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Channel: minaQのつぶやき 네토미나
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もともと祭祀は、両班(ヤンバン)の義務 なのに

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”茶禮” 朝鮮時代から続く歴史だ vs 40年ほど前に始まった

"朴正熙の時、儒教イデオロギー注入しようとお膳立て基準準則に発表"
せいぜい100年という歴史 ”両班” になりすまそうとして飾り立てる可哀想な韓国人


イメージ 1[ソウルミーナ]肉、卵、イシモチ、スケソウダラ肉、干し魚、ワラビ、キキョウ、モヤシ、ほうれん草、なつめ、栗、リンゴ、梨、甘柿、豆腐、お雑煮餅、薬と、お菓子…。ひと呼吸で全部読むこともできないことだが、この長いリストは韓国消費者団体協議会が毎年祭祀の物価の現況を分析する際に入れる食材だ。言い換えれば、大多数の国民が祭祀の膳を整える時購入する食材リストであるわけだ。
 
イメージ 2このように20余りの材料で食卓の脚が折れるように祭祀の膳を満たすことが先祖に仕える礼(禮)と信じる '高齢者' が多くて、 '母' と '嫁' も名節になると、それこそ腰が曲がっているが、家計はひょろひょろしている。

ここに紅東白西(赤い果物は東、白い果物は西)、棗栗梨枾(なつめ、栗、梨、柿)、左脯右醯(干物は左、甘酒は右)頭東尾西など出所の知らない '規則'は、頭の痛いだけでなく、久しぶりに会った家族・親類同士が争う要因にもなっている。

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▲祝日期間家族間暴力の事例の増加傾向は、警察に寄せられた112番申告現況にも確実に表れている。112番申告件数は、2014年7千737件で、2015年8千491件、昨年は1万622件で30%近く急増した。主な発生原因は飲酒、性格の違い、親の扶養、実家訪問、法事などに分析された。


いざ専門家らは "祭壇はもともと、簡素に設けるもの"と口をそろえている。
成均館(ソンギュングァン)パクグヮンヨン儀礼部長は27日 "忌祭祀膳姿は家の都合がよければ、豪勢に立ち上げることができるが、、祝日茶礼は酒とつまみ、いくつかさえ上げれば伝統祭礼に合う"と話した。

パク儀礼部長は"紅東白西とか棗栗梨姉とかする規則は、朱子家礼同礼書に出てくるのではなく、約40年前から降りてくる民間慣習"と説明した。

チャギョンヒチョンジュデ韓国料理調理学科教授も "過去に比べて家族形態や生活も変わって食べ物文化も変わったので、茶礼文化も変化するしかない"、"'茶礼をどうやって過ごしているか'が重要で、'何を設けたか'は重要ではない"と強調した。

ファン・ギョイク 味のコラムニストは現在通用する祭祀の基準が古い伝統がないと分析する。彼は "もともと祭祀は、両班(ヤンバン)の義務であり、平民たちは、祭祀を務めなかったのに、朝鮮末期に軍役を避けるために、金で両班を買った平民が増え、紅東など民間の慣習が生じた"と説明した。

ファンコラムニストは "決定的に朴正熙(パク・ジョンヒ)政権が儒教イデオロギーを植えようと'家庭儀礼準則' を発表して、祭祀の姿の基準を決めた"、"もともと儒教の礼節には何をおけ、何をおいていけないと言ったことはない。 お雑煮一つだけおいても十分だ"と強調した。

彼は "過去には説に半月ほど遊んだが産業社会に変わり、習慣が途絶えた"、"中国は春節の、日本は祭り(祭り)とし、まだも十日前後を遊ぶ。 私たちが間違っていている。 正月には、老若男女みんなゆっくり休んで遊ばなければならない"と付け加えた。


(翻訳/みそっち)



なにしろどこの誰だかもわからないひとたちがごったがえしている国ですから ”あれも伝統、これも伝統”っと忙しいわけです。
現在見かけるキムチの歴史はせいぜい100年程度ですが、韓国の国民のほとんどが2000年以上前に現在のキムチの原型が完成したぐらいで、世宗大王のころには盛んに食べられていて当然だと考えています。んでもじつはキムチによく見られる結球白菜だってせいぜい100年ていどの歴史しか無い、あたらしい野菜なんですけどね。


守門将というのがソウル観光ではコースになってますよね、大漢門と光化門でやってますが最近になって南大門でもやるようになっています。
そりゃ門があれば門番だっているでしょう、それをソウル市役所の職員が拡大解釈してイギリスの衛兵交代式の要素を取り入れて ”再現”したそうです
朝鮮時代にそんな儀式があったなんてひとことも聞いてませんけどね
崇礼門で門番の儀式が復活

いつの時代の儀式を再現したのですか はい2005年のです

イメージ 1[ソウルミーナ]崇礼門把守儀式復活のニュースが伝えられている中、今日午前から再現行事が行われて、多くの人々の目を虜にした。

23日午前10時からソウル崇礼門では把守儀式を8年ぶりに復活し、月曜日を除いたすべての日に無料で観覧できると伝えられた。
同日、崇礼門では、朝鮮時代の治安を観察する番君たちをそのまま再現し、特別な公演を進行して、多くの市民たちの視線を集めた。

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特に把守は朝鮮時代の軍事組織である一番所属の鄭4品の官職である護軍1人、歩兵3人で構成されており、当時、城門の前で、警戒勤務を立って、治安を察したと伝えられた。

(翻訳協力:2ちゃん番長)


韓国人は嘘を苦にしないわけですが、一般的に私たちが知っている朝鮮時代の崇礼門の姿といえば傾いた屋根と門の前に立ち並ぶ草葺きの小屋であることでしょう。
そのような門が朝晩の時間ごとに鐘を鳴らして開けたり閉めたりしたというファンタジーが創作されたのは2005年のことでした、そして2008年の焼失ですからおよそ8年ぶりに復活したということになります。

ところで、上のGifにあるように崇礼門の表側の敷地で儀式を行っていますよね。あの辺は草葺きの小屋があったところだというのに、現代の韓国人の多くは日帝時代に美しく整備された崇礼門を思い浮かべることで脳内平衡を保っているのです。
韓国人の頭の中には常に理想と事実が同時に存在しているようです。


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草葺きの小屋が建ち並ぶこの場所で朝鮮時代に行われていた伝統行事を復活させて観光行事をやっているというのは随分勇気が必要だと思うよね。


何度でも読み返しておきたい過去カキコ


◇ ◇ ◇


朝鮮時代の写真の多くはニホン人が撮ったものですよ、そうした写真をみると現在の韓国人は捏造だ、恣意的だと騒ぎますが、捏造というのはこういうのを言うわけで


イメージ 4
みなQⒸ

いえいえこれの元写真だって比較的身なりのいい朝鮮婦人を題材にして撮ったものですよ。

現実なんて彼らにはどうでもいいんです、彼らだけ超時空の中で暮らしているのだと考えればすべてが理解できますよ。



イメージ 5




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