キタ朝鮮軍帰順者2人に大喜びの韓国軍
去年はひとり、今年は2人 北朝鮮軍の越境者
最近1年間の韓国軍自殺者は100人を超え 脱走者数は500人超えてるんじゃない
[国防ミーナ]6月に入って、軍事境界線( MDL)を越えて中央線に脱北した北朝鮮軍が増えている。
ここ一年で昨年9月に1人の北朝鮮軍が帰順したためにとどまったのと比較し見たとき、6月に入って北朝鮮軍2人、住民1人が脱北して今年、北朝鮮軍の帰順はさらに増えるものと予想される。
対北朝鮮専門家は、キム・ジョンウン政権の核・ミサイル強化政策による結果と分析する。
匿名を要求したある専門家は、「キム・ジョンウン政権はロケットセンター、戦略軍司令部中心の核とミサイル開発にすべてのリソースを動員している」と指摘した。
(要約/みそっち)
こうなると韓国各紙は「キタ朝鮮軍規律弛緩」くらいのことを大書きするわけですよ。ところが良く読むと去年一人なんですよね、その間に韓国軍では自殺者が100人を超えてみたり、脱走兵なんかこれはもう毎年9月頃の国防委員会の発表までおあずけ状態なのです
コメント欄なんかをみてもあっちでは大喜びが隠せないみたいで、〝キタ朝鮮軍崩壊近し〟
、〝食糧事情悪化〟みたいな喜びようなんですね。もちろん解説の必要も無いとは思いますがキタ朝鮮軍は250万人、韓国軍って60万人ですから同じだけ減っても多い方が残るのは自明の理ですし、韓国軍には戦線放棄戦場離脱という前科もありますからね。まぁ早く再開しないかなと待ち望んでいる今日この頃です。
というわけで、今日は開戦記念日なんですが、韓国各紙はあまりそのことに触れていません。
韓国軍は初日から負け戦の撤退戦続きでしたから、指揮命令系統がすぐに無くなったので翌月の7月18日には軍事作戦権を国連軍に渡してしまうのですね。
それってつまり、兵力の移動は国連軍(おもに米軍)の命令だけで行われることになったということなのです。命令が米軍から出ますから兵力の配置も損害も戦果もすべて米軍の記録に残ることになったわけです。(勝手に持ち場を離れると抗命罪ね)
それから何年かして休戦になったわけですが、まぁいろいろあったりしたわけですよ。
やがて国連軍も停戦を受けて縮小していくとそのかわりに韓国軍が銃を持って38度線のあたりを守ることになるんですね。
韓国人って血管の中にウソが流れてるでしょ、血管は循環器ですからウソが循環するようになってるんですね。 ところが韓国軍は翌月には指揮命令系統が米軍に移譲されました。さあどうするのでしょうか。
それこそ大動脈から毛細血管まで体じゅうの隅々までウソが行き渡るんですよ。 彼らは本能から〝大活躍した韓国軍〟をいろいろと創作するわけです。
何と、米軍のいないところで〝超時空韓国軍〟の大活躍が創作されちゃうのです。
今日見かけた創作記事①
6・25戦争兜率山戦闘で、人民軍の混乱陥れた「秘密兵器」
済州出身の通信兵が済州語交信... 盗聴されても内容を把握難しく
第二次大戦で米軍通信兵活躍したインディアンナバホー人の事例で着目
http://www.segye.com/newsView/201706250013176・25韓国戦争の真っ最中だった1951年6月弾丸が殺到する熾烈な戦闘で突然済州語が無線交信に乗って行き来した。
「無敵海兵」の神話を創造した中部戦線江原道兜率山高地争奪戦だ。兜率山地区で繰り広げられたこの戦いで海兵隊は敵2個師団を撃退し、デッドロックに陥った味方前線の活路を開拓した。韓国戦争の構図を変えた兜率山戦闘ではまだ広く知られていない「秘密作戦」があった。連帯と大隊などの各通信兵を済州人に置いて、済州語交信できるようにすることだった。済州方言を他の地域出身の味方も聞き分けることができないほどだ人民軍が交信を覗きてみても意味がわからないので、安心して交信することができた。この戦いでは、目の前にある人民軍と肉弾戦が頻繁に行われた。戦闘中トランシーバーを敵に奪われることで、私たち海兵の作戦上の秘密保持が難しくなって将校の悩みが多かった。
当時大隊長だったゴンジョンシク前海兵隊司令官は、2008年3月、国防日報への寄稿文で「数台の無線機を奪われたとして連帯全体の通信機だ変えることができない役割だった」とし「私たちの通信内容をことが広々聞いているという事実を知っていたのみどのようにする方法がない心配が大きい状況だった」と回顧した。実際に尾根に敵観測所に見える怪しい白い建物を戦闘機として爆破くれ米国海兵隊の無を打ったが、白い壁がすぐに黒く塗られて、このような事実を知らない戦闘機が建物を見つけられずただ戻り爆撃が失敗することもあった。普段太平洋戦争史を楽しんで読んだボール前司令官は、太平洋戦争時、同様の境遇に置かれた米軍がインディアン」ナバホ(Navajo)」族の言語をパスワードとして利用していたことを思い出した。1942年から戦争が終わった1945年までに米海兵隊に配置されたナバホ人インディアン400人余りは、彼らだけが理解できる独自の言語を駆使してメッセンジャーの役割を果たした。