ソウル奪還に韓国海兵隊は参戦していない
とんでもない韓国軍、ソウル奪還 国旗掲揚もウソ
総督府の建物を慌てて壊さなきゃならない理由があった
▲9月15日の仁川上陸作戦がありソウル奪還のお手柄として ”9月28日に中央政庁(旧総督府)に韓国軍海兵隊員が旗を上げているところ” と紹介されがちな写真。ところがこの写真は1950年9月の撮影ではないのです。
※教科書にもこの写真が登場するそうです
実は仁川上陸作戦に韓国軍は参加していないし。もちろんソウル奪還というお手柄も国連軍によるものでした。
以下、何枚かのお写真を見てみましょう。
▲真ん中の丸天井のとんがりのところが少し焼けています
中も燃えたみたいで窓から煤けていますね。
同じ頃に撮影されたソウル奪還後の中央政庁、国旗掲揚台には国連旗が掛かっています。撮影日1950年9月29日
という、この国連旗をあげたのはもちろん国連軍でした、ちなみに国旗掲揚台はこのひとつしかありません。 こちらも窓が煤けてますよね。 これも撮影の日付が分かっています。1950年9月28日
見るからに焼け方が違いますね。同じ頃に撮影されたようには見えませんよね、もちろんこのトンガリ尖塔は真ん中にひとつあるだけですから同じものを写してるはずですよ。
ということで、まず撮影時期が違います、韓国海兵隊の掲揚式は総督府の建物がお化粧直ししてから撮影されたものでしょう。つまり韓国海兵隊のお写真はニセモノってことなのです。
じつはこの国旗掲揚は韓国の海兵隊がお手柄を自慢するために時々再現していることなのです。そんなお手柄自慢ですが、しばらく行われなかった時期があります。
朴正煕大統領の時代になりますが、海兵隊の横暴が目に余るとなんと1973年に韓国海兵隊は解散させられてしまうのです。なぜかというと、つまり海兵隊が調子に乗って ”ソウル奪還は海兵隊の単独戦功” みたいなことを宣伝したりやらかしたからですね。
そうなってくると諸外国の記録にある歴史的事象との齟齬で空想戦記もバレバレですよね。そういうわけで、超時空韓国軍の活躍はこの時代に収斂されることになったのです。その結果、戦時統制権を国連軍に渡すまでの20日間(1950年6月25日~7月17日)ばかりだけに韓国軍の超時空戦果が存在するという奇妙な状態となっています。
海兵隊部隊の解体は韓国軍の大活躍が戦史研究院などでつぎつぎと捏造された頃と一致します。おなじみのペク将軍なんかは口封じの意味もあって外国に追いやられていた頃です。(大使とかね)
何でか? そりゃもう李舜臣将軍以来の空想戦記がすっかり見に染み付いているからですよ。もう教科書にも載ってるという歴史的事実にまでなっているのです。
韓国人は日めくりカレンダーをめくるように嘘をつくのですみなQⒸ
ん まぁね