1938年のベルリン−東京間の往復飛行①
大阪朝日新聞 1938.11.19 (昭和13)
盟邦ドイツが世界に誇る大型旅客機(コンドル機)による世界一周早廻り飛行は先に欧洲の政治情勢が険悪化したため一時中止のやむなきにいたり、すっかり歓迎凖備を整えていたわが国朝野からもその再挙を待望されていたが果然今月下旬を期しベルリン−東京間の往復飛行を決行することになり十八日ドイツ大使館を通じ航空局に日本内地の飛行許可を再度申請して来た、これによると世界一周計画は千島列島からノームまでの間が冬季猛烈なガスに掩われ同コースには無線施設がないのでこれを中止しベルリン−東京間の往復飛行に変更したもので使用機、搭乗員とも前回の顔触れと変りなくコースはベルリン−バグダッド−カラチ−ハノイ−東京(立川)でベルリン、東京間一万五千キロ三着陸四十九時間以内で翔破しようという計画である
by 加藤 寛之 プラモデル コラム
私にとってFw200は「コンドル」という名の飛行機のことだ。理由は簡単で、古いレベルの1/72キットに書いてあったからだ。私が子供のころのレベル社は絶対的だったから、「コンドル」の名は信頼できる確実な情報・・・ゆえに疑いもしなかったのだが、『世界の傑作機 フォッケウルフFw200』(No.175、2016年)をみると、「コンドル」は日本に飛来したその機に固有の名前なのだそうだ。そう言われたって、私は子供のときに「Fw200」=「コンドル」となっちゃったので、このヒコーキはコンドルなのである。皆さんはどうですか?「コンドル」、そうでしょう!
http://www.webmodelers.com/201708katoucolumn.html
Fw200と言えばコンドルという名前だと思いがちですが実はニホンにやってきた機体の固有の愛称なのだ、というお話ですね
いくつかの資料を見てみるとこの機体はベルリン~ニューヨークとかも飛んでいるみたいです。
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このコンドルがやってきた1938.11.19 (昭和13)といえば、あの〝神風号は、大英帝国載冠式を祝う日英親善飛行を無事に務めて、一九三七年五月十四日ロンドンを飛び立ち、同年五月二十一日、雨降る東京飛行場に到着しました〟の翌年にあたります。
さて一方のコンドル号ですがニホンから帰国する途中でフィリピンに寄り道するときにマニラ湾に墜落しちゃうのです
六日早暁立川を出発帰還飛行の途についた訪日コンドル機は機関に故障を生じ地方時刻六日午後三時半(日本時刻午後四時半)過ぎマニラ西方三〇マイルのマニラ湾に臨むロザリオ(カヴィテ州)海上に不時着水した、同機は水際から数百尺の海上に右翼を突きさしたまま半身は海中に沈み、乗組員は翼の上に出て救いも求めているところを折から出漁中の土民漁夫が目撃直に救助されたものである、なお機体は干潮を待って引揚げ作業にとりかかるはずである、遭難の原因については油送管の故障といわれ、附近海上にはコンドル機が落した油が長き線をなして漂うている
ってことは、コンドル機がこれ1機だけだとすると、いえいえ沖合い300mから引き揚げて修理して帰国したのならハナシは別ですが機体は間もなく水没したし、すぐに戦争がはじまったので直して飛んだというハナシは見つかりませんでした。
少なくともルフトバッフェのFw200はコンドルじゃない? そいじゃREVELLl-germany-focke-wulf-fw-200-c4-condor-bomber って間違いなの?
深まる謎の続きは次回 (アルノカ)