ハングル調理書の中'17世紀、キムチの秘密'
[キムチミーナ]400年前、私たちの先祖たちはどんなキムチを、どんな料理を食べたのか、17世紀韓国の食べ物文化を教えてくれているハングル料理書が発掘されました。
新鮮な茄子を選んで先っちょを切った後、切り目を入れます。
鞘の間に間にニンニクをかけた後の壷に入れて塩水をそそぎます。
そして紫、ケイトウの花びらを入れて色を出します。
※製作例ではナス、あく抜きもしないキムチを塩水で...
1,600年代、白菜や赤唐辛子をキムチの材料につかう前の両班の家で食べたケイトウ枝キムチです。
<インタビュー>イハヨン(キムチ職人):"朝鮮時代の貴族女性たちが料理をするに当たって味と栄養も重要だが、色彩に対する美的感覚がとても優れたようです。"
これまで口だけで言い伝えられていたケイトウキムチが最近、ある研究所が発掘した17世紀のハングル調理書を通じて知られるようになったのです。
忠清道両班の家の嫁である海州(ヘジュ)崔氏が1660年生涯を終える前書いたもので、これまでに最初のハングル料理お互い知られた”飮食知味方”よりも少なくとも10年以上先行しています。
ケジャンと鶏の煮こみなど17世紀、我々の先祖たちが食べられた20種類の食べ物も収録されています。
※ケジャンはカニを丸ごと醤油に漬けたもの
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ミ( ゚w゚)彡 ケジャン ケジャン
ミ( ゚w゚)彡 ケジャン ケジャン
<インタビュー>パクチェリン(世界キムチ研究所博士):"忠清道地域の飲食文化を含んでいるために、これまで伝統食べ物を研究において主に嶺南地方のものをモデルにしたが、今は均衡を保つことができるようになったというのに、文化的な価値があるわけです。"
'チェさん料理法'は、祭祀やお客さん接待料理が殆どだった朝鮮中期の食べ物の文化を研究するうえで貴重な資料として評価されています。
(翻訳:みそっち)
조청 게젓 백설기 토란김치 가지김치 붕어찜 계란국수 영계찜
水飴 塩辛 蒸し餅 里芋キムチ ナスのキムチ フナ蒸し物 卵にゅうめん 若鶏蒸し物
※ここに書かれているキムチは沈菜(キムチェ)のこと、拡大解釈すれば全てキムチ
ハングルで書かれた最初の料理百科書?
いえいえ、文字を書けたのがごく一部の良民だけだったことならよく知っていますが
えええとですね、まず近代の白菜は20世紀になってから品種改良された結球白菜なのですが、韓国では朝鮮時代から結球白菜があったとしてこれを使っています、唐辛子も超時空太閤ヒデヨシの時代になって半島に伝来しました。
とにかく韓国では間違ったことを延々と宣伝し続けています。
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無理に宣伝されたキムジャン(キムチの漬込み)文化
朝鮮時代のキムチ漬けの写真からみるキムジャン文化の大嘘
(ホントはニホン統治時代の記録写真なんだけどね)
キムジャンっていうのは塩漬け白菜に調味液を混ぜること?、それならキムジャンの起源は1970年代ってことになるんだけど。
写真の説明の多くは”朝鮮時代のキムジャン”になっていて、多くの瓶が並んでいることから”金持ちの屋敷”での撮影であるとか”白菜キムチは朝鮮時代から食べられていた”などといった与太付いた説明がついていることが多いようだ。
▲大小の瓶が並ぶ手前側ではどのようにも説明のできる作業が行われている
多分、洗濯をしているようには見えないだろうが、”キムジャン”の真っ最中だとしても薬味をこれだけ並べていたのでは”非能率的”にしか見えないのだ
この写真に登場している女性たちは何者なのだろうか?、この写真にウソは無いのだろうか。
▲1930年代に朝鮮の風俗を記録した写真に登場するキムジャンのようす
まずこの写真を撮影した場所について見てみよう、お堂のように見える建物の境内とでも言うような場所なのである。すくなくとも人が生活する住まいでは無いようだ。
建物の脇では子供がこちらをみている、そして漆喰で固められた石塀の前に大小の瓶が無造作に並んでいる。
個人の住居としては大きな方だが女性ばかりの使用人が主人家の分のキムチを漬けているとでも言いたそうな構図となっている。
