みそっちの ちょっとだけソウル⑪
身近な自然がいっぱいのソウル
今日はTwitterの投稿から話題になっているソウルの小動物をご紹介しましょう。
最近、ソウル新村(シンチョン)で町のいたるところにネズミが出回っている姿が写った写真がインターネット上に掲載されてインターネット利用者を驚かせた。
この2日から各種オンラインコミュニティの掲示板には、'新村(シンチョン)ネズミチュルムル'、'新村(シンチョン)でネズミ同士で楽しいこと'などのタイトルで掲示物が広がっている。
公開された写真には木の上を上がっているネズミの姿と街路樹の周辺に置かれた箱の中を捜しているネズミたちの姿が盛り込まれている。 ボックスの中にはビニールなど各種のゴミが入っている。
写真を公開したあるツイッターユーザーは、"そういえば、今日新村(シンチョン)通りますがネズミたちが特定ゴミ箱付近に積み上げられた箱の山にうようよ集まって遊んでいた"と明らかにした。
さらに、彼は"ボックスにジャンプして出たり入ったり通りですべり台乗り、木に昇ったりし、街頭往復したりもなかったこと"と付け加えた。
また、他のネチズンは自分のインスタグラムを通じて"新村(シンチョン)にネズミ出没"とし、ねずみ一匹が紙ボックスの隣に立っている姿が写った写真も公開した。
写真を見たネットユーザーらは"鳥肌が"、"本当にネズミはいつ見ても懐かしい感じがしない"、"虫がましだ。 ネズミはどう位置づけるか"、"ネズミが病菌でなければ良いのに.."、"新村地下に問題があって飛び出して出たんじゃないですか?"、 "私があれで新村を行けない"とし、多様な反応を見せている。
(翻訳:みそっち)
こどものころ伊豆大島に行った時にリスがたくさんいてびっくりしました。ソウルにいるのはちょっと違うようですが、貧しかった頃は貴重な外貨の収入源だったこともあるみたいです。
韓国もミンクのコート生産地だった
慶尚南道知事、ネズミ3万匹つかまえなさい"
[街角ミーナ]'コリアミンク'と呼ばれるミンクコートも主力輸出品でした。 ミンクはネズミよりやや大きめの動物です。 我が国には大きなネズミが多かったです。 それで大統領令で全国に'鼠取運動'を宣言して逮捕したネズミの毛をあつめて作ったのがコリアミンクだった。ネズミ皮をつけてミンクコートを作った会社が多かったのです。
面白いことも多かったが、大統領が直接道知事らに集めなければならないネズミの数字を割り当てました。 慶尚南道知事3万匹、忠清北道知事が1万5000匹…という具合に割当量は、人口比例に決めました。 また、造花と動物人形もたくさん作って売りました。 それで1964年感激の1億ドル輸出を達成しました。 おかげで、翌年1人当たりの国民所得100ドル時代を迎えました。"
ネズミは太って人は飢えている
ネズミが食べてしまう米は年間300万石(1年間の生産量の10%)にもなり、鼠捕りは食糧安保と直結された切実な課題だった。 劇場では映画の開始を知らせる鐘が鳴れば粉食を奨励する内容とともに、ネズミを捕まえようとする内容の字幕が反映された。 政府は行政組織である洞と班、面などを通じて各家ごとに殺鼠剤を配って全国的に一時に農薬を置くようにした。
町のいたるところには'ネズミは太って人は飢えている'、'一軒に1匹のみ見積もっても数万人が食べて生きていける'などのスローガンが書かれた宣伝物がけたたましくに貼り付けられており、田舎地域からは、里長が秋夕すぎの秋の刈り入れ時になると'ネズミを掴まえないと韓国がうまく暮らすことができない'と拡声器に堂々と大声で掛け声を大声を出した。
