軍、'地雷挑発'捜索隊員に武功勲章の上申進めている、足と引き換えに勲章?
負傷して除隊する兵には年金や一時金も支給するし
[ありえないミーナ]この4日、韓国側の非武装地帯(DMZ)で発生した北朝鮮の地雷挑発当時、作戦に投入された捜索隊員8人に褒賞を授与する案が推進される。
陸軍関係者は28日"緊迫した状況を見事に対応した捜索隊員たちに適切な褒賞が行われるように彼らが所属している1軍団が3軍司令部に褒賞を建議した状態だ"と"関連手続きが進行中だ"と明らかにした。
1師団の建議が3軍司令部と陸軍を経て、国防部に上申されれば、国防部は将兵らの公的レベルによって褒賞の種類を審議する。 以降、所管省庁の行政自治部がこれらの褒賞授与の可否を最終決定する。
▲傷の完治とともに軍を除隊することになる、キム・ジョンウォン(23)下士、兵隊ではなく下士官の軍曹ということは職業軍人、この年齢では当然高卒程度、したがって韓国では再就職などは確実にムリ
これらが受賞する褒賞では武功勲章が取り上げられている。
同関係者は"軍の内外で地雷挑発事件中に任務を遂行した隊員たちには武功勲章を与えるようという意見が出ている"と話した。
ただ、"褒賞の高低は国防部の審議が行われたあとに知ることができる"、"建議の段階では勲章の種類を特定することはできない"と説明した。
ただ、軍内では、今回の地雷の爆発で両足と片方の足を失ったハ・ジェホン(21)下士とキム・ジョンウォン(23)下士には、忠武武功勲章(3等級)が、当時、捜索チーム長だったジョン・ギョソン(27)軍曹をはじめ残りの捜索チーム員たちには花郎・仁憲武功勳章(4・5等級)が上申されるものと見ている。
▲ハ・ジェホン(21)下士のお見舞いに来ているのはペク将軍、戦傷者は死ぬまで85万ウォンの年金が出る、ただし海外に移住すると受給資格は無くなる。
彼らが、武功勲章をもらったら、これはDMZ捜索偵察任務の途中で事故などで武功勲章を受ける初の事例となる。
過去には任務遂行中に武功を立てた場合、報国勲章を授与が可能たが、2010年に天安(チョンアン)艦事件以後、叙勲法が改正され、武功勲章授与も可能になった。
(翻訳:みそっち)
えっと、地雷を踏んで足が吹き飛んだら3等勲章、その場にいたら4~5等の勲章ですよ、いちおうもらえる基準はあるらしいですが、”武功勲章”ですから武功が無いとダメなんですよね。
一方的にやられちゃった今回の事故ではいったい誰が武功なのかというあたりが注目されています これつまり的外れってことですよ
戦時又はこれに準ずる緊急事態下での戦闘に参加して明確な武功を立てた者に授与する
・太極(テグク)武功勲章
戦闘に参加して必死の覚悟で非凡な能力を発揮して部隊の勝敗を左右してその功績を国内外的に宣揚するほどの有功者
・乙支(ウルチ)武功勲章
戦闘に参加して、生命の危険と難関を克服して卓越した能力を発揮して作戦を有利に展開その功績を国家的に宣揚するほどの有功者
・忠武武功勲章
戦闘に参加して、生命の危険を冒して重大な任務を成功的に遂行してその功績を、軍内外的に宣揚するほどの有功者
・花郎(ファラン)武功勲章
戦闘に参加して勇敢に献身奮闘して普通以上の能力を発揮多大の戦果を今年その功績がはっきりした功労者
・仁憲武功勲章
戦闘に参加して勇敢に奮闘努力して付与された任務程度以上の能力を発揮その功績がはっきりした功労者
韓国の勲章の歴史は朝鮮戦争の仁川上陸のあとあたりに計画されました。さいしょの武功勲章受賞者はマッカーサー元帥だといううわさもありますがマッカーサーが太極武功勲章を受け取っている写真はありません。
勲章の受賞者の量産は1960年代になると活発化しはじめ、独立運動家やらが我先に名乗り出て早いもの順に勲章がばらまかれたことはよく知られています。最近でも”護国英雄選定”などで遺族などを探して毎月表彰者を選んでいます。
朝鮮戦争で韓国兵は恩給を貰っていない?
