サムスン電子"QLED TVにフォーブスなどの海外メディア好評"
サムスン電子の2018年QLED TVが米経済専門誌フォーブスなどの海外メディアから相次いで好評を受けたと同社が12日伝えた。
サムスン電子によると、フォーブスは、この4日 'QLEDの猛烈な反撃'という見出しの記事で"QLED TVの画質は4K解像度のすべての潜在要素を再現するうえで、トップクラス(Masterclass)"と好評した。
米国のHDグルは、サムスンQLED TVに最高点の5点を与え、"最上級の画質と優秀な明るさ、ブラックレベルで市場で強力な競争力を披露するだろう"と明らかにした。
受賞リスト確認してみると、'最悪のアイデア'評価まで最高と集計
サムスン電子映像ディスプレー(VD)事業部が今年下半期から発売する予定であることが知られたマイクロLED技術基盤のTV'The Wal)' の広報資料で最悪の製品と目された評価結果を'最高'に変えて記載したことが確認された。
13日、業界によると、サムスン電子は今年初め、'CES 2018'で公開したマイクロLED TVザウォールが各種海外メディアから41の賞を受賞したという報道資料を配布し、大々的な広報に乗り出した。
しかし、サムスン電子が受賞したという41のリストを確認してみると、'最悪のアイデア(Worst Idea)'に選定されたものまで'最高評価'と集計したことが分かった。
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AVSフォーラムは"明るい部屋の中でも暗室のような優れた画質を表現する"、"サムスンのQLED TVは画質で高い跳躍をした次世代4K HDR TV"と紹介した。
英国のレビュー雑誌であるトゥロスティドゥレビューは2018年QLED TVに最高点の5点を与え、"QLED TVはTVを選択するうえで最も重要な要素である色再現力、深いブラック、強力な明るさなどを完璧にあわせもった製品"と評価した。
トラス・レビューは2016年からTVの評価の際、最高点の5点を最小化するという政策を施行し、最近3年間5点を受けた製品はQLED TVが初めてだとサムスン電子は伝えた。
英国のレビュー雑誌ワッハイファイも最高点の5点をつけて、"今までレビューしたTVの中で最も明るくてダイナミックな画質を具現しており、渋さのある明るさとディテールなブラックが完璧に調和を成して、現存する最高の画質をプレゼントする"と好評した。
一方、米国のIT専門メディアのファストカンパニーは、サムスン電子ザウォールが今年CESで披露したTV製品のうち'最悪のアイデア'に選定した。 同メディアは居間の壁面全体をTVで埋めなければならない理由に疑問を提起し、"ザウォールがTVで作動しないときは壁面、本棚の模様で変わるが、この低級な(cheesy)技術はインテリアデザイナーの悪夢だ"と酷評した。
サムスン電子は米国ラスベガスで開かれる世界最大の情報技術(IT)展示会であるCES行事に参加するたびに現地のメディア各社から受けた賞を取りまとめて'技術力を認められた'と発表してきた。 今年の場合、三星電子がライバルであるLG電子の有機発光ダイオード(OLED)TVに対抗して出したマイクロLED TVザウォールを集中的に浮上させた。
ザウォールは業界で初めてマイクロLED技術をTVに取り入れた製品だ。 マイクロLEDというカラーフィルターなしで自ら光を出す超小型発光物質だ。 光を出す10~100マイクロメーター(㎛)単位の超小型LEDの彫刻をつなげ合わせ方でパネルを作って比較的生産工程が単純、ディスプレーの大きさと形、解像度にも制約がない。
OLED TV商用化に失敗した後、プレミアムTV市場支配力でLG電子、ソニーなどOLED TV陣営に後塵を拝した後、サムスン電子は今年からザウォールを通じて雰囲気の反転を狙ってきた。 しかし、CES現地の反響は期待以下だった。 まず、マイクロLED TVが146インチで、一般消費者用TVとして使用するにはとても大きくて、価格帯もやはり2億~3億ウォンの水準に達している。
