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韓国の真珠養殖はどうなっているか

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純粋な韓国産の真珠貝、統営で作る

水産資源研究所”韓国型低温アコヤガイ”開発プロジェクト?
きたない海で育った真珠? 結局金集めの詐欺だったんだけどね
  

  
イメージ 3[金のミーナ・銀のミーナ]統営市山陽邑プンファリの端に位置する慶尚南道水産資源研究所(所長チョン・ジョングン)は、水産種苗生産技術を開発、普及して生産した宗廟を養殖漁業家に分譲してくれるところだ。主力分野は魚類だ。 メバル、ウマヅラハギ、マコガレイ、タラなどが代表的な品種だ。

ところが、昨年5月予想外の研究結果がここで報告された。 純粋な韓国産のアコヤガイの登場が予告されたのだ。
事実、これまで一般人たちが接した大多数の真珠製品は、日本産の真珠貝で生成、加工された製品だった。

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真珠の養殖関連技術開発が皆無だった国内環境に比べて日本の技術力がはるかに高かったため、国内真珠の養殖場では日本産親貝(モペ)をそのまま導入して使用したためだ。
しかし、日本産真珠貝には致命的な欠陥があった。 生存できる温度限界がとても高いという点だった。 アコヤガイは、水温が15℃以下に下がれば、成長を止め、斃死してしまう。


冷たい水温でも生き残る稚貝

真珠貝の養殖場が集中した統営(トンヨン)、巨済(コジェ)沿岸、水温は年中最低11℃に落ちる。関連業界は仕方なく、毎年膨大な費用をかけ、済州道西帰浦近くに設けられた越冬場に移動、冬を過ごしたら再び南海岸に戻るという煩雑さを耐えなければならなかった。

研究所で発掘した韓国産のアコヤガイはこのような限界の要素を完全に克服した。
研究所はこの2005年から2年間、巨済市(キョンサンナムド・コジェシ)イルウン面ハンマー海岸で収集した天然の真珠貝15つを持って'韓国自然産低温アコヤガイ開発'プロジェクトを開始した。
収集された年齢1~2年の小さなもので1年ほど養殖課程を経た後、実戦に投入された。


真珠貝の稚貝を韓国で養殖する

プロジェクトの責任を受け持ったイ・ジョンミ研究士は昨年3月産卵を経て、5千600万匹の幼生を確保した。 この幼生は水温を27℃に維持した研究所の水槽で14~16日間飼育された。
このうち成長度が高い1千600万個あまりを選別、90日余りの間、管理した末に得た幼い真珠貝(稚貝)が4万個だった。

この時が昨年11月、純粋な国内技術で得た韓国産のアコヤガイ稚貝が姿を見せた瞬間だった。そして12月、これらを用いた本格的な越冬実験が始まった。

実験は研究所内室内プールや巨済(コジェ)はんこ屋の近くに指定された自然越冬場0.025haなど2ヵ所でそれぞれの環境による成長も変化を観測する形で進められた。

室内水槽は常時15℃前後の適正水温が維持されるように人為的に調節した反面、屋外越冬場は自然状態で維持した。


室内水槽には別途の栄養塩の供給が難しいため、植物性餌生物を供給した。
この状態を維持し、翌年4月まで5ヵ月間続けられた研究結果は驚くべきものだった。
二ヵ所にあった真珠貝稚貝すべて90%以上生き残った。 特に屋外越冬場の場合、実験3カ月目となった昨年2月、水温が11.7℃まで落ちたが、生存率に影響を及ぼさないことがわかった。

さらに、両側稚貝の健康も(Condition Index、CI)の判定結果、自然状態で成長したものがさらにしっかりしていた。
成長度を示す肥満度も屋外越冬世代稚貝は0.090から'0.093'に高くなっているが、室内プールの稚貝は'0.090'に変化がなかった。

イ・ジョンミ研究士は"今回の研究を通じ、韓国産稚貝は、水温が11℃まで下降しても生存して成長までできることが証明された。 これは韓国産稚貝を使用すれば、統営(トンヨン)など南海岸でも真珠貝の越冬が可能だということを意味する"、と説明した。


11℃で生存した低温真珠貝

慶尚南道水産資源研究所(以下研究所)が主導している今回の研究が支障なく行われる場合、近く、南海沖に特化された'韓国型低温アコヤガイ'が誕生する。
韓国型真珠貝は真珠養殖業界の最も大きな悩みの種の一つである越冬問題をきれいに解決する見通しだ。
真珠養殖業界はこれまで一年、越冬のため、少なくは5千万ウォン、多ければ1億ウォンを経費として支出している。 これは年間生産費用の半分以上を占める。
済州島まで遠征を行かなければならない現実を改善するための試みは以前にも数度あった。
この2000年から4年間越冬試験を経て、2004年慶尚南道の告示で巨済市南部面ガルゴッリ海域に5haの規模の'養殖水産物動植物越冬区域'を指定したが、いざ人漁業者の利用率は低迷した。

