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棚ぼたの争奪戦こそが韓国の歴史

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ニホンではあまり紹介されなかった ”土地公概念”

不人気な大統領が「土地公概念」を明示したのは、不動産規制を強化するため
んまあ、土地取引を政府が制限すれば既得権層は黙ってないよね。


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[ソウルミーナ]ムン・ジェイン政権は昨年5月に発足して以来、一貫して不動産政策を打ち出した。

そう聞けば何やら大手柄のようにも見えるが、実際には住宅投機の過剰な増加を減らすために住宅の担保価値を超える貸し出しに段階的な制限をつけたことであって市場での反応はとても低い。

このような中、ムン大統領は “社会的不平等の深化問題を解消するために、土地公概念の内容を明確に規定する”とし“土地の公共性と合理的使用のために、必要な場合に
限り、特別な制限をしたり義務を課すことができる” と説明した。 



土地公概念とは、土地の所有と処分は公共の利益のために適切に制限することができるという概念である。

過去に不動産市場が過熱したときにも、土地公概念制度が議論された。しかし、違憲論議がふくらんで、導入と廃止を繰り返し、現在は事実上有名無実になった状態である。 


最初の土地公概念が登場したのは朴正煕政権時で、当時のシン・ヒョンシク建設部長官は、“土地の私有概念は是正されなければならない”とし“土地の公概念に立脚した各種の土地政策を立案中である”と述べている。 

その後、盧泰愚政権が1989年に「土地公共概念3法」と呼ばれる土地超過利得税、開発利益還収制、宅地所有上限制を初めて導入した。 しかし、この土地公概念3法は、IMF危機を克服するために、金大中政府から完全に廃止された。

1)土地超過利得税法
遊休地の価格上昇分の最大50%の税金を課す土地超過利得税法は、個人の遊休土地や法人の非業務用土地の価値上昇に過剰利得を見たときに、いくつかのを税金で還収という制度だ。譲渡のように、実際の売りをして利益が実現されたときの税金を課すのではなく売らず保有ただけの状態で上がるだけでも課す制度で、実現されなかった利益に対する課税の議論が生じ、1994年の憲法不合致決定を受け1998年に廃止された。

2)宅地所有上限制法
特別の広域私の個人的宅地の200坪を超えた土地の負担金を賦課する宅地所有上限制法は、開発を促進し、いくつかのに所有が偏重されることを防ぐ目的で制定された。
ソウル、大田、大邱、釜山、光州、仁川6つの大都市を対象に、1世帯当たり200坪以上の土地取得時の許可を受けるように制限しており、200坪を超える保有時負担金を賦課した。しかし、これも財産権の侵害の問題で違憲決定が下され、1999年に廃止された。

3)開発利益還収製法
宅地、観光団地造成などの開発事業施行者から開発利益の50%を返還する開発利益還収製法は宅地開発、住宅団地、観光団地、都心の再開発、温泉開発など、土地所有者の努力なしに開発事業、土地利用計画のの変更、その他の経済的、社会的要因によって上昇した土地の価格の正常地価上昇を超えた上昇分の50%を開発負担金の名目で返還する制度だ。
参与政府に入ってから総合不動産税、再建築超過利益環収税などの土地公概念に根ざした制度ができた。ただし、総合不動産税の場合、世帯別合算課税方式が違憲決定を受け、個人の合算に変わったりした。 

ムン・ジェイン政権は、不動産の規制に関連して、今後どうなるかわからない違憲是非を事前に遮断するために、改憲案を介して土地公概念をより明確に規定し、国家の裁量権をより拡大したわけだ。

土地の公共性と合理的使用のために必要な場合に特に制限したり、義務を課すことができるようにする土地公概念を明示することにより、ムン・ジェイン政府の政策の方向性を明確にし、社会的不平等の深化問題を解消するという意志を示すのためのものと解釈される。


(ソウル/みそっち)



傾いた船の上で片方に集まると転覆するじゃないですか。それを本能的に何度も何度でも繰り返すのが韓国人気質とも言えるものです。アパートを買っておけば値段が上がる。需要があるからじゃんじゃん作る。実は売れ残り続出だけど買い手を煽るために不動産儲け話が毎日記事になる。抽選会場にはサクラがぞろぞろ並ぶ。 こんな感じですよ。

