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記者たちの刑務所体験記①

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割と良かった? 京郷新聞社会部記者の刑務所体験日記

※この記事は、京郷(キョンヒャン)新聞社会部キムギョンハク記者が第70周年の更生の日を迎え、法務部が実施した記者団の収容生活体験に行って来て書いた文です。 キムギョンハク記者は"一晩寝たでもなく、一部の手続きは省略したりもしており、全国の刑務所の中で最も施設が良いという刑務所に行ってきたことであるため、他の刑務所、収容生活と大きく異なる場合がある"、"そのまま'この子はこのように行ってきてこう考えたね'という非常に軽い気持ちで読んでほしい"と伝えてきました。

■2015年10月25日日曜日の夜
明日は刑務所に行く。 気分が変だった。 実際に拘束されるのもはなく、ただちょっと体験だけしに行くものでも何か憂鬱た。 その以前の憂鬱さは数日前の金曜日からスムルスムル上昇し始め、週末、終始笑顔を見せなかった。 (普通はあまりよく笑わないタイプではあるが、…)に行ってみたいと希望したと思った。
TVを見ながらあちこち寝返りながら未明2時ごろ寝たようだ。 遅く寝に入った理由が憂鬱したせいか、日曜日なので昼に2時間くらい昼寝を寝たせいかははっきりしていない。

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▲ソウル南部刑務所の大運動場の全景

■2015年10月26日月曜日
同日の体験のため、法務部で'囚人護送車'(?)バスを調達した。 このバスはソウル瑞草洞(ソチョドン)にある検察庁舎から午前8時30分に出発してその時間に来たらバスに乗ることができると数日前から聞いていた。
個人的には、午前10時まで到着すればよいというので敢えて瑞草洞に行っていく必要はなかった。 瑞草洞(ソチョグ・ソチョドン)の寄って行けば時間の浪費など面倒なことがこれで私だけではなかった。 一人でソウル南部刑務所に向かった。

ソウル南部刑務所は、ソウル南部拘置所と隣接していた。 これまで良かったかもしれないが、刑務所どころか、拘置所近くも来たことはなかった。 建物は思ったよりもっと清潔だった。
'これに建てられたばかりでしたよ…'
"どうやって来ましたか?"正門の職員が尋ねた。
"記者です。 今日体験しに来ました。"
"あそこの正門から入って左にいらっしゃれば総務課があります。 その方にいらっしゃれば良いです。"

入口にいた職員が親切に案内してくれた。 刑務所建物(正確に言えば、事務棟のような建物)に入ると、ある職員がちょっと待ってって言った。 車が詰まってバスが予定より少し遅く到着するとした。 一人であちこち見て回ったら、刑務所の移転を記念して権在珍(クォン・ジェジン)前法務部長官が提供(?)した鏡が見えた。 2011年11月。'新しい建物だね。 それでは施設がいい。'
一人で呆然としていると、ある記者が到着した。 前に夕飯で一度見た記者だった。 嬉しくあいさつを言った。 'ついに同僚が生じた。'法曹の出入りはいつからしたのか、入社をいつしたのかなど話があった。 (記者たちはあらゆる行事で乗ってマスコミ社の記者たちに会ったら先にこのような話をしながら顔面を演奏する)"一人で、それでも一人でも来たら少しましですね"にっこりと笑った。 相手の記者も相槌を打ってにっこりほほえんだ。 もうすぐ刑務所入所を控えていた2人の記者は、にっこり笑った。

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※ふきだしの中の台詞は記者の作ったもので、タメ語で書かれているが、実際には尊敬語を書いた。

