ひび割れ光化門の扁額、より大きくなって 初公開
新しい看板の写真初公開、職人も新しく変えて
[ソウルミーナ]景福宮の正門である光化門に新たに掛け看板の姿を6日、単独で入手した。文化財庁が景福宮に保管されている新しい扁額は、最終仕上げ作業を控えている。一時的に修理した現在の扁額を交換するために、各分野の職人が製作した新しい看板が公開されるのは初めてである。
新しい扁額は新しい考証に基づいて既存の(横3905㎜、縦1350㎜)より大きくなった横4276㎜、縦1138㎜で製作される。材料は、江原襄陽郡法水峙など伐採した樹齢200年を遥かに越えた赤い皮の松であるアカマツである。
従来は、刻字匠(文字を刻む職人)が扁額制作をひとりでやったが、新しい扁額は木材を伐採して乾燥させた後、扁額枠を製作する各過程に、各分野の職人が参加した。
▲2010年の前回製作作業の様子、重要無形文化財106号刻字匠者オ・オクジン先生(74)が「光化門」の扁額を刻んでいる。今回の扁額刻字はイ・チャンソク刻字匠(63)
字体は、既存のように景福宮改築当時の訓練隊長イム・テヨウンの漢字の楷書体だ。
地色と文字色が確定されると、色を塗り、丹青作業を経れば、朝鮮王朝の正宮である景福宮の顔に掲げられることになる。
文化財庁と専門家たちは、新しい光化門の扁額が早ければ来年上半期に取り付けることができるものとみている。地色、文字色のみ決定されると、仕上げ作業は、それほど難しくないからである。
現在の扁額は、2010年光復節たときに復元されたが、3ヶ月でひびが入り、一部がねじれながら波紋を生んだ。結局当局は、新しい扁額をかけるときまで切れ間を埋めるなど、一時的処方をした今の扁額をかけて置くことにした。
光化門の新しい扁額はとっくに掲げられることがあったが、もとの文字の色考証問題で持ち越されている。当初は今のように白地に黒の文字でする予定だった。現在の扁額は、国立中央博物館、日本の東京大学にそれぞれ所蔵され、1916年頃、1902年頃の扁額姿を根拠にしたものである。ところが、昨年新版が発掘され、色の変更の可能性が大きくなった。1893年9月以前に撮影されたと見られる米国スミソニアン博物館所蔵光化門の写真などが出てきたのだ。これらの材料は、背景よりも文字がより明るく見えるなどの扁額の色が今とは違う。
文化財庁は、今年の業務報告で、「扁額の色確定のための役務を発注し、今年末までに色を決める計画だ」と明らかにした。文化財庁の関係者はこの日、「黒地に白文字、白地に黒の文字、黒・青の背景に金色の文字など、様々な色の科学的な分析を経ること」とし「時間がかかっても議論再発がないように徹底した考証をする」と述べた。(2010年にも同じことを言っている)
この関係者は、「科学的な分析期間等に応じて流動的だが、来年上半期には、新しい扁額がかかることを期待する」と付け加えた。
今回の扁額刻字はイ・チャンソク刻字匠(63・江原道無形文化財16号)が担当した。この刻字匠は「栄光の日だったが、負担も大きかった。文を刻む数ヶ月間、それこそ最善を尽くした」とし「後世に永遠に残ることを願う」と述べた。
光化門は、朝鮮太祖の時1395年、朝鮮王朝の正宮で創建された景福宮の正門であり、南門に立てられた。壬辰倭乱の時、朝鮮人暴徒の手で火に乗ったが、高宗のとき景福宮再建に昔の姿を探そうとした。
1968年の復元をしたが、鉄筋コンクリート構造に加え位置も所定の位置ではなかった。これにより、2010年には埋もれた土台を見つけるなど、復元工事が完了されたが扁額は不良復元されて交換を控えている。
(ソウル/みそっち)
なかなか出来ないとおもったら色が最終決定してないんですね。200年物の赤松だそうですからさぞかし松脂が出そうじゃないですか。 うひうひ
光化門古写真 1926年総督府前から移築されたところ
これね、景福宮の光化門ですよ、ニホン統治時代に移築されたところなんですが、現在の場所から東に100mくらいのところです、橋の下でやっているのはお洗濯なんです。この川は清渓川の上流にあたるところで、現在は暗渠になっていますが、当時の朝鮮婦人はどこでも構わずお洗濯に励んでいたのです。(この下流にも見慣れた洗濯場がある
現実を否定して過去を美化するという習性
事実を否定して自己主張を美化するという習性
またすぐにひび割れが見られますよ