来月8・15特赦… ′憲政101回目の特赦' 対象・幅関心
どさくさ紛れの刑務所囚人解放から韓国人による政権樹立まで、人気取りには必須
積もり積もっていよいよ”101回目”という韓国文化の特別恩赦
[昼のミーナ]24日、法曹界によると、今回の特赦は1948年の政府樹立後、憲政史上101番目の特別赦免になる見通しだ。 特赦の幅と対象はまだわかっていない。
朴槿恵(パク・クンヘ)政府は大統領恩赦の乱用に対する論議を意識して特別赦免を最大限自制してきた。 今まで特赦は二度行われた。
歴代政府の特赦は多様な名分と時代状況、経済状況などをすべて考慮して行われた。
初代の李承晩(イ・スンマン)政府は15度の特赦を断行した。 朝鮮戦争の渦中にも5回あった。
戦争勃発直後'非常事態下の犯罪処罰に関する特別措置令(大統領緊急命令第1号)'による'単独判事単審裁判'で死刑囚と長期囚が大量に発生し、随時赦免を通じて不合理な処罰の状況を正したものと解釈される。
張勉内閣時代(1960年6月15日から1961年5月16日)には2回特赦を通じて主に政治犯を救済した。
朴正熙(パク・チョンヒ)政権は総25回特赦をした。 大規模な拘禁と恩赦が周期的に繰り返された。 5回の大統領就任の際ごとに大規模な特赦が行われた。 維新以降は主に、野党政治家や思想犯が含まれた。
全斗煥(チョン・ドゥファン)政権も7年間の任期中に、20回もの特赦を頻繁に活用した。 盧泰愚(ノ・テウ)政府は5年の任期中に7回特使をした。
金泳三(キム・ヨンサム)政府では9回特使が行われており、大規模な不正事件に関与した政治家や企業のトップを含めた。
1995年光復節特赦の場合、現代(ヒョンデ)グループの鄭周永(チョン・ジュヨン)、鄭夢憲(チョン・モンホン)、鄭夢準(チョン・モンジュン)親子が含まれた。 韓電原発の建設不正にかかわった金宇中(キム・ウジュン)会長も赦免された。 スロットマシン事件の朴哲彦(パク・チョルオン)元議員もこの時、赦免された。
1997年建国記念日特使では全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)、秘密資金事件に巻き込まれた李健熙(イ・ゴンヒ)会長と金宇中(キム・ウジュン)会長が含まれた。 金会長は、この政権で二度赦免を受け、素晴らしい記録を残した。
同年のクリスマス特別赦免では内乱罪で服役中だった全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)両前大統領が解放された。
金大中(キム・デジュン)政府は5回特赦に踏み切った。大統領就任に合わせて549万人あまりの罰点運転者と懲戒を受けた公務員たちを救済した。
その後二度の光復節と3.1節、年末などに特使を通じて民生事犯たちの足かせを解除した。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は8回特赦をした。 偽装スパイチョン・スイル氏とタン・ビョンホ民主労総委員長など、公安事犯が主な対象だった。 以降は主に、前政権不正に関与した政治家と、大統領選挙資金で物議を起こした企業人たちが赦免された。 金宇中(キム・ウジュン)会長は、この時三番目の赦免を受けた。
李明博(イ・ミョンバク)政府では2008年6月に史上最大規模の282万人の運転免許の取り消し・停止者を皮切りに7回の特赦が実施された。 2008年の光復節の特赦には鄭夢九(チョン・モング)会長と崔泰源(チェ・テウォン)会長などが含まれた。 2009年12月には平昌オリンピック誘致のため'ワンポイント'赦免で、李健煕(イ・ゴンヒ)会長が単独赦免されたりもした。
(翻訳:みそっち)
なんといっても、”2008年6月282万人の運転免許の取り消し・停止者”の特別赦免っていうのが驚きでしたね。(当時の運転免許保有者数は2520万人)
運転免許証って一人に一枚じゃないですか、あんまりにもひど過ぎるということで自家用車での違反は大型免許や2種免許での運転には関係しないというふうに法律が改正されていましたよ。
そういう前例ができたので運転免許で生活しているタクシーやバス運転手のほかトラック運転手などは事故や交通違反をしても、生計にかかわるということで運転免許が保護される仕組みが出来上がったのです。
恩赦などがあると一時的に刑務所がガラガラになりますよね。するとその体制で職員数を加減するので刑務所では最小の体制で刑務所を運営しています。
省力化って こういうのを言うんですね