初伏といえば犬食だろ おまエラは犬を食え
そういえば在日のひとたちってサムゲタン食べないよね なんでだろ?
参鶏湯(サンゲタン)なんて名前がこの世に初登場したのは1960年代のこと
[ソウルミーナ]17日は朝鮮半島の暦(こよみ)で初伏だ。ニホンで言うところの土用の丑だからと近所のスーパーで買ってきた一年中特売の中国産焼きうなぎでうなうなというようなものだと勘違いされがちなのが韓国の補養食文化である。
鶏の内臓を除去した胃の中に 高麗人参ともち米、ナツメ、ニンニクなどを入れてじっくり煮て作ったサムゲタンは韓国の夏の代表保養食です。しかし、朝鮮時代、どんな料理本にもサムゲタンという言及がないほど その歴史は思ったよりも短いですよ。
ニホンには古くから続くうなぎ屋などはたくさんあるが、韓国には5~10年続く参鶏湯屋というものが無い。「でも朝鮮宮廷料理なんでしょ?」と言い出すバカもいるが、そう聞くのはどうやらニホン人だけに限るようで、本場韓国で「参鶏湯って宮廷料理?」と聞けば彼らは自慢げにきっと真顔で解説してくれることでしょう。
18世紀の絵の中の鶏と高麗人参の調和
ところで私たちはいつから三伏サムゲタンを食べ始めたのだろうか。 サムゲタンが韓国の代表的な国民保養食であることは明らかだ。 しかし、参鶏湯と関連された記録は、朝鮮時代の文献でほとんど見当たらない。 つまり伝統的な保養食とはいえ、逆説的に大衆化された歴史はあまり長くない。 平凡な家庭で経済的にたいした負担感を感じないで、食べたい時はいつでもサムゲタンを食べるようになったのは1970年代前後だ。
それ以前のサムゲタンは昔から伏日の保養食というよりは金持ちたちや薬に近かった。 病気を患った後、或いは三伏の暑さに衰えた気力を補充しようと食べた。 誰でも食べられなかった理由は貴重な高麗人参が入るからである。 今は高麗人参が珍しくなくなってきたが、昔は高貴薬剤であるだけに、食べ物に勝手に入れて食べられる食材ではなかった。 そのために一般人たちは高麗人参を入れていない鶏の水炊きで身体に栄養をしただけだ。 サムゲタンがどれほど貴重かはまれに見える記録にも見られる。 、日本統治時代の1924年中枢院で韓国人の生活風俗を調査した資料集に、夏には雌鶏のお腹に人参を入れてトンコツスープを精力薬で飲むのだが中間層以上で飲む人が多いという記録が見える。 サムゲタンが陽気を補ってくれる薬のような食べ物で、お金の多い人たちや夏場の保身食べ物で食べたという事実を示している。
参鶏湯なんてな 無かったんだぞ
NAVERの古新聞ライブラリーに参鶏湯をハングルで入力してみるとびっくりだ
※もちろん漢字や旧字で入力するとさらにおどろくことに
1980年代半ばになって記事に出てくるまで全く引っかからない。それじゃあっと、さらに古い大韓民国新聞アーカイブに探りを入れてみると ゼロ件なのである
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今回の伏日には'国民保養食'参鶏湯(サンゲタン)の歴史を一回たどってみよう。
元々の名前は'鷄蔘湯' という主張
サムゲタンはどうして土用丑たべるか?
参鶏湯(サンゲタン)の元々の名前は 'ギェサムタン(鷄蔘湯)'
16日、農村振興庁によると、主材料が鶏で部材が、高麗人参のサムゲタンは最初に'ギェサムタン'と呼ばれた。 しかし、主材料である鶏より副材料である高麗人参が貴重という認識が生まれてから今の名前である'サムゲタン'と呼ばれ始めた。
※このように韓国版Wikiには書かれている
参鶏湯(サンゲタン)の歴史は長くいかがず、昔から伏日に参鶏湯を食べる文化も60年代以降に来て定着したものとみられる。 過去の朝鮮時代で犬伏の日に、庶民たちは主に犬の肉をいれたゲジャングク(ボシンタン)を好んで食べたし、両班たちは、犬の肉の代わりに牛肉を入れたユッケジャンを好んで食べた。
ただし、サムゲタンの原型と見ている鶏の水炊きは朝鮮時代においてもすでに存在した。 特に肉が珍しかった時代、ありふれた鶏肉を利用して広く利用した肉料理の一つだった。
参鶏湯(サンゲタン)の始まりは日本植民地時代の様々な金持ちの家が鶏の水炊きやダルグクに白参粉末を入れて作りながら始まっており、これが1940年代後半からこれをレストランに販売するケースが増え、1950年代前後に鷄蔘湯(계삼탕) ギェサムタンという別の料理に定着した。 最初は高麗人参の粉を使用したが、1960年代以降に冷蔵庫の普及で人参の長期保存が可能となり、高麗人参を乾かしたものを入れることに変わった。 現在のサムゲタンで呼ばれるようになったのは1960年代ごろからだった。 以降現在にはゲジャングク(犬鍋)を押し出して土用丑食べ物の中心ができる料理がなった。韓国版Wiki