予定時刻の午前10時ちょっと過ぎてバスが到着した。 他の記者たちがどっと来たら、一方ではうれしくも思って、もう入って行かなければならないのかと思った。 ところが刑務所長のティータイムをしばらく持った後に入所する。 2階会議室に行って、所長とあいさつした。
続いて幹部職員数人が南部刑務所の沿革、規模、現況などを教えてくれた。 富川(プチョン)刑務所では富川(プチョン)刑務所となって、1968年から永登浦(ヨンドゥンポ)刑務所だったのが2011年にソウル南部刑務所に名前が変わったという。
現在ある建物では2011年10月29日に移転したという。 (さっき鏡は移転し、ちょっと後でくれたのかより)建物は20棟に刑務所面積だけでも22万9192㎡という。 昔の坪数で計算すれば、1万1134坪程度。 拘置所まで含めると、思ったより大きな方だ。 ここに収容された人たちは1100人だという。
ほとんど懲役刑のようなことを受けた'受刑者'だが、160人余りは'労役数'という。 労役数は、罰金を出す事情がならない時の労働で、1日に罰金10万ウォンほど減額される人々だそうだ。 通勤はなく、彼らも刑務所に収容されて労役をするという。

※韓国の懲役には犯罪者保護のため労役はありません、罰金を払えない場合だけお仕事が斡旋されます

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やや固い感じの現状についての説明を終えて、刑務所の正門に向かった。 事務棟から出て右側に帰ってから、刑務所正門に出た。 (おおきな門ではなく単なる一般の建物の入口のような形で、特に'正門'という感じは受けなかった。 威圧感があまり持って親近感を与えるためにこのように作ったもんかなと思った)"、もう携帯の電源を消してください"幹部職員が言った。
記者たちが携帯電話を集めることに、ある記者は彼女に'もうムショに入るから電話できないよ'という内容のメッセージを送っていた。 (盗み見るとしたものはなく、何か急いで使うと見えて目が自動的に行ったら。すみません;)"ちょっと待って化粧室をちょっと"としながらトイレ行ってきた記者もいた。 (体験とはいえ、実際に入所したらみんなちょっと緊張したようだ

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”2列縦隊に合わせてください”。 除隊後数年ぶりに聞いてみることかと思った。 (今考えてみたら、予備軍訓練を受ける時も聞いた)
刑務官たちとCRPT一人が記者たちを引率した。 CRPTとは'刑務所の憲兵(?)'と呼んだりもするが、名札には機動警察、機動パトロール?(1日過ぎたの記憶が日照り;)
とにかく黒い服を着て、ほかの刑務官たちと違って、多少怖そうな彼らだった。 (記者たちと言い方はとても親切だった)刑務官CRPT二つ合わせて職員として呼称する。

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記者たちが到着したのは入所と出所の際、必ず寄港する'新入の収容者教育'だった。 教会の椅子のような広々とした椅子が5本置かれていた。
記者たちは3人ずつ椅子に分けて座った。 ここで収容者本人確認などをした後、所属部屋収容番号(番号、称号番号とも呼ぶ)を与えられる。

'3の2'、'7003'という二つの名札を受けた。 3の2は数棟あるうち3番目の棟(マンションと似ている)の2階(2階は中、1階は、3階は異なった)2番目の部屋という意味だ。
7003番が身分を示す数字だ。 (昔には無条件に収容者を呼ぶ際、番号だけを呼んだたが、最近は番号と一緒に名前も呼んでくれるという。 ところで番号で呼ばれる場合が多かった)名札の色は白だった。
死刑囚は朱塗り麻薬犯は青色強力犯罪は黄色、残りの一般事犯たちは白色の名札をつける。