(海兵隊が戦ったのは太平洋戦線だったので当然のように相手はニホン軍でしょ)済州語交信は、当時のボール大隊長の件で正式に行われた。砲台サポート、兵力移動条件、負傷兵発生事項などすべての交信が済州語大隊から連帯で、年代で代々伝えられた。当時、海兵隊の主軸である海兵3基と4期生3人が皆済州人で済州語会話が可能指揮体系でのメッセージの転送が容易だった。3・4期生のほとんどは、オヒョンゴ・翰林高・済州ノンゴなど高校生学生たちに正規の教育を受けて標準語も話すことができたし、当時としては学歴も高かった。また、愛国心も格別だった。第1連隊1大隊通信兵をしたガンヨンテク(86)氏は、「当時は、済州の人々が他の地域に多く進出していなかったうえに、TVなどのメディアがなくて済州語を生まれて初めて聞くことが多かったという話をたくさん聞いた」と回顧した。
よくありがちなハナシですが完全な創作ですよね、朝鮮戦争の始まる頃の済州島といえば島民虐殺で島民が半分だったわけです、そんなところから逃げ出した在日のひとは多いですよね。その居なくなったところに居着いたのが現在の済州島民を名乗るひとたちですよ。ところが済州島で島民虐殺があったことなんて学校じゃ教えないし、島を乗っ取った勢力が現在の済州島民だなんておおやけに出来るわけ無いですからね。 済州島で韓国軍が海兵隊員を徴兵したなんてハナシがあとからつぎつぎと作られることになったのです。 もちろん済州島民が活躍したなんていうハナシは心地よいんでしょうけどね。
※ニホンでも薩摩弁か何かで交信したというハナシがあったよね
今日見かけた創作記事②
国民募金に導入6・25全長縫っT-6「建国機」
国民と軍の信頼象徴...強い空軍作るという願い込められ、
空軍士官学校空軍博物館「建国機T-6の記憶」特別展
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/06/24/0200000000AKR20170624062400064.HTML1950年6・25戦争が起きたとき大韓民国国軍が保有戦闘機は、「0」のであった。1949年10月に創設当時、韓国空軍が保有している航空機は、L4・L5連絡機が12機とわずかであった。空軍創設9ヶ月ぶりに起きた戦争ではあるが、客観的戦力は劣勢だったが、座って受けることができだけなかった私たちの空軍は永登浦陸軍兵器廠で訓練機の翼に輪を作って15㎏小型爆弾を装着した。※加山雄三主演の〝青島要塞爆撃命令1963〟のヒントを得た創作ですこの訓練機は、1950年6月27日ムンサン、坡州で北朝鮮軍の進撃を遅らせる爆撃任務を遂行した。実戦で韓国空軍が実行された最初の爆撃作戦であった。
これもね、戦後のずいぶん後になって出てきた与太話なんですよ。(初出は1970年代)
んじゃ何? T-6テキサンっていう複座の練習機に15キロ爆弾がね~~ 即席で爆弾を作ってそれを載せて敵陣ですか へぇ~
※L-4とかL-5っていうのは連絡機(副操縦装置が付いてない)つまり訓練飛行には使えない
練習機は汝矣島にあった飛行場に置いてあったそうですが、その後大邱~済州と後退するだけで戦闘に参加したという記録は一切無いそうです。
しかもお笑いなのは 6月26日に韓国空軍のより抜きが10人でニホンまでムスタングP-51を取りに行ってるという創作話まであるのです (もちろんこれもウソだけどね)
関連過去カキコ:韓国空軍の選り抜きのパイロット10人
毛細血管の中にウソの流れている彼らはキタ朝鮮軍に爆弾を落とした前日にニホンまで行ってることになるのです。(当時の韓国空軍の操縦者資格者は開戦当日に10人しかいない)
※ちなみに今日付けのT-6建国機の記事にはムスタング空輸のハナシは一言も出てこないです
とかいうわけなんですが、即席の爆弾をくくりつけて敵情偵察もしないまま「あっちのほう」にいる敵軍に爆撃しちゃうんですか? これね、彼らは揃いもそろってバカなんですよ、
どのルートを通って北朝鮮の戦車がやってきたのか、敵軍がそこまで来ていたことがわかったのは戦後のことなんですね。
それなのに相手もよくわからないところを爆撃しちゃったなんてウソを平気なんですね
ちゃんと偵察して、敵の位置・兵力を知ってから命令を受けて爆撃するという手順が守られていないのです。
李承晩大統領でさえも「ソウル市内にキタ朝鮮の戦車あらわる」なんてことを聞いたら逆上して漢江の鉄橋を爆破する命令を出して逃げちゃったでしょ
ところが新聞では〝大本営発表〟でしたからね しかもその創作記事の中に〝韓国空軍大活躍〟なんていう与太話は出てこないのです これも残念ですね
▲1950年6月26日、京郷新聞は「燦!我軍勇戦に傀儡軍前線で敗走中 」という1面カットのタイトルの下に「三軍一体敗敵猛追、一部は海州市に突入」というタイトルで、国防部報道部発表文を載せた。 ※海州市は現在もキタ朝鮮にある
新聞が当日にウソをついて、10年も過ぎた後にその記事の中から自分のお手柄を次々と競い合って創作したわけです。 ところが米軍の指揮下に入ったあとは記録が残りますから、そこから韓国軍の活躍はバッタリと無くなるという離れ業なんですよ。 すごいでしょ。