電子業界の関係者は "今回の虚偽記載問題が単なるミスである可能性もあるが、プレミアムTV市場での立地が弱くなったサムスン電子のいらだちが反映された結果で判断される"、"まともな評価はザウォールTV製品が、今年下半期の消費者市場に出た後で決定されるだろう" と説明した。
(ソウル/みそっち)
韓国生まれの韓国人が国内メーカーの国外での評価なんていうのを直接調べたり英語の記事を見ることはありませんから、真逆のことを大々的に広報しても誰も不思議に思わないのでしょう。 たまに暴露されてみると暴露記事は検索にも出て来ないように操作されます。それが韓国メディアです。
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韓国はテレビでは発売も放送も後発国でしたから、庶民生活者へのテレビ受像機の普及はいきなりカラーテレビの発売の頃から始まりました。白黒本放送こそニホンの10年遅れてはじまりましたが、受像機が普及しなかったこともあって、「初めて見たテレビがカラーだった」「韓国は最初からカラー放送だった」と言い出す韓国人にはいとまがありません。 つまり彼らは「物心ついた時からカラーテレビだったよ」と言っているのです。 じつはそれは間違いではないのです。
新婚家庭がはじめてテレビを買ったのは? 「カラーテレビだったよ」
1970年代でも韓国で手に入るテレビ受像機はアメリカRCA製ばかりで非常に高価だったし番組自体も放送時間や内容が適当だったりして、ほとんど見た人というのがいません。
しかもその韓国最初のテレビ放送局というのはかわいそうな結末で全焼してしまったので初期のテレビ放送の機材や放送内容を知る手掛かりは全くありません。
つまりテレビ放送初期のころのテレビ業界なんてものは全く残っていないのです
それはもちろん白黒放送時代のハナシですが、韓国でテレビ受像機が作られるようになってみるとニホンではとっくにカラー放送が始まっていて、ニホンから部品を輸入して韓国で組み立てたテレビもカラーテレビだったのです。それがなんと韓国でカラー放送が始まった1980年以降ってことですから、人気作家センセのシンちゃんぐらいの世代であればテレビの白黒放送なんていうのはほとんどあとから植えつけられた記憶でしかないハズです。
シンちゃんのご両親くらいの世代でさえも「テレビを初めて買ったときにはもうカラーテレビだった」なんて言いだすワケです。 そいじゃいつ買ったの? なんて聞くと、聞くだけ野暮ですが1980年代以降でしょう。 つまりテレビが普及した頃には世の中がすでにカラーテレビだったというわけです。 それだけです。
韓国のカラー放送っていつから?
夜間外出禁止令のあったソウルでは1980年代になっていろいろと開放されたんですね。たとえばテレビのカラー放送。 えっ?カラーテレビって韓国じゃ1980年代になってからなの?? なんてにわかには信じないひともいるかと思いますが、韓国ではカラー放送が始まったのは1980年12月なんですよ。
いやいやニホンじゃ『皇太子殿下御成婚』をカラーで見た記憶があるぞ、あれはたしか...なんて、それはYouTubeの見すぎですよ。
テレビの普及がいきなりカラーテレビから始まるというのが韓国なんですよ。それ以前は真っ暗だったわけで、その頃の記憶は消去しているのが原生韓国人なんですね。
そしてカラーテレビの生産から韓国家電の歴史が始まる
韓国でのカラー放送開始は1980年からですが、そのころまで国内家電産業というものがありませんでしたから、輸入して組立て売るというサイクルだったわけです。
これがまた国内でのテレビ視聴率と相関関係にありますから現在ではテレビ放送が1980年まで白黒放送だけしかなかったという事実は韓国では深いタブーとなっています。
たぶん着色白黒写真を見て当時の暮らしを思い浮かべるようのものなのでしょう。
米軍兵相手に慰安婦をしてテレビを買ったあの頃
働き者のおねいさんが”おとうとを大学にやるために”そういう生活をするみたいなことが韓国では美談だったじゃないですか、駐留軍相手にご商売をしてカラーテレビをご近所で一番最初に買った家には元気なおとうさんおかあさんとおとうといもうとがいたりしていたわけですよ。(韓国のカラー放送開始は1980年から)