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ここで身体検査(社員は検身と呼んだ)も行われる。 教育片方の味方に病院の患者カーテンのようなものがあるが、このところに刑務官1人と一緒に入って着てきた服を全部(下着まで全部)脱ぐ。 そして聞いた肛門検査も実施する。 以前は肛門検査を刑務官の肉眼(実際目…実際に、近くで見るためには、においもしたのに;;)で見たが,今ではレンズでのぞく。 足跡の模様が描かれた機械(体重計の大きさで、足跡の模様が描かれたのは体脂肪測定器ともっと似たように格好)に上がり、書面の足跡の中にあるレンズが付き、機械の横にあるモニターで'そこ'を確認することができる。 タバコのようなものをそこに入れて来た収容者も一部あって必ず確認しなければならないという。 (刑務所での肛門検査は、憲法裁判所で合憲の決定が出たことがある)この日の記者を対象に肛門検査は省略だった(よかった...ㅠ)だが、服を着たまま一度登ってみた。 機械の上に立ってみるとそれなりに鮮明に見せており、機械の上に座ったら、あまりにも赤裸々な大きな尻がモニターに入った。

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健康診断も受ける。

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収容生活をした際に使用する品物もここでもらっている(一つの場所でいろいろなことが行われる)。服、毛布2個、歯ブラシセット、匙と箸、食器、タオル、ランニングシャツ、パンツ、履物が支給される。
まず、服は濃い紺色なのは一般囚人服だが、この日、記者たちは浅葱色の服を受けた。 空色は1級収容者(収容の成績によって処遇が違ってくるが、1級が最も模範的な収容者であり、4級が最も低い級。ランクによってできることがたくさん変わったこと。以後に追加で説明しよう。)が着ることだ。
毛布2つは軍隊、毛布と似たようなもので毛が長くてもっと暖かい感じ(最近軍隊はもっと良いのが出るかもしれない。そして軍隊をよく知らない方のために追加説明すると、花札をするときに使用する緑毛布が軍用毛布であること)だった。


ここでも登場するのは軍用毛布

歯ブラシセットは開け閉めのできる透明ビニールパックに含まれていて、石鹸や歯磨き粉、歯ブラシが入っている。 (一般的に考える携帯用歯ブラシセットと似ている)
スプーンはプラスチックで箸は最後を切ったようにちびだ。 お箸で他人を害さないようにしたものだというがそれで一般のお箸より食べ物をつまむ不便だ)
食器はプラスチックのボウル3つに大きさによって大食器、中食器、小食器と呼ばれる。 最大の食器には主におかずを詰めて、中食器には汁、小食器には、ご飯を入れて食べる。
タオルは薄い緑色(薄くて乾いてはよく乾いて誕生した)だ。 ランニングとパンツは別途に支給されなかった。 着て間の下着に囚人服を着た。 (質感は感じてみなかったこと)、履物はもともとゴム靴が支給されるが、同日、記者たちは1級収容者とおなじような運動靴が支給された(運動靴や下着などは領置金で購入できる。 少し後で、購入物品の購入の際、再び追加説明する)
スニーカーは紐がなく、マジックテープで、一般的なブランド名が書かれたところに'法務部マーク'が書かれていた。 この運動靴は誰もでも与えられるものではないと職員たちが強調した。
囚人服を着て写真を撮る。 映画でたくさん見たように、数字と名前が書かれた紙を持ってカメラを見つめてみるとなる。 ペーパー位置設定キーが昔はあごの真下だったが、これはへその位置に置いて撮るそうだ。 (人権委員会などで指摘された後、から写真に番号が出ないようにそんなに撮るそうだ)

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良い子にしていると独居房に入れる

再び2列縦隊に立った記者たちは部屋に向かった。 '3の2'と2階に上がった。 廊下のマンションと一緒にできた作りで、東側に部屋がぎっしりと入っていた。 (正確にわかんないが、一列に10部屋の程度あったものと見たこと)の廊下に置かれた下駄箱に靴を'きちんと'おいて部屋に入った。 (この部屋は居間と呼ぶ。 数人で生活をしているところは雑居室、一人で生活をしているところは独居室が正式名称だ。

