韓国社会は伝統的に情と'ウリ'を強調する社会?
他人という存在を無視する韓国型思考と強制された助け合いごっこ
韓国共同体指数OECDメンバー国のうち最下位…駐車場の不和-孤独死も多い
[ソウルミーナ]経済協力開発機構(OECD)は、経済成長率だけでは、ある社会をきちんと評価できないという理由で2011年から毎年5月に、'より良い生活指数(Better Life Index)'を発表している。
この指数は共同体の指数をはじめ、△人生と仕事の均衡△安全△の両極化指数など複数の指標が含まれている。
▲OECD加盟国は現在34ヵ国、これにはロシアとブラジルも含めたらしい
韓国社会は伝統的に情と'ウリ'を強調する社会だった。 ところが、昨年5月、経済協力開発機構(OECD)が発表した'より良い生活指数(Better Life Index)'のうち、'共同体指数'を見ると、正反対の結果が出て、衝撃を与えた。 OECD加盟国にロシアとブラジルを含めた36ヵ国のうち点数が最も低かった。
共同体指数は'苦境に陥った時に隣人や友人など社会的ネットワークの支援を受けることができる'と回答した割合だ。 このアンケートで、韓国人は72%が"支援を受けることができる"と答えた。 全体平均の88%より16%ポイントも低い。 1位を獲得したアイルランドは96%だった。
※苦境?を自分のために利用するという”セヲル号遺族型韓国人”が大半です
建築学界では、韓国社会で共同体が破壊される主要因はマンションが普遍化される上、町の道が消えて孤立した生活空間が多くなるものだと指摘する。 人に合わせにくい道と建物配置が隣人間のコミュニケーションを妨げて葛藤ができてもこれをまともに解決できないようにするということだ。
どんどん暴力性が深刻化する階間騒音のトラブルが代表的な事例である。 昨年5月京畿道富川(キョンギド・プチョン)の集合住宅で下の階の男が上の階に住んでいた母子を凶器で刺した。 2013年2月にはソウル面牧洞のマンションで階下に生きていた男が上階の所有者の2人の息子を凶器で刺して殺害した。 言葉で解決することもできた階間騒音のトラブルが殺人へ広がった事例だ。
'駐車場の不和'も頻繁になった。 隣の車が自分の駐車空間を侵犯したというのが主な理由だ。 葛藤を解決する過程も、対話よりも法と手続きがリードする。 ソウル鍾路区のあるマンションの住民のチョギョンミさん(38)は"顔赤くしながら話したくないという理由に届け出からする人が少なくない"、"スマホで写真を撮って区役所に通報したり、匿名で牽引を申請する人もよく見ている"と話した。
共同体が破壊されて助けが必要なときに隣人の手を期待するのも難しくなった。 今年、相次いで出た児童虐待事件を見ると、隣家の子供が数ヵ月間、見えなくても隣人は"全く知らなかった"と話す。 自分の家で一人で孤独に死を迎える人も増えた。 統計庁は、周囲の人々と断絶されたまま、一人だけ死を迎える孤独死(孤獨死)が昨年1200人を超えたと発表した。
パクテスン社会葛藤の研究所長は"社会的資本である'信頼'が形成されれば、隣人間の紛争が発生しても対話と配慮で解決できる余地が多い"、"信頼は共同体意識と不可分の関係だが、共同体が生きているところほど、葛藤を解決する際にかかる社会的費用がはるかに少ない"と話した。
※共同体指数
経済協力開発機構(OECD)は、経済成長率だけで、ある社会をきちんと評価できないという理由で 2011年から毎年5月'より良い生活指数(Better Life Index)'を発表している。 この指数は共同体の指数をはじめ、△人生と仕事の均衡△安全△の両極化指数など複数の指標が含まれている。
(翻訳:みそっち)
となりのウチの人の顔も知らないというのがよく言われますが、となりのウチに上がり込んで冷蔵庫の中をチェックするという社会が世界中のどこにでもあるわけではありません。
この場合の”他人”というのが韓国では”存在しないもの”として扱われるため、韓国では他人以外の仲間という結束が非常に強固だと誤解されているわけです。
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ニホンがみそしょうゆを”おとなりさん”から借りていた頃の時代に、韓国はアジアの最貧国という地位にあったわけです。だからといってニホンにも練炭の時代が無かったわけではありませんが、1960年代ころの高度成長期を境にして練炭の使用量が減ったニホンと比べると、韓国の高度成長期といわれる198~90年代ころが韓国での練炭の最盛期だったと知られています。
最近ではニホンではほとんど見かけなくなった練炭ですが、韓国ではいまでも貧困層の家庭での熱源として欠かせないものとなっていて、寒い時期の練炭支援行事というものは韓国の助け合いを象徴する恒例行事となっています。
これを韓国の文化だとして韓国人の多くが”助け合い”だと言い張りますが、朝鮮での薪炭事情はじつは奪い合いだけだったのです。朝鮮末期のソウル(漢城)の人口が20万人程度だったことは確かではありませんが、じつはこれ以上の人口が増えなかった理由として燃料の薪木の不足がありました。
当時も荒廃する野山の無差別な伐採を取り締まったりしましたが、すでに見渡す限りの山々はすっかり禿山だったのです。
練炭はそんな朝鮮統治と同じ頃に発明されたものですから韓国の人たちにすれば”文明開化”の夢の燃料だったというわけです。
▶越冬準備のために練炭をあらかじめ買っている主婦たちの姿。とりあえず練炭は物価の優等生として価格は厳しく監視された。手が黒くなる配達のアルバイトは上京してきた苦学生の役目だった。
同じような”韓国流助け合い”には、今でこそ”キムジャン”と呼ばれる伝統的らしいキムチの集団作業がありますが、これさえも1930年代頃に出来た新しい文化なので、まれに”朝鮮時代のキムジャンについて”のような与太話も出てきちゃったりします。しかし現在食べられているキムチは20世紀に発明されたものなので”朝鮮時代のキムジャン”という文化が存在しなかったことを現在の韓国人に説明することは極めて困難です。 つまり現在の韓国人が誤解している”助け合い(練炭+キムジャン)”というものは1960年代の朴正煕のころの最貧国だった国が団結するために作られたものだということを知っておかなければならないでしょう。
▲毎年この季節になると”ヤクルトおばさん”がソウル広場で”愛の分かち合いキムジャン”を始める、お年寄りの一人暮らし家庭には10キロものキムチが届けられる、写真はおばあさんの家に上がり込み、口にキムチを押し込む様子