韓国政府"'韓国は、中国の一部'の主張に、一顧の価値もない"
トランプ 「習近平に聞いたんだよ、韓国って中国の一部だったそうじゃねえか」
[ワールドミーナ]政府はドナルド・トランプ米大統領が中国の習近平国家主席との韓半島関連の対話内容を伝えたインタビューで、'韓国は中国の一部だった'と言ったのに対して、事実ではない"一顧の価値もない話"と強く反発しました。
外交部当局者は、今日(19日)"報道内容の事実かどうかを離れ、この数千年間、韓中関係の歴史において韓国が中国の一部じゃなかったという点は、国際社会が認める明白な歴史的事実であり、誰も否定できないだろう"と明らかにしました。
トランプ大統領はウォールストリートジャーナル(WSJ)の去る12日のインタビューで 「習主席が(6~7日、米国で開かれた首脳会談で)中国と韓半島、北朝鮮や韓国(Korea)歴史について語った。 数千年の歴史と多くの戦争について。 韓国は、実は中国の一部だった」と述べたことが明らかに確認されました。
習主席が実際に米中首脳会談の時にトランプ大統領にこのように言ったのか、それともトランプ大統領が誤解したり聞いたりしたことを誇張して言ったのか、あるいは通訳のミスなのかなどは確認されませんでした。
(翻訳/みそっち)
これはねぇニホンに編入されたことはあったけど中国の一部だったことは無いんじゃないでしょうか。ただ外交権が無かったり、敗戦国の扱いで19世紀末まで属国だったというのは事実ですよ。
属国っていうのが英語圏の判断だと宗主国の国土の一部であり、特亜では完全なる独立国家だというふうに考え分けているということだと思うのです。
あのほれ、アメリカが朝鮮と国交を結ぼうとした時(1882年)に、時の朝鮮王だった高宗は「中国に聞いてくれ」って外交権を放り投げたでしょ。それって李鴻章とかのハナシですね
李鴻章という中国の将軍がいますよね、日清戦争(1895年)で負けたひとですが、これの子分だったのに袁世凱という、のちの中華民国の何代目かの代表になったひとがいます。なんで中国の将軍のハナシなのかというと日清戦争までは朝鮮は中国清の海外領土のようなものでしたから、袁世凱のような科挙崩れの俄軍人が朝鮮に進駐していたのです。のちに有名になる袁世凱は1859年生まれですが、彼が朝鮮にやってきたのは壬午の変(壬午事変)・甲申の変(甲申政変)のころです。何とこのときの袁世凱は23歳ですよ。それが興宣大院君や閔妃のところに取り入って日清戦争のころまで朝鮮で王よりも偉いとしてニホンとの交渉でも大活躍するわけなんですが、それはまた別の機会にするとして。では当時の中国からやってきたこのような偉い人たちはどこに住んでいたのかというと、これが迎恩門に隣接して建てられた慕華館だそうです、なんでそこなの?という疑問には迎恩門が正式な朝鮮の正門だったからというのが答えです。だから当時の朝鮮人は日清戦争のあとになってあそこに独立門っていうものを建てたのです。※日清戦争後でも中国の商人らは朝鮮半島にたくさんいました
これね、トランプ大統領が安倍首相に「お前んとこ昔 併合してたんだろ、何とか面倒見てやれよ」なんて言い出すのと同じことですよ。 願い下げという言葉はこういうときに使うんです。
ニホンの一部だったことなんて無かった歴史ですから