韓国のりを手作りするオモニ
巻き簾の無かった朝鮮ののり巻き起源説 意外としらなかった韓国のり ってさ
重なった海苔を一枚ずつはがすときは 指先をちょっとなめると取り出しやすい
正確に言うと、ゴマ油を塗り塩をふってから炙るのが正しい作り方だ
韓国での生活にはフライパンが重宝する まさに ”手焼き海苔” だ
フライパンの無かったころは炭で炙っていたのだろうか
おどろくことに、朝鮮で木炭が作られ始めたのはニホン統治期からなのだ。
韓国土産の定番となった韓国のりだが、古い文献を見ても ”韓国のり” の起源が分かる記録や記述はまったくない。
板海苔として海苔が朝鮮で作られるようになったのは、養殖した海苔を広げて干す文化が明治期に朝鮮につたわってからで、ゴマ油を塗って塩が振りかけられるように韓国風にアレンジされるようになったのはさらに近年のことである。
ちょっと考えればわかることだが、米が主食ではない文化圏で、握ってもまとまらない雑穀文化圏であるのに海苔がどのように使われるというのだろうか。のりまきもおにぎりもコメが主食であればこそ可能だったことなのである。
韓国起源のキムパブ(ノリ巻き)は巻き簾無しにどうやって作ったのか
巻き簾(まきす、まきすだれ)とは、日本料理の調理道具、すだれの一種のことである。巻き簀とも書く。 日本料理が世界的に見られる近年を除き、中華文化圏や朝鮮半島にも元々存在せず、日本発祥で発展した調理道具である。
朝鮮時代には租庸調の税制があり、栽培されるコメは無く、銭もなかったため必要な物品をできるだけ貢ぎ物と進上を通じて現物で直接取り立てることを原則とした。 そのため穀物の取れない山間部や沿岸部では貢ぎ物として鳥や獣、魚類などの海産物が使われることもあった。その中にも海苔に相当する文字列は見当たらない。
しかしながら海藻のひとつとして食べられていたことは十分に考えることが出来る
※この ”貢ぎ物” というのは王に直接納めるもので ”進上” とは地方官や差̪使員がとりまとめたものが王に納まることをいう。王のさらに上の地位にある宗主国に納める貢ぎ物と同じで、いわばピラミッド式の上納システムのことである
三国遺事に記された ”海衣(해의)” というものが現在の海苔に比定されるという意見もあるがこれは1970年代になって主張されたもので。現在の韓国人の先祖が養殖した板海苔として食べるようになったのは比較的近年のことになる
中国の海苔はこんな具合だ
中国では、近年における日本からの技術導入に伴ってスサビノリも江蘇省を中心に養殖され、日本と同様の“板のり”が生産されるようになった。しかし、中国の伝統的なノリ養殖は坛紫菜(壇紫菜、タンツィーツァイ、Tan-zicai、Pyropia haitanensis )を用いて行われている。養殖した生ノリを細断することなしにそのまま天日乾燥し丸型あるいは角型の乾し海苔に仕上げている。坛紫菜は中国固有種であり、浙江省、福建省、および広東省沿岸における主要養殖種である。このノリは福建省の海坛島(海壇島ハイタンタオ; 現在は平潭島ピンタンタオと呼ばれている)で採集された標本を基に種の記載が行われたのでhaitanensis の名がつけられた。日本では「ハイタネンシス」「タンシサイ」「タンシンノリ」などと呼ばれてきたが、標準和名として「ハイタンアマノリ」を提案したい(cf. タネガシマアマノリ)。
写真① 中国産の丸型乾し海苔(直径24~25cm, 25~30g)
写真② 中国産の角型乾し海苔(およそ24×31cm, 30g)
中国の伝統的な乾し海苔は写真①のように丸型のいわゆる“座布団状”に成形したもので、そのサイズは直径24~25cmのものが一般的で、1枚当りの重さは25~30gであるが、地域によっては写真②のように角型(およそ24×31cm、重さおよそ30g)に仕上げているところもある。