ某記者と会見をさせた。 これらの教授という人たちは現場の地理や戦闘状況も全く知らずに驚愕するほど幻想的な話をした。
3月号の月刊朝鮮に出た軍事編纂研究所偏向の記事の中で81年、陸軍人事局次長がシムイル戦功の真偽を深層調査してシムイルの戦功が操作されたことを明らかにしたパク・ギョンソク将軍も例外がなく悪口の標的になった。
(翻訳・引用/2ちゃん番長)
あのシムイル少佐ですね。あっちのサイトに ”今月の6.25戦争の英雄” っていうのがあってその1番に出ていたひとなのです。 今見たら丸々削除されてました。アハハ
これね、いあんふおばあさんと同じなんですよね、韓国人がウソを苦にしないのはよく知られていると思います、また同じことを100回言えば真実になると信じていることもご存じですよね。
彼らはウソが心地よいものだと認識しているようなのです。
そういうわけでインチキな ”韓国版肉弾10勇士”というのが戦時中のどさくさで勲章が出ていて、それを最近になって「ありゃデタラメだったよ」とばらした将軍が出てきたとなったときに、 『確かに勲章を貰っているのだから戦功は事実だ』っていうのと『ありゃ気の毒だから勲章を申請してやったんだ、奴は犬死だったよ』 というのがやりあったわけです。
双方にとってそれぞれがこころの真実を言ってるからこれはもうどうしようもないんですね。
これが韓国人の面倒なところですよ。そのやり方で いあんふおばあさんなんていうネタを延々と毎週やってるわけです、そのうちに信者が増えてくると親に売られたおばあさんも、『赤い腕章をつけた憲兵がぁ』なんて言い出すのです。
認知バイアスなんですよ、精神病なんです んでも精神病患者にキチガイって言ったらいけないんでしょ。それでも ”思考力の状態が正常ではなく90の高齢の老人たち”
って堂々と主張するんですよね。 すごいでしょ
国家報勲処では6.25戦争60周年事業の一環として6月、護国・報勲の月を迎え、60年前、大韓民国と自由を守護した国内外の参戦勇士の犠牲を称えてきた国民に、特に、戦争を経験することができなかった若い世代に自由のための犠牲の尊さを悟らせるために『今月の6・25戦争英雄』を毎月紹介してゆきます。
6月の朝鮮戦争の英雄- 「シムイル」陸軍少佐
'シムイル'少佐は、咸鏡南道端川(ハムギョンナムド・ダンチョン)出身でソウル大学師範学部を2年修了し、陸軍士官学校に入学して1949年5月陸士8期少尉に任官され、春川(チュンチョン)に配置されました。1950年6月25日6.25戦争が勃発すると、シムイル少尉が所属された6師団正面には攻撃当日、春川(チュンチョン)占領の任務を与えられた北朝鮮軍の2軍団隷下2師団が配置されていました。 南下する北朝鮮軍のSU-76自走砲が味方の対戦車砲を打たれても砲弾を撃って前進してくると、5人の特攻隊を編成して手榴弾と火炎瓶を持って敵の砲塔の上に突進する肉弾攻撃を敢行した末に、北朝鮮軍の自走砲3台を撃破する戦功を収めました。このような戦功事実は瞬く間に全軍に伝えられ、北朝鮮軍の戦車及び自走砲に対する恐怖心を払拭できるようになり、全ての前線で肉弾攻撃で敵の戦車を破壊する契機となりました。 同時に、彼の英雄的な行動は、開戦初期に北朝鮮軍の南進を遅延させて国軍が漢江(ハンガン)防御線を構築して国連軍が参戦できる時間を確保する要因になりました。以降も忠清北道陰城(チュンチョンブクト・ウムソン)、慶尚北道永川などの戦闘でも参戦し、1951年1月26日、第7師団捜索中隊長としていた江原道寧越で、北朝鮮軍と交戦中、弾に当たって戦死しました。
政府ではこのような功績を称えて1951年10月、尉官級将校としては初めて太極(テグク)武功勲章と1階級特進(少佐)追敍しました。
その後、彼の生徒時代に教官だったソンヒソン(孫熙善)陸軍大学名誉教授などの主導で故郷の江原道寧越郡北面ママチャリに慰霊碑が建てられました。今の大韓民国をこの6.25戦争英雄シムイル少佐の犠牲や献身を記憶して、国を愛する精神を深める契機になったらと思います。
開戦のすぐ後ですが、春川で韓国軍が後退してたころに自走砲をやっつけたというんですが、その日にそこで戦闘は無かったというのはずいぶん前からバレていたんです
シムイル少佐(当時中尉)の小隊が武器を捨てて後退したことはおおくの客観的資料から明らかになってるんです。ところが韓国人のやることですからね、そればかりじゃないですよ、国家報勲処っていう国家機関が ”今月の6.25英雄”なんていうシリーズをやってますからね。毎月一人ずつでっち上げてるのです そのなかにはムスタング空輸やら白頭山艦やらの超時空戦記ものが目白押しですよ。
あのほら太極旗デモに軍服着たおじいちゃんたちがいるでしょ。参戦者っていうんですけどね。あれがまたベトナム揃いなんですよ。朝鮮戦争で韓国軍は戦闘に参加してませんでしたから参戦者っていうのはベトナムのことを言うのですね。
◇ ◇ ◇
あのペク将軍が今年になって体調をくずしてるようですが、次の大統領がムン代表あたりになると、死んじゃったあとに、国立墓地には埋めないとか言い出しそうですよ。 韓国はそういう国ですからね
ペク将軍こそなんにもしてない人っていうのが大々的にバレちゃうことになるかもしれません。
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バビュ~ン バンバン