韓国兵は朝鮮戦争に参戦していません、したがって”自称朝鮮戦争参戦者”には恩給はありません。
ベトナム戦争の時に恩給法が検討され戦病死者には最低水準での恩給が支払われましたが戦争の途中で恩給の支給は中止されました。
過去カキコから
韓国型報勲文化、乱発どころじゃない
国家有効者特権がいっぱい、減らしたいんだけどね、ものすごい儒教文化
スパイ逮捕、勲章授与~スパイ無罪~~貰ったものは返さないよ
[午後のミーナ]国民として最高の栄誉ともいえる勲章と褒章を受けた人が政府樹立以来、62万人余りに達します。 政権の度に勲・褒章を乱発するようで、価値が落ちたという指摘が多いですが。さらに、過去の人権弾圧事件で拷問捜査に加担した人々まで、勲章を受けたものとKBSの取材結果、明らかになりました。
<レポート>
1986年、令状もなしに保安司に連行されたキムヤンキさん、43日間不法監禁された状態で、スパイ容疑を認めて5年3ヵ月間を刑務所で過ごしました。
<インタビュー>キムヤンキ:"電気拷問も受けて、水拷問も受けて、棒を膝に挟まって曲げもやられて"
キム氏事件は、真実和解委員会の調査で代表的なスパイ操作事件と結論が出ており、最高裁側でも無罪宣告を受けました。ところが、当時、キム氏を捜査した捜査官2人がスパイ逮捕の有功で勲章を受けたことが確認されました。
当時、捜査官は拷問はなかったとしながらも勲章放棄意志を示しました。
<録音>キムヤンキ事件当時、捜査官/音声変調:"(過去の捜査が)正しくないとそれでは勲章について放棄をしなければならないでしょう。"
海外知識人がドイツ東ベルリンを拠点にスパイ活動を行ったという1967年、東ベルリンスパイ団事件当時、23人がスパイ罪などで起訴されたが、スパイ罪で有罪判決を受けた人は1人もいませんでした。 ※東ベルリンで韓国人がスパイ活動をした事件
この事件でも、当時の中央情報部捜査官3人が勲章を受けたことが確認されました。
KBSの取材結果、このように再審などを経て、最高裁判所で無罪が確定された10件のスパイ捏造事件での叙勲を受けた人は計19人と明らかになりました。
彼らが受け取った叙勲は報国勲章と褒章により、関連法によって国家有功者に指定され、報勲給与金などの恩恵を数十年間に受け取ったものと推定されます。
<インタビュー>アン・ビョンウク(元国家情報院、真実委員長):"人権弾圧の結果、その人たちが叙勲を受けたというのを正さなければなければならないので.... 国家報勲処が先頭に立ってその部分を再び調査して叙勲を剥奪しなければならないと思います。"
叙勲法は叙勲の功績でうそが明らかになれば、政府が勲章・褒章をキャンセルするように定められています。
感謝の牌に転落した勲章
歴代大統領は皆、側近らに勲章を授与してきたんです。李明博(イ・ミョンバク)政府では、行政部だけを見た時、いずれも58人の閣僚級人事が勲章を受けたが、退任を8ヵ月後に控えた2012年6月30日、34人が一度に勲章を受けます。
在任1年足らずの長官たちも含まれました。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の時は、いずれも50人、金大中政府の時は77人が長官を経たという理由で、勲章を受けました。
一般公務員は33年以上を公職にあってこそ受ける勲章を政治人や側近出身の長官たちはたったの何ヶ月勤めても勲章を受けたものですが、公平性問題が提起されるところです。
政権別ではどうだったでしょうか。
第6共和国以降に見ると、金泳三(キム・ヨンサム)政権時3万5千件だったものが、金大中政府の時6万件を超えて、李明博(イ・ミョンバク)政府時代は7万5千件で史上最多を記録します。
最近では将校や校長、教頭たちだけを対象に入れていた勲章を副士官、教師、一般国民まで拡大した理由が一番大きいです。
年度別の勲章授与の推移を見ると、2005年1万3千93件、2012年1万6千721件と、緩やかな増加傾向を見せている、昨年の朴槿恵政権はついに2万件を超えました。
なんと1日59人が勲章を受けたわけです。
国家が授与する最高の栄誉である勲章を果たして、資格のある人たちだけを受け入れているでしょうか。政府は、これまで個人情報という理由で叙勲者リストを公開しなかったですが。KBSが最高裁まで行った訴訟の末に叙勲資料を国民に公開するようになりました。
(翻訳:みそっち)
あんまり勲章・褒章関係っていうのは公表されていないのです、国家有効者っていうのが、地下鉄が無料になったり映画館が割引になったりするのはよく知られています
国家有効者関連過去カキコ
ついでだから軍人さんの勲章をちょっと見てみましょう
略章の解説かな? あのほら ゴテゴテつけてるっていうアレね
オリンピックやワールドカップのは会場設営や警備なんかに参加したら貰えるもの
赤十字会員のは玄関に貼ってあるものと同じ意味 6.25 40周年って1990.6.25現在服務中の人が全員貰ったもの 国難克服徽章は全斗煥が配った勲章、国軍創設シリーズも充実しています、30年くらいお勤めしないとね アハハ
この人の経歴やら
金鎭、Kim Kwan-jin、1949年 8月27日〜
1967年:ソウル高校卒業
1972年:陸軍士官学校第28期の学士
1972年 3月:陸軍少尉任官
1983年 4月:15師団50連隊第2大隊長、師団作戦参謀
1990年 9月:首都機械化歩兵師団26期准将
1992年 3月:合同参謀本部軍事戦略課長
1993年12月:大統領秘書派遣勤務
1996年 1月:陸軍訓練司令部の戦闘開発部次長
1996年11月:陸軍本部陸軍参謀総長秘書室長
1998年 4月:陸軍本部企画管理参謀部作戦計画処長
1999年 4月:35師団長
2000年10月:陸軍本部企画管理参謀部長
2002年10月:2軍団長
2004年 5月:合同参謀本部作戦部長
2005年 4月:3軍司令官
2006年11月〜2008年3月:第33代合同参謀本部議長
2008年 4月:陸軍大将予備役編入
2010年12月4日〜2014年6月29日:第43代国防長官
2014年6月1日〜現在:第2代国家安全保障室長
最近では清海部隊派遣とかでも貰えるようです