独居室は罰を受ける時に一人で入る'独房'概念とは違って、快適に一人で生活することができる場所としてすべての収容者たちが好む部屋だ。

このため、当然収容性的が良くなければ入ることができる)ドアは引き戸ではなく、扉が、マンションの玄関のドアのように自動的に閉まる。 記者たちが、すべて部屋に入ると、機械音(昔のようにガチャンというような音ではなくジイ~ンに似た音が小さく聞こえたこと。気にしなければわからないこともあること)が届いて、部屋のドアの鍵がかかった。

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部屋の大きさは約12平方メートルで、坪数で計算すれば、3.6坪ほどなる。 収容者の現況によって一部屋で5~7人程度生活するという。 (普通は6人で生活するという。 記者たちは4人で一室を使った)
部屋の全体的な色は明るいオレンジまたは杏色(ベージュ色のようでも)で華やかなトーンだ。 建物の外も似たような色の煉瓦で作ってくすみとは程遠い。 床はビニールが敷かれていたのだが、クッション感は全くなく、コンクリートの硬さがそのまま感じられる。 (後に気温が下がると、冷たい機運もそのままよ)
第一印象は悪く(?)なかった。 施設が良い所と聞いたんですが、思ったよりかなり良いという気がするほどだった。 (これも後には考えが変わる)

外の窓格子の向こうでは青い空も見えた。 (1~2階の窓に格子のある家でも生活してみたことあり異質感は少なかったようだ)部屋の構造を見ると、ドアに入るや否や右には流し台がある。 その横には食器を置いておくことができる空間と箸箱がある。
左側には枕と毛布を置いておくことができる空間があり、その上壁には各種案内文が貼られている。
案内文には収容生活に対する情報がぎっしりと書かれている。 案内文の隣の壁の方には個人ロッカーが一列にある。 ロッカーは布で隠すことができるようになっているが、布を聞いたら中の内容物を簡単に閲覧できるように作ったようだ。 その上壁にはTVがある。 TVは、決まった時間だけに矯正放送(ボラミ放送だと呼ばれた。後に追加説明しよう。)を視聴することができる。
さらに上には、個人の服とタオルをかけられるハンガーがある。 自分の服とタオルをハンガーを利用して掛けることができたのに、ハンガーはなかった。 (ハンガーは買えばよい)

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もはや残された空間はトイレだ、トイレには洋式トイレと蛇口、洗面器、トイレットペーパー掛け、ゴム洗濯板、石鹸洗剤などをおくできる据置台がある。 トイレは閉鎖されているが、半分から上は透明ガラスになってあって外から内をよく見ることができる。 ここで大と小、洗面、シャワーなどを全て解決する。 大をするために便器に座っていると、部屋に座っている人の目を見ることができる。
化粧室の外に座って見れば、顔までは見られる。 (頭を下げたり、座高が小さければ、顔が見えないようだ)
一定の気温以下に落ちなければお湯が出ないという。 同日のように曖昧な秋、春には冷たい水で洗うしかない。 (一週間に一度はお風呂の時間があるだろうという)しかもの蛇口も低いところ付いていて洗面器に水を受けて、シャワーをするには非常に不便するしかない。 (ソウル南部刑務所はホテルで言えば5星級収容施設に該当するという)
トイレの壁には鏡もあるが、鏡はプラスチックで作られている。 ガラスで作られ、凶器に使われることができるためだという。 そのためか、ガラスの鏡とはちがって、照らして見れば、顔がゆがんで見える。 (凹面鏡と凸面鏡が混ざっているわけだ。いびつな顔を見るともっと憂鬱になる恐れもあるという考えが…)
紙くずには模様がある。 漢字(漢字の音訓が書かれていること)と英語(絵とともに綴りが書かれていること)の言葉がある。 この前に他の所で見て驚いた記憶があるが、刑務所の外では容易に見ることができないティッシュペーパーのようだ)