それなら、参鶏湯は一体いつから食べようになったのだろうか。 鶏を飼育したものは青銅器時代からだが、サムゲタンに関する記録は、朝鮮時代の文献からは見いだせない。 私達の祖先が蓼鶏湯(サムゲタン)を楽しんでいないということだ。 農村振興庁の関係者は"朝鮮時代の鶏料理は鶏の水炊きが一般的だった" と説明した。
※部隊チゲという連合軍の残飯を集めた韓国の名物料理があるが、これの起源が朝鮮時代であり1929年の新聞にも出てくると主張するひともいる
あらびっくり 1960年代以降なのに宮廷料理なんだ
専門家たちはサムゲタンが初めて登場した時期を日本の植民地支配に見ている。 農村振興庁の関係者は"日帝強占期に裕福な家では鶏の水炊き、ダルグクには、粉の高麗人参を入れるサムゲタンが作られ始めた"、"今のサムゲタンの形が現れ始めたのは1960年代以降で、大衆化したのは、1970年代以降だ" と説明した。
三伏は一年中最も暑い期間だ。 汗をたくさん流し、体力の消耗が大きい夏、体の外が暑くて中が冷たいと、胃腸の機能が弱くなり、気力を失って病気を得やすいだ。 農村振興庁国立畜産科学院の家禽研究所のクォン農業研究士は "鶏と高麗人参は熱を出す食べ物に暖かい機運を腸に吹き込み、暑さに疲れた体を回復する効果がある"と説明した。
参鶏湯(サムゲタン)に入っている棗は食べてもいい?
参鶏湯と関連して間違った俗説の中で'ナツメはサムゲタンの材料の毒を吸い込んでいるからに食べればならない'いうものがある。 ナツメが薬を吸い込むことは間違いない。 しかし、サムゲタンにはいるざいりょうは体に良いものであるために棗を避ける必要はない。 ナツメを積極的に食べてもいいという話だ。
サムゲタンはすべての体質に合うか?
鶏と高麗人参は暖かい性質を持った食品だ。 体質的に体に熱が多くの人は朝鮮人参よりは、キバナオギを入れたり、冷たい性質の緑豆を加えて体の中の熱を治めるのがいい。 女性の場合は手足冷え症、生理不順、貧血、便秘に効果がある深い当帰を入れて食べればよい。
参鶏湯と鶏の水炊き、その差は?
調理法に大きな差があるわけではない。 ただ、使用する鶏が違う。 水炊きは肉鶏(肉用の鶏肉)や10週間ぐらい育てて重さが2キロほどで売れる地鶏を使用する。 サムゲタンには28日∼30日間育てた800g程度の霊界(年下の鶏)を使用する。
※ 丸ごと1羽が1人前という参鶏湯で成鳥は食べきれない
最近は地鶏でサムゲタンを沸騰することがある。 農村振興庁が韓国在来鶏を収集し、品種を復元して、これを交配して開発した'うちの味鶏'があるからだ。 'うちの味鶏2号'の場合、肉質が柔らかくて初期成長が早くて5週間ぐらい育て、地元三渓用で料理して食べられる。
(ソウル/みそっち)
レトルトで食べられる韓国産の参鶏湯が発売されたのが1983年のことです。真っ先に輸入したのはいうまでもなくあの大手スーパーチェーンでした。物珍しさもあって売れたものの、再び買おうという客がまったく現れず参鶏湯の冬の時代が長く続くことになります。
韓国の経済人がひとつ覚えのように引用する「ニホン経済の失われた20年」なんていうのがありますが、これがまさに韓国にとっては輸出不振時代だったわけで、ニホンではそんな20年ってあった? と記憶していないひとのほうが多いんじゃないでしょうか。
近年では大コケしたマッコリがあったりしますが、その30年以上前に参鶏湯ブームが盛り上がりかけたことがあったのです。 この火の付け手はNHKだったようです。
▲ニホンのテレビで韓国料理が紹介された。と1983.02.14毎日経済
どうやら番組のなかで韓国料理を紹介しながら チヂミやビビンバ、参鶏湯と言った料理を ”韓国宮廷料理” と紹介したようです。(どこに気を使っているんだろ)
30年ほど前といえばニホンでもキムチの認知度は100%以上でしたが、まさかキムチ文化がユネスコ文化遺産になるなど想像もつかない頃なので、韓国料理の紹介にはキムチなんて登場していません。(韓国産の非加熱生キムチの輸入自由化はずっと後)
そもそも韓国人が宮廷料理なんて言い出したのでさえ、その頃にはじまった妄想ですからどちらが先とかではなく同時多発的に食文化の捏造が行われたということですね。
買いに行くのは