韓国の山火事の被災者のために体育館に設けられたテント
ニホンより災害が比較的少ない韓国の方が進んでるって?
[話題のミーナ]8日、韓国の韓国日報はニホン語のTwitterを引用して、「韓国の災難対応を日本ネチズンが羨んでいる」と報じている。
韓国には、各種の検索を通じて、ニホンでの韓国の評判を24時間監視する専属の職業や部署があり、その人員は各社合わせると、およそ2000人程度の規模だと推定される。
韓国待避所すばらしい、私たちはなぜだ”うらやましい日本ネチズン
韓国の避難所は、個々の六角形のテント形式で建てられ、日本の避難所は、縦横を分ける木の棒の上に布団や布にかけてた形だ。日本の避難所は、最小限のプライバシーを保障難しく見える。
韓国の避難所が良い理由をフォーマ分析した文もある。あるネチズンは「韓国は民主主義が定着しており、適切に市民を保護しなければ強い抗議を受ける」とし「日本は政府が年金記録を取り除くた統計を操作しても、検察が証拠を操作しても、さらに原発事故が発生しも(民主主義が定着していない国民が)大きな抗議をしていないからだ」と分析した。
日本の巨大コミュニティでも韓国の避難所の写真が話題だった。嫌韓指向のネット右翼は悪質な書き込みや皮肉を注いながらもうらやましい本音をすべて隠すにはできなかった。
はっきり言ってしまえば、この のTwitterを引用したのは鳩山元総理や和田春樹名誉教授の言動を引用する韓国メディアの習性によるものだと言える。
もちろん彼らのことを**とか***だと思うのは常に正しい。バカは置いといて、韓国の ”体育館テント” について説明しよう。
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とうとう設置されなかったプライバシーの間仕切り
韓国では度重なる災害でよく知られているように、現場近くの体育館が避難所として被害者に開放されることがニュースになりがちだ。
2014年のセウォル号沈没事故では、現場近くの珍島体育館が沈没事故のあった4月から220日あまりも行方不明者家族らによって占拠されたことがある。
このときから 韓国 災害 体育館という合言葉が生まれた。被害者様という言葉もこの時に出来上がったようだ。
この時の現地報道に「珍島体育館では被害者(家族)のプライバシーが守られずにいる」として、ニホン式の ”間仕切り” を真似るべきだという声が上がったが、行方不明者家族の居住空間快適化計画はついに実施されなかった。
その理由とは”間仕切りをすることで**犯罪が起きる可能性が高い”というものだった。
※セヲル号の被害者様はその後、光化門広場に恒久的テントを作ったが5年目の今年3月に撤去に応じた
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体育館テントの登場
燃えやすい発泡スチロール製外壁材で発生した被害の ”再発防止” より、テントを設置したほうが安上がりだという判断だったという。
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浦項地震2017年がきっかけ
韓国の避難所体育館テント生活が決定的になったのは、2017年11月の浦項地震で多くのアパートが倒壊したことで被災者がテントやコンテナハウスに収容されたことに始まるようだ。
とは言っても、浦項地震では被害の範囲も広く、避難者が1000人を超えたこともあって、いつかの避難所が設置され収容されたが、 ”恒久的体育館テント”が設置されたのは興海室内体育館だけとなっている。
ほかの避難会場
軍用ベッドが運び込まれた避難会場もあった
体育館の中には避難住人だけでなく、見舞いに訪れたひとたちもひっきりなしにやってくる、見舞客の中には支援物資を受け取り、そのまま持ち帰るひともいる。
クルマに積み込むところを咎められると「何が悪いか」と大きな声を出した。
※2017年11月の浦項地震から間もなく1年半になるが、いまだに体育館テント生活は続いていて、現在でもなお400人ほどが、様々な理由をつけて興海室内体育館内に張られたテントに居住を続けている。
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東日本大震災の避難所で最初にテント
▲東日本大震災の避難所で最初にテントが並べられたのは、大船渡中学校体育館からである
(ソウル/みそっち)
まぁ韓国の信者とか、ニホン語のあやしいのとかいますからね。
ハイボールもいいな
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