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食事時間。 隅に建てられているお膳を伸ばすと、きみどり色の蛍光チョッキを着た使役ヘルパー(職員たちを手伝って仕事をする収容者たち。これらも同士で部屋も入っていて、恩恵もある)らが廊下を通って食事を提供している。
白いプラスチックのバケツを廊下側の格子の間に来れば、使役ヘルパーたちがご飯と汁物、おかずを盛り付けてくれる。 食べ物が入ったプラスチック箱を格子の間に受け取って、各自の食器に分けて入れて、食膳の上で一緒に食べる。 (4人であるため、十分に座って食べたように)
この日の昼は、豚肉炒め、近代みそ汁、サムジャン、ゴマの葉、キムチ、ご飯が出た。 うまかった。 ご飯を食べ終わったら残飯を配食時に使われたプラスチックのバケツに集めている。 これを、窓の隙間に置いておくと、使役のひとが整理して、空き缶を再び窓格子の隙間に入れてくれる。 皿洗いは食器当番が順番にするという。 (社員も当番チェックをして年齢が多いと、力が強いと皿洗いや掃除をしない場合はないと言われるが、確認不可)
お昼の時間にはラジオ放送が出ている。 女性DJが進行する番組なので、ボラミ放送だ。 計画の進行は、一般のラジオ番組と大きく変わらない。 リスナーは、その内容やリクエスト曲を送って、DJは、事のてん末を読み上げ、リクエスト曲を流している。 刑務所の外にいる人たちも収容者をために、その内容やリクエスト曲を送ることができる。
ボラミ放送:矯正放送、涙の出るような親孝行のハナシばかりが繰り返し放送されるらしい

食事をして座っていたら、運動時間だという。 ドアが開かれて靴を履いた後、職員のよって運動場に移動する。 土からなる大運動場は斜めに横切って100m余りがありそうに見せており、足球(チョック)競技場3~4個が描かれていた。
一角にはバスケットボールのネット一つと、町内の遊び場で見られるような運動器具が置かれている。 足球が最も人気のある種目という。 運動時間は30分で棟別に戻りながら使用して、大運動場も誰も使えることがなかった。
一部の優等の収容者たちだけが使用して、残りは同建物の間にあるやや狭い運動場で運動する。 収容者たちが最も好む時間が運動時間だという。 そのためか、みんな一生懸命に運動するように見えた。


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運動を終えて再び部屋にもどった。 一般の収監者たちは午前か午後の時間帯に仕事をしたり、職業訓練、人性教育などを受けるという。 記者たちは1時間後、人性教育が予定されていた。 その時までに部屋で座っていなければならなかった。 (TVを見ることもあったが、TVを見ることができるのか分からない、ボッーと座っていたこと)何もなかった。 時計もないので何時かどれほど過ぎたのかわからなかった。
みんな黙々と収容生活についた冊子だけ回しながら読んだ。 1時間ほど過ぎただろうか…何の話もなかった。(国防部の時計より法務部の時計のほうががもっと遅く行くようだった)

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ムショの中では自由におやつを買うことができる

壁に貼られた案内文には自費購入物品リストがぎっしりと書かれていた。 自費購入物品は入所する時にあずけたり、知人が入れてくれたお金(領置金)で買って食べたり書けるような物品だ。
お菓子、ソーセージ、燻製チキンのような食べ物は毎日申請することができる。 (お菓子も曜日などによって品目が定められている。 一日はビスケット、1日はパイなど)、一方、服、運動靴、ボールペンのような用品は申請できる曜日が定められている。 OMR答案用紙のような自費物品購入の申請書を受けて、名前、番号、部屋番号などを書いて提出すれば2日後に物品を受けることができる。
食べ物は2万ウォンの限度内で申請できるが、水曜日は4万ウォンまで申請できる。 水曜日に申請した物品を金曜日にされるが、週末には申し込みをすることができない、週末に食べることを予めたくさん申し込んでくれという趣旨だ。 物品の中で一番高いのは4万2440ウォンの寝袋だ。 一番安いのは230ウォンのハンガーだ。 おやつの値段は燻製チキン2580ウォン、さきイカ2280ウォン、ソーセージ2190ウォン、スナック870ウォン、ビスケット770ウォンだ。 (2015年3月23日現在、基準ですので、後にさらに高くなったと考えてはいけない)