※朝鮮時代には使用人のいる金持ちの家などは存在していない、(貨幣自体が無い)奴婢は勝手に好きなところに住み、少数の両斑身分でも使用人は置かずに質素な暮らしをしていた。
▲記録用として撮影されたキムチを漬けている光景はこの他にも数種類のシーンがある、実はこれらの写真は”朝鮮風俗”を記録した絵葉書に使われたものだ。
ニホン統治時代になり朝鮮半島では衛生面でも格段の改善が行われたが、数次にわたるコレラ患者などの多発と風土病の蔓延により朝鮮半島に渡るニホン人はほとんどいなかったとされる。そんな朝鮮の惨状を広く知らせるために撮影班が組織され、~1930年頃までに、現在に残るこれら数多くの”朝鮮風俗”が記録された。この時期に”朝鮮人”によって記録されたものはほとんど無い
▲キムチ漬けを朝鮮人に奨励したのはニホン人だということだろうか
これらの写真について解説をしよう 、現在の”キムジャン”との大きな違いがいくつかある。まず、下の写真だとよくわかるが作業台の上に”たらい”に入った材料が並んでいる、小さいのは唐辛子だろうし白いのは塩や米汁かもしれない、その混ぜられた調味液を塩漬けされた白菜にまぶすことが”現在”のキムチ漬け作業だとすればあまりにも手際の悪さだけが目に余る。なにしろザルに上がったものまで後ろにならべているのだ。
写真中央手前側の女性は瓶の中に手をいれていて中に入れる白菜がその左側にあるものだとしよう、これにキムチを漬けたら重さは30キロ近くなるのではないだろうか、これを動かすというのだろうか?
流しの下に置いたぬか床を想像してみて欲しい、あれでさえ一般家庭にあるものなら10キロを超える重さがあるというのに30キロを超えるキムチ瓶を”陽のあたる路地”に並べていたのが”朝鮮時代”だったとでもいうのだろうか。
この瓶がキムチ用、あるいは味噌用だとしてこの大きさから見ると小さいものでも中身が入れば重量は30kgを超えるだろう、大きなものでは200kgをゆうに超える重さになる、特に石塀のそばに置かれた大型の瓶は一段高くなったところに置かれているにもかかわらす小さい瓶は足元に置かれている、中身が入った大きな瓶をわざわざ高いところに上げたりするだろうか。
朝鮮時代には商業というものが存在しなかったので”一般向け小売用キムチ漬け風景”という説明もにわかには信じ難い。ならば”自家消費用”だとしても複数の参加者をあつめて共同作業としてキムチを漬けているという説明にも疑問が出てくる。
”朝鮮時代は女性が共同してひと冬分のキムチを漬ける習慣があった”とでも言い出せば納得がいくというのだろうか?、その移動不能なほどの大きな瓶に漬けた大量のキムチを複数の世帯が分け合って食べていたことにすれば”現在”のキムジャン文化に通じるものがある。>>>>そんな未知の考えからはじまったのが現在の”強制押し付けキムジャン文化”なのではないだろうか。
▲毎年この季節になると”ヤクルトおばさん”がソウル広場で”愛の分かち合いキムジャン”を始める、お年寄りの一人暮らし家庭には10キロものキムチが届けられる、写真はおばあさんの家に上がり込み、口にキムチを押し込む様子
※今年も11月頃にソウル広場で開催されます
石塀のそばに置かれた大きな瓶にキムチが丸々入るとして底のほうのキムチはどのように取り出すのだろうか想像してみて欲しい。
また写真の中には水場が見当たらない、衛生観念の無かった朝鮮時代だったとしても現在ではゴム手袋で完全装備をしての”キムジャン”の日なのにあまりにも無防備なのだ。
朝鮮半島で白菜が栽培されたのは1910年代からであり、現在のキムチの形が完成したのは1930年代だとも言われている。食用として唐辛子が朝鮮半島で大量に栽培され始めたのもそのころである。
ここまで解説したところで写真の隅に”計量秤り”でもあれば笑いものとして魅力があるが、とりあえず今日のところは”朝鮮時代のキムチ漬け写真”はヤラセじゃないのか?というところまででおしまいにしよう。
(テキスト:2ちゃん番長)
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”飮食知味方”:唐辛子が韓国に入る前に作られた書籍なので、 全て唐辛子が入っていない
大ショックですね あひゃひゃっ