簡単に考えてみても、半数が失業者の国で借金も返せない連中が高層アパートの抽選に並ぶってすごいですよね。 




◇ ◇ 


さて韓国人って「ゴールを動かす」「無かったことにする」というのがおなじみですよね。その辺の解説です。

棚ぼたの争奪戦こそが韓国の歴史だ

これはね、根底には不動産の再分配ってことなのです。土地アパートを持つ家主に代表される不労所得層への嫉妬が、持たざる者の不満につながっているってこと。その不満の解消に『誰でも抽選で買える江南の高層アパート』なんていう公平感を出すと既得権層が『アパートの価値が下がる』として反発するわけで、先に目を付けた人から没収してください式の発想があるのです。
※手に入れられないモノならそれを台無しにしてやるという韓国型思考が発揮される

こうした考え方の背景にあるのは、1945年に半島原住民が受け取ったニホンの財産争奪に始まる、韓国型思考があります。

ニホン統治とは朝鮮半島の近代化であったし、その後の朝鮮韓国人のやったことはニホンの残した資産の奪い合いと同族同士の殺し合いだったわけです。

ソウルの鍾路あたりに小奇麗なニホンの商店があったのを朝鮮人使用人が奪う、自宅も奪う、タンスの中身にもすべて奪う。警察の警官もすべてが朝鮮人になるので名乗り出た順に署長が任命されていました。
京城大学ではすべての教授が朝鮮人になるのだということで、こちらも早い者勝ちでしたね。小中学校でも校長には朝鮮人ってことで早い者勝ちで任命されました。(最初の学長は選挙だったけどこれがグダグダ)

刑務所では看守がすべて朝鮮人になるときに中にいた重罪人をすべて釈放しました。もちろん強盗や人殺しだって釈放されましたよ。
※このとき刑務所にいた犯罪者は日帝に抵抗した国家有功者をいうことになりました。


経済なんてわからない、100年続く老舗も無い

朝鮮人といえば黒いゴム靴ですよね。あれもニホンの経営者がいなくなるとその途端にすっかり下火になってました。もちろん日帝時代には朝鮮人資本のゴム靴屋が乱立していましたが、原材料のゴムが政府の統制で手に入らなくなりそのまま戦後になっても復興しなかったのです。(ゴムになった原材料を購入して加工するだけ)
朝鮮人の駅員は切符の販売をしながら、すっと不思議に思っていたそのお金をすっかり奪い去る日帝国有鉄道のかわりに、切符の代金を自分のポケットに貯めこみますよ。ヤミキップなんてありましたからね。
※当時の朝鮮の鉄道はほぼ無傷で残っていたが、朝鮮人が経営した途端に収益が限りなくゼロになり国有化の負担になった。

ビール工場や繊維工場もニホン人がいなくなったあとの無法地帯は彼らのやりたい放題だったのです(工場関連はその年のうちにほとんど動かなくなる)。当時の京城にあった民間と公用の自家用車はおよそ3000台。これがすべて朝鮮人たちのものになりました。(ガソリンの配給は無いけどね)

その年のうちにニホン人のほとんどが引揚げてみると。朝鮮韓国人はすべてを手に入れたのでした。もう早い者勝ちだったし、遅れて、”個人の資格” で帰国してきた ”自称臨時政府重鎮”なんかは歓迎されるつもりだったのに無一文だったでしょう。 その日に寝るところもなかったのです。

これが”第1回分配” とでも言っておきましょう。奪えるものを手に入れてそこに居座ったことで現在の地位を手に入れたってわけです。

もちろんそういう歴史的事実を現在の彼らが素直に認めるハズもありませんが、日帝が ”収奪した” らしい、全資産が彼らが分配したのが事実です。”日帝が収奪した” ってところばかりがハングルでは心地よい部分のようで学校教育でもそう教えていますよ。


'米穀収集割当量通告書'、'米穀収集令ビラ'、'米穀の出荷命令書'

田舎ではコメの耕作地が最大の被害でしたね。収穫の時期なんてことに無関心だった ”自称五千年農耕民族” らは ”日帝地主(集荷業者)”が居なくなった農地の稲穂を次々を刈り取ってしまいました。少なくともニホン式農法では計画的に収穫時期をずらす早稲・晩稲が厳密に守られていたのですが、彼らにはそんな事情は分かりませんから、この年にはすべて一緒に刈り取って台無しにしてしまったのです。
その場ではまだ台無しになったと判っていなかったので、「コメの収穫はもうちょっとあとかな」なんてところまですっかり丸裸に刈り取って誇らしげでしたよ。
すぐにその年から食糧不足が始まりました。(韓国ではコメの収穫量が戦前のレベルに回復したのが1974年ころ)