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そんなにリストを見ながら2時間ぐらい経ったようなときようやく人性教育を受けに行くとした。 (実際には1時間過ぎたこと。部屋にぼんやりしていることよりはいくことがそれでもましだ)
2列縦隊に並んで教育室に行ったら、すでに2時限目が進む中だった。 今年から'受刑者への集中人性教育'という名で行われる講義だが、外部講師たちが来て様々な話をしている。 20人余りの収容者たちは講師の質問に挙手して答えて、非常に集中して聞いていたように見えた。 講義室のいたるところには植木鉢が置かれており、相対的に和やかな雰囲気を与えるために努力したように見える。 講義室だけでなく、刑務所の廊下にも絵がかかっており、インテリアにも気を使ったのが目に見える。

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新入の収容者たちは性格検査を実施する。 一部収容者は適性検査、知能検査もする。 人性検査は普通入所7~10日頃に受けるが、この結果と矯正の成績によって処遇が決定される。 処遇は一種の等級のようで、4つの等級がある。 S1(エスワン)と呼ばれる開放処遇級(最も優秀)、S2(エストゥ)と呼ばれる緩和の警備の処遇級、S3(エススリー)は一般警備の処遇級、S4は中警備の処遇級だ。
処遇等級によって1日に接見(面会と同じ言葉)・電話できる回数が変わる。 例えば、S1は一ヶ月に通話を5度、S2は3度、S3とS4は特別な状況でなければ電話をできない。 電話は一度に3分以内にすることができる。 これもすぐしたいとしていうことではなく、申請書を作成して提出した後、2日後で行うことができる。


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人性検査を終えて、接見室に向かった。 面会に多く知られているが、刑務所内の正式名称は接見だそうだ。 接見は、部外者と会う所だから地下通路を通って他の建物に移動する。 通路がそれほど長くはない。 湿気が多く、冷え冷えしたセメントのにおいがした。 よく建物の地下で見ることができる下水口のふたにも2つずつ大きな錠が満たされているのでそこが刑務所であることを語ってくれた。 (それでもこの道が収容者に対しては数少ないときめく時間ではないかと思う)

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待合室は接見前の控え室と会談後の待機室2つに分けている。 接見前の控え室にぼんやりと座って番号を呼ぶまで待っている。 番号が放送で出て部屋に行ったので職員がいる。 (当然、記者を一日いる面会に来た人がなく、社員が代わりにしてくれた。 それでする言葉はあまりいなかったこと)外部と遮断するガラスの壁は2つがあり、その間には窓格子がついていた。 ガラスの下には目覚まし時計みたいな機械があったが、残った時間は見せてくれた。 15分がカウントダウンされた。 この機械がマイク、スピーカーの役割もするように見えた。

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最近は一般接見せずに、PCやスマートフォンで画像との会談もできる。 PCは矯正本部のサイトを通じて予約すれば良い、スマートフォンとの会談は、アプリをダウンロードすればできる。 スマートフォンとの会談は、今年のモデル事業を経て、来年に正式に実施されるという。
部外者が申請すれば面会が可能な一般・PCテレビでの接見と違うようにスマートとの会談は、収容者が相手を指定して申請することができるという。 代わりに、無料ではなく収容者が電話カードを買って充電して使わなければならない。 一度に7分程度の画像通話ができる。 一般接見室とは違って、弁護人接見室は遮断壁で対話できるようにしておいた。 場所の変更の接見室というところはソファまで置かれており、外交使節団の接見や特別な場合に使用することができるという。 接見も処遇等級によって回数が制限されている。 S1は一日一回毎日接見できる、S2は月に6度程度できるという。  ※あの大韓航空副社長は特S級だったそうです
  