こういうおねいさん達は民間の置屋に所属しているんですよね、そっちが借金返済やら身売りだったなんてことはあんまり問題にしていないのです。元売れっ子№1のおねいさんたちも今ではイイ年ですが、おばあさんたちが訴えているのはあくまでも政府による補償なんですね。
これね、ニホン人が考えるようなのだと、健康診断や病気の治療までやってくれた政府(しかも無料)とか、病気の抜き打ち検査で保健所がやって来るのをこっそり教えてくれるひとまでいるんです。 これって、保健所の検査よりも働いていたほうが良かったってことでしょ ふしぎですね。
ちなみに、このころの米軍相手のウフフ屋さんの売り上げがGDP比5~25%とか言いますが、これらの売上げと利益を韓国政府が受け取っていたことはありません。ウフフ屋さんが税金を支払っていればそれば別ですが、そういうところが長者番付に名前が出ちゃうことなんてありませんから 国営でうふふ屋さんを経営していたわけではないのです。 あくまでも民間の置屋さんがそれぞれ独自のルートでおネイさんをスカウトしてきて住むところまで提供して高額な報酬まで払っていたってことですよ
しかもカラーテレビをおとうさんにプレゼントするような親孝行な娘だっていたのです。
札幌冬季オリンピックが1972年だそうです
その一方で韓国でカラー放送がはじまったのは1980年です、1980年といえば金八先生だった頃だそうですが、韓国ではその頃でもテレビ放送はすべてが白黒放送でした。そうなるとどうしてもカラー放送が見たいということでニホンに近い釜山あたりではアンテナがニホンのほうを向いていたとかどうとか。韓国のテレビはニホン製部品でしたからアナログ放送だった当時の放送形式はニホンと同じなのでチャンネルが混信するぐらいでカラー放送がみられたらしいです。そうなると欲しくなるのはカラーテレビです、韓国で放送の始まるまえからニホン製のカラーテレビはかなりの台数が韓国に運ばれていたという話です。
”77年7月から開始した在韓米軍放送AFKNのカラー放送は、まだ国内では販売されなかったカラーテレビの需要を刺激した。この放送の開始に加えて、ニュースを受け、例えば米軍テレビの番組案内から覗き見る人が増え、若い世代の間では「迫力のある暴力物ドラマ 」、「くらっとして華やかなショーのプロ」、「国内では見るのが難しい海外映画」などを放映するAFKN放送を見ることが日常化され、これにより、15インチと19インチのソニーカラーテレビが各々45〜55万ウォンから65〜75万ウォンという高い価格で取引されたにもかかわらず、販売が急増した。”
※このへんのことを「日本低質文化」としてシンちゃんが解説しています
これとともに、外国のビデオプレーヤーでも人気を集めた。実際に当時の高級マンションマンションを中心に外国製のビデオプレーヤーを購入し、スクリーニングによってスニップされていない大人の映画や未開封の映画を楽しむことが流行になったりした。
新聞記事の表現を借りれば、それ以前には、「漢南洞(ハンナムドン)や梨泰院などの秘密の料亭からだけで見ることができる光景が富裕層の奥座敷にまで浸透」していた。
このように、外国製カラーテレビとビデオプレーヤーが市場を蚕食していくと、1979年には、政府がして海外企業の駐在員や観光客が空港を経て、携行品に持って来るこれらの製品の搬入を禁止した。
このように、外国製カラーテレビとビデオプレーヤーが市場を蚕食していくと、1979年には、政府がして海外企業の駐在員や観光客が空港を経て、携行品に持って来るこれらの製品の搬入を禁止した。
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うちの薄型テレビなんですが、『奥行きのあるテレビ台』の一番手前に置いてあります。もっと向こうの方に置いてもイイと思うけど何だか画面が遠くなるのがアレなのでそのままになっているようです。(テレビのある部屋にはお酒に用事がある時だけ近寄るようにしています)