そうして耕作放棄した農民がソウルに押し寄せてきたのが1945年の暮れでしたね。しかしB-29の空襲にも遭わなかった近代資産はすべて分配された後でした。

ソウルには上水道もあったんですから流入する耕作放棄民がバラックを建てて勝手に住み始めますよ。 そんな混乱した時期がアメリカ軍政期です。(僅か3年だね)


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▲半島に駐留した米軍のテントの中の物資の横流しの原点は韓国にある

やがて韓国の独立と李承晩の登場で再び再分配を求める声があがってきます。国民の半分を共匪にして退治すれば残りのひとたちの財産が2倍になるという計算で、”共匪狩り” が、盛んになりました。このころを”第2次分配” とでも言っておきましょう。※この時点での大韓民国の税収はほぼゼロ まさに最貧国のはじまり

軍の前身だった朝鮮警備隊も国軍になり警察なども勢力拡大のために大勢を殺して埋めるわけです。そんな混乱期が1950年の朝鮮戦争直前までの状況ですね。
もうとにかく殺す埋めるで3~400万人が行方不明です


朝鮮戦争開戦

序盤の負け戦で韓国政府がソウルを放棄して釜山まで後退して国連軍の巻き返しでソウルに戻ってみると ”我が家には知らないひとが住んでいた”。そういう時代です。
ここで不平不満を言い出すと ”キタ朝鮮軍内通者” として捕まりますからね。
これが第3次分配っと。そうやって分配(搾取よりひどい)を繰り返してきたのは韓国の歴史ってことです(1948年からわずか5年くらいの間の出来事)


このように分配の恩恵を受けてきたひとたちのことを韓国では親日派とか親日財産とか言います。ノムたんの ”親日財産還収” なんていうとひどいことのように言う人もいますが現実には、単に ”分け前を貰い損ねたひと” の理論ですから、表向きはニホン統治時代に甘い汁を吸っていてそのまま韓国建国後も持ち続けていた韓国人財産の分け前を今すぐ寄越せってだけのことなのです。 別にどうってこともありません。

 ”分け前を貰い損ねたひと” の理論はやがて力を付けてくると既得権の強化へ繋がっていきます。”独立有功者と子孫への加算点” といった韓国だけにある不思議な得点制度で分け前の上乗せをしようということになったのです。そのへんが現在の韓国社会なんですよ。 併合で近代化された資産の奪いあいから根を引いているのが韓国の原点なのです。

ええ、そういう奪い合いや政争が無かったキタ朝鮮では日帝が残してきた発電所とか工場がそのまま残りましたからね、朴正煕のころまでは経済的優位があったりしていたし、現在でも地域間対立みたいなものとは無縁なのです。
でもそれじゃぁ韓国人とその崇拝者にとって脳内平衡のバランスがくずれるので、キタ朝鮮が苦難の行軍してみたり大飢饉になったりしていることがニュースになるのですね。少なくとも高齢者貧困率は韓国の方が数字が悪いですし、一人あたりの居住面積であるとか、自殺率なんかも韓国の方が悪いです。 朝曰新聞などの ”韓国型脳内平衡メディア” は、GDPがどうのこうのと言い出しますが、物価が安定しているのも食品が安全なのもキタ朝鮮でしょう。(商品が豊富なのは韓国だけど、廃紙拾いの老人はキタ朝鮮には居ない) ⇐このへんはサンケイも知らんふりしているのが不思議

やがて今世紀になり韓国の経済も発展してくると貧富の差なんていうのはともかくとして、要領よくアパートを転売して儲けた人なんていうのがでてきました。
成功神話がうらやましいばかりではしょうがないので、「誰もがお金持ちになれる」みたいな思い違いを刷り込んで不動産投機を煽ります。

このへんも ”分け前を貰い損ねたひと” への理論 ですから、庶民受けはイイですよ。
んじゃあもう家を持ってる人からの不満は無いの? ですよね。 そいうひとってホントはとても少ないので反発なんかありません。 いつでも乗り遅れた人のほうが多いのが韓国型社会の特徴です

韓国では分譲アパートでも、住んでいる人によっては誰か大家さんがいて家賃で住んでいるのもいるし買った人もいて所有権がバラバラなんですよ。もうそれだけで再開発なんて無理なんです。そのままじゃ韓国には空き地もありませんから、出てきた発想が ”土地公概念” って感じですね。国民の突き上げで、もう一度分配しなきゃならないのです。もうこれが 何度目の再分配 なのかわかりませんけどね



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