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点呼の後のテレビは寝転がってみてはいけない

刑務所の日課は午後5時に終わる。 午後5時には部屋に入って人員点検を受けなければならない。 人員点検は軍隊の点呼と似たように番号を叫ぶ。 職員たちが廊下を通過して、"2号室"と言われれば、'一'、'二'、'三'、'四'、このように叫べばよい。 人員点検が終わったらTVを視聴することができる。 2つのチャンネルが出ているが、同日夕方には、KBSの<スーパーマンが返ってきた>をやっていた。 ニュースを除いた残りの番組は全て録画した放送をつけるのだ。 TVを見て横になったが、職員が"お座りください"と厳しい一言した。 横になってTVを見ていた記者たちは再度、座ってTVを視聴した。

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日が暮れて雨が少しずつ降った。 床で冷気がそのままお尻で伝達された。 (わかってみると同日夜からオンドルが入ってくるという。 後にある検事に刑務所がオンドルの床という話を伝えたら彼は'世の中よくなっている'と述べたりもした)
記者らは、釈放が予定された午後9時を待った。 上でも話だったが、時間が本当に進まない。
数時間後、職員たちが8時にいくと伝えてくれた。 何か思ったんですが、矯正の日を迎えて30分早く仮釈放するとした。 仮釈放だって?・・・


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ぽっとしていた記者たちの口元に笑みが広がってドアが開かれた。 出所の時も入所と同様に新入の収容者教育室に向かう。

ここで預けておいた服、領置金を返してもらって出所することになる。 当直の幹部が他の出所者たちにもこんなにするとし、"元気で暮らしてください"という一言とともに肩などを軽く叩いてくれた。


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新入の収容者教育室に出て刑務所の正門に向かう20mほどの道に出た。 わずか10m余りの中で感じた空気とは違うという感じ(言葉そのまま感じだけ)だ。

刑務所の正門で本人確認をして出所した。 昨年までは、満期日の深夜に出所させたという。 そして今年からは満期日の午前5時に出所させるという。 夜12時に出所しても大衆交通機関もなく、別に居住する場所がない収容者はもっと苦しんでいるということだった。

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バスを乗って刑務所に来た記者たちはバスに乗って帰国した。 早く家に帰りたい気持ちに、独りで自宅に向かった。 それでも豆腐でも食べなさいという知人らの助言に家の前のスーパーに立ち寄って'煮物の豆腐'を買って食べた。


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満24時間でもなく、正確には9時間程度の収容者で生活した。 感想を整理すると、収容生活が'考えたよりは'よかった。 しかし、矯正施設とプログラムがいくらよくて、職員たちが親切に接してくれても刑務所は刑務所だった。
トイレからはじめて全てが露出されて収容者にプライベートとはない。 (教育室の横にある収容者用トイレも上半分は空いている)
いくら私偉そうな人でも囚人服を着ていれば収容者であるだけだった。 むしろ恵まれた人であればあるほど、より自壊感を感じることもありだろうと思った。
一方では豆腐一丁持って刑務所に迎えに来る人も、刑務所を出て、体を頼る空間もない彼らには刑務所がもっと楽な所であると思った。
それでも刑務所にいるときは服役者もいて、職員らの暖かい一言も聞くことができるだろう。 しかし、刑務所の外では、前科者だという事実が知られるの顔色を見なければならず、いうなら、前科者だというレッテルからは釈放されないかもしれない。 たとえ教化された収容者を訪ね、暖かい豆腐一丁はいられない与えても、これらも一緒に生きていかなければならない韓国社会の構成員として収容する成熟した社会がなったらいいという気がした。


(翻訳:みそっち)



今日は矯正の日だったのですね、そいうわけで各社の記者が刑務所体験をしています

独房のほうが良い部屋だなんていうのも韓国は独特ですよね。
居心地の良い韓国の刑務所のおはなしでした

産経新聞のカレもこんな暮らしをするのかな?  うひゃっ


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