鼠取運動は輸出産業の一環でもあった。 全国的な鼠捕り運動が台頭するだけに、当時韓国は'ネズミの天国'であり、鼠捕り運動を通じて逮捕したネズミで削った毛をつけて作ったミンクコートを外国に輸出し、多くの外貨を稼いでいたのだ。 いわゆる'コリアンミンク'だった。 ネズミ駆除が外貨獲得の過程で予期せぬ大きな役割をして朴正熙(パク・チョンヒ)政府は人口比例に応じて直接道知事らに各道別に正さなければならないネズミ数字を割り当てることもした。
鼠取は家族が総出動しなければならない戦争だった。 学生たちも、やはり鼠取戦争の立派な戦士たちだった。 毎年春と秋に、鼠捕りの季節になれば小中高校の生徒たちは、鼠捕りポスターを描くべき、1ヵ月に何匹ずつ取ったネズミの尻尾を学校に持っていって鼠取実績を検査を受けなければならなかった。
鼠取運動は輸出産業の一環でもあった。 全国的な鼠捕り運動が台頭するだけに、当時韓国は'ネズミの天国'であり、鼠捕り運動を通じて逮捕したネズミで削った毛をつけて作ったミンクコートを外国に輸出し、多くの外貨を稼いでいたのだ。 いわゆる'コリアンミンク'だった。 ネズミ駆除が外貨獲得の過程で予期せぬ大きな役割をして朴正熙(パク・チョンヒ)政府は人口比例に応じて直接道知事らに各道別に正さなければならないネズミ数字を割り当てることもした。
鼠取は家族が総出動しなければならない戦争だった。 学生たちも、やはり鼠取戦争の立派な戦士たちだった。 毎年春と秋に、鼠捕りの季節になれば小中高校の生徒たちは、鼠捕りポスターを描くべき、1ヵ月に何匹ずつ取ったネズミの尻尾を学校に持っていって鼠取実績を検査を受けなければならなかった。
(翻訳:みそっち)
ドブに住むのがドブネズミで、屋根裏で暴れるのがクマネズミです。田んぼのお米を食べるのは野ねずみやアカネズミといった小さい種類になります。
韓国では今でも大々的なネズミ駆除を行っています、あまりにも日常的なので記事になることはありませんがソウル市内では毎週水曜日がネズミ退治の日になっているようです。
※先代の大統領の愛称が”ネズミ酋長”だったためそれまで行われていた全国規模のネズミ駆除運動は任期中に消えてなくなりました。
韓国のコメの生産量が戦時中の1943年のレベルに回復するまでに30年かかったというのはよく知られていますが、未曾有(みぞうゆう)の食糧難だった時代という1970年代まではいまの韓国人らのあいだでも語り継がれています。
これがアメリカの有償援助だった小麦粉の強制割り当てだったりベトナム戦争への派兵を通じて米ドルを手に入れたりといった現在の韓国経済と何ら変わることのない苦労をしていた時代のようすでした。
コメの増産では化学肥料が欠かせませんがそれすら輸入に頼るしかなかった韓国は”自然農法”としてアレを大量に撒きました、アレですから当然そのつぎにくるのは今でも蔓延しているアレになるわけです 右図参照
ネズミの”ミンクのコート”は韓国人の思うほどは売れませんでしたがその当時の”海外輸出1億ドル”というどこか一部になったことは確かなようです
当時のネズミ駆除の方法はネズミ捕り器はもちろん殺鼠剤は何でもござれというありさまでしたからネズミ駆除薬の誤飲などで死者が毎年100人以上出てくるなど混乱した様子がうかがえます
ネズミを捕まえるのに各知事に割り当てをするというのも驚きですが、ネズミの皮で毛皮のコートを作って輸出していたというのはもっと驚きです。
1972年の毎日経済の記事だそうですがニホンやアメリカに毛皮を輸出するんだということが書かれています、韓国毛皮工業株式会社というのは”韓国産”の毛皮を加工・販売する会社ですね。
この会社はその後オーストラリアからヌートリア(大型のネズミのような動物)を輸入して起死回生をはかりますが失敗して逃げ出したヌートリアは現在では漢江の流域に1万匹以上繁殖していると知られています
ヌートリアといえば去年のことでしたが”捕まえてお尻の穴を縫い合わせて逃せば共食いして減らせるだろう”という説が出てきたことがありました。