Follyの隣、路上放尿禁止の看板…恥ずかしい文化、光州(クァンジュ)
'文化首都、光州(クァンジュ)品格'2%不足した財団の対処法
第2回光州(クァンジュ)フォリープロジェクト'革命の交差点'作品
第2回光州(クァンジュ)フォリープロジェクト'革命の交差点'作品
[芸術のミーナ]光州(クァンジュ)ビエンナーレ財団が世界的な建築家の作品の前に'路上放尿禁止'の表示板を設置し、議論が広がっている。
財団は、光州北区中興洞、光州駅広場交通島に製作しておいた'光州(クァンジュ)ポリ作品'周辺で、市民たちの路上放尿が頻繁に発生すると、昨年9月、このような処置を取った。
▲光州駅広場交通島に製作ㆍ設置された第2回光州(クァンジュ)フォリーの作品であるイスラエル出身の建築家エヤル・ワイズマンの'革命の交差点'すぐ隣に'路上放尿禁止' の標識が設置されている。
財団は、この2013年'人権や公共空間'をテーマに'2回光州(クァンジュ)フォリー'を推進し、光州(クァンジュ)駅広場にはイスラエル出身の建築家エヤル・ワイズマンの作品'革命の交差点'を建設した。
市民たちの討論の空間として活用されるパビリオン(Pavilionㆍ庭園建築)の形で同年8月に建設されて、透明なガラスでできた空間内部には円卓テーブルが設けられている。
'革命の交差点'が建設されたが、作品鑑賞をする市民たちはそれほど多くない実情だ。そのような状況で作品の周辺に路上放尿行為が頻繁に起きた。
財団側は作品の維持管理をする'フォリー番'らが活動しているが、夜遅くまで行われる路上放尿行為を止めることはできなかった。 それによって作品の周辺で悪臭が発生すると、避けられないように'標識'を設置するようになったということだ。
現在'革命の交差点'すぐ隣に設置された'路上放尿禁止'表示板には、'ここは光州広域市で設置した光州(クァンジュ)フォリーⅡ'革命の交差点'です。 世界的な建築家の作品に路上放尿の摘発の際に民事ㆍ・刑事上の責任を問えることをお知らせいたします。 (財)光州(クァンジュ)ビエンナーレ'と書かれている。
財団側の処置で論争が起きている。 市民たちは'革命の交差点'を見に来れば芸術作品の代わりに'路上放尿禁止'表示板が目に先に入っているという反応を見せている。
市民キム(46)氏は、"率直に言えば芸術作品であることも知らなかった"、"光州駅周辺の商圏の状況が良くないが、ここを訪問する他の地域の人々が見たら汗顔することだ"と話した。
芸術作品の周辺で路上放尿をする'反文化的行為'が先に指弾を受けなければならないが、財団側の対処方式にも問題があるという指摘も出ている。
路上放尿の表示板を設置する瞬間芸術作品の格が著しく落ちることになるのはもちろん、光州(クァンジュ)市民全体が'反文化的市民'と罵倒されかねないということを見逃したということだ。
光州駅周辺商人は"光州駅を訪れる人たちがかなり減少したが、依然として外地人たちの往来があるところ"とし、"外地人たちが光州(クァンジュ)フォリーが芸術作品だという事実を知ると、光州(クァンジュ)には、作品の周辺に路上放尿をしている人が多いことが誤解することができる。 もう少し思慮深い処置をしなければならない"と指摘した。
これに対して光州ビエンナーレ財団の関係者は"最初は広報チラシなどを配布したが、改善されず、標識を立て、今年初め、CCTVを追加で設置した"、"最近は路上放尿行為をする人たちがなくなったが、'文化首都、光州(クァンジュ)'の品格に合った適切な措置を取るようにする"と話した。
(翻訳:みそっち)
光州の駅前なんですけどね、光州といえばアレのあったところですからあっち系のひとの基盤なんですよ。あっち系のひとばかりですから”世界水泳2019誘致”では政府の財政支援の書類を偽造してたりしました。
それにしてもあっち系のひとはこういうのが好きですね
駅前のロータリーの”交通島”に突如として設置されました
こんなのでイイの?というような拙速施工、光州は雪が少ないからね
一段低く設置されたところには雨が降ると水が溜まったり
光州ってどんなところ?
1980年の光州武装蜂起事件では、軍の武器庫が襲われて大量の武器が流出しました。その銃は事件鎮圧とともに全数が回収されたことになっていましたが、それから30年以上たった現在でも持ち出された銃の数や詳細は不明なんだとか。
建前として銃の紛失はあってはならないこと~~過去にあったかもしれないことも無かったことにするというのが文化なわけです。
▲ドラマ"俺たちの旅"のワンシーンのような写真が数多く残っています(物語は二流私大生カースケ、その同級生オメダと同郷の先輩グズ六(早大OB)が中心に織りなす友情と青春群像を活写し)
三菱製ではないホンモノのジープ豆知識
写真のこれは正確にはM151というものです、サスペンションがリーフからコイルスプリングになっているのが特徴ですよ、ベトナム戦争の頃に制式化されました。
▲市民が予備役兵の武器庫を襲って銃や実弾を持ち出しました、ジープの運転席の前にあるスペアタイアはなんと弾除けとしての機能も充実しています、(前が見えないと思うょ) 手前のは12.7mm重機関銃、3脚付きだと60kgを超えて弾帯まで合わせるととんでもない重量になるしろもの
▲どこのイスラム過激派かと思うような武器の山、バッカスDの空き箱に見えるハングルで韓国だとわかります。ブローニングのBARの使う弾は30.06、右はじに見えるのは散弾銃だけどね 左の方にはよくわからないのがいっぱい
▲持っている銃はM-1カービン、30カービンっていう拳銃弾のちょっと長いようなのを使うんだ、映画コンバットではヘンリー少尉が持っていたよ、この覆面をした運動家らがキタ朝鮮からやってきた特殊部隊(騒乱扇動部隊偵察総局所属)とされているんだ。(ヘルメットの餅焼きアミはとてもシュールでしょ)これが1980年だからね
▲1980年5月にはじまった民主化運動(←これも解釈がいろいろあったり)では国軍の出動のために軍事統帥権のある在韓米軍司令部が"出動許可"を出したから、民間人がいっぱい死んだのは"在韓米軍"の責任だ>>とする意見もありますよ
親キタ朝鮮派による武装蜂起説にはキタ朝鮮特殊部隊の登場する新説が後を追うことになりました。
▲軍用トラックの多くは朝鮮戦争停戦とともに余剰となったトラックが大量に韓国に置き去りにされたもの(この時点で30年物) くくりつけられた廃タイヤはもちろん防弾のためという説明も>>遠方は韓国の代表的国民車ポニー(三菱製エンジン)である。
▲銃や実弾が持ち出されたことにより一時は市街戦の様相に発展するかと期待されたが思いのほか簡単に投降するものが続出し第二次朝鮮動乱はこのあとまで待たされることとなった。(まだはじまらないけどね)
光州市は、全羅南道ですから韓国でもかなり変わったところですよ。
※現在では全羅南道のなかに位置する広域市ですが道庁の移転で過疎化が進んでいます。