日本沿岸の高い水温に適応して13℃を限界だとする日本産の稚貝を使用しなければならなかったため、成長率も生存率が済州越冬場に比べて著しく低かったためだ。
これに対して低水温を耐えることができる韓国型真珠貝の開発は、越冬の問題に対して根本的な代案になるだろうと期待を集めている。


育種研究費、毎年1億ウォン支援されなければ…

当初3か年事業で始まった今回のプロジェクトは今後、2年間の期限を残している。
研究所は、残りの期間のうち、韓国産の種苗生産技術の安定化に力を注ぎ、越冬実験を計画する計画だ。
この期間中に必ず遂行しなければならない課題が優良種苗生産に向けた母親貝の育種だ。 育種研究のためには基本的に遺伝子調査などを経なければならない。
しかし、今の状態では予算の余裕がないことが足がかりだ。 研究所が単独の遂行する課題のために限って研究費がわずか数千万ウォンに過ぎないが、育種開発のためには、今年から1億ウォン程度をさらに投入しなければならない状況だ。
イ・ジョンミ研究士は"今育種を始めれば、2年後3世代まで進化させて100年の歴史を持つ日本の真珠生産技術力に追いつけるようになる。 しかし、今止めば、数十年を後退しなければならない"と強調した。
そして、"続き、韓国の真珠養殖業を復活させるための最初の段階が、今回の研究だ。 研究機関をはじめとし、関連地方自治体でも、もっと関心を持って見守ってほしい"と呼びかけた。


(翻訳:みそっち)




ちょうどね、ブラタモリの伊勢・志摩編をオンデマンド放送で見てたんですよ(じつは違法サイトでみてた。)

そしたらむかし見かけた”韓国産真珠養殖”のハナシを思い出してもう一回探してみたってわけなのです。


真珠養殖協会、輸入産真珠をだまして売って摘発

名品真珠展示館  だまして販売'、また捕まる 相変わらず

イメージ 4[NEWSミーナ](社)韓国真珠養殖協会が輸入産真珠を国内産と騙して販売する警察に摘発された。
統営(トンヨン)警察署は10日、ニホン産海水真珠1千700万ウォン相当をネックレスと指輪などい加工した後に国内産と騙して売った韓国真珠養殖協会代表A氏を検挙したと発表した。
協会は昨年7月から、統営にある名品真珠(チンジュ)展示館を買収して開店し、従来のニホン産を買収し、最近まで4千万ウォン相当を販売した容疑(表示・広告など工程に関する法律違反)を受けている。
また、協会は、統営(トンヨン)産海水真珠を生産して加工しているが、展示館開店を控えて、国内産の真珠が不足して日本産を国内産と共に販売したことが明らかになった。
韓国真珠養殖協会では、昨年9月から韓国産の真珠を多量確保し、現在は国内産の真珠を十分に確保したという。
一方、宝石専門家らは、国内産と日本産海水真珠は技術的に区分が難しく、質的な面で違いはないが、加工過程で品質の差が発生すると明らかにした。


質的な面で違いはないが、加工過程で品質の差が発生する>>>> いえいえ、現在のところ韓国産真珠って無いみたいですよ。


どなたか、”韓国産真珠”をご存知のかたがいらっしゃいましたら情報をお待ちしております。  

すぐに論破してやるけどなっ




イメージ 1

1951年6月19日 真珠を見に来たリッジウェイ司令官夫妻と御木本幸吉


イメージ 2

昭和26年6月21日 早慶戦にリッジウェイ最高司令官夫妻来場 神宮球場

ちょうど停戦協定の交渉がはじまったころで、連合国総司令官マッカーサーはこの年の4月にリッジウェイと交代しています。 でも韓国がイヤイヤしたので朝鮮戦争はこのあとさらに2年も続くことになりました。



◇ ◇ ◇ ◇


ところで、ニホンの掃海部隊が朝鮮戦争でちょっと活躍したというのがちょっと話題になっていたりしています。これは記録上には無かったことになっているんだそうですが、韓国では”そのような事実はなかった妄言だ”としています。そりゃそうですよね、助けられたとあっては立場がありませんから。
でもニホン側では参戦者の証言や作戦に参加した船舶名まで調べ上げて事実だったことを確認していました。

では朝鮮戦争に参戦したという韓国軍の記録はどうなっているでしょうか。じつはこちらも戦後生まれの参戦者による証言があるだけなのです。(アルワケナイダロ)
しかしずいぶん前のことですからね、本人が参戦したと言ってるひとはひとりも残ってないのです。恩給を受け取ってるのもいないし、傷痍軍人さえも一人もいないのですよ。 ※ぺク将軍の部下はひとりも名乗り出ていない

それでも小説のように同時に数箇所で活躍する超時空将軍なんかの自伝(本人が書いたものじゃない)などで事実認定されているのですね。
これらの小説に出てくる参戦将軍らは李承晩の時代に冷遇されていましたが、朴正煕の時代になると急に重用されるようになって海外へ大使などになって出てゆきました。 それはイイんですが、かねてから何度も申し上げているように、”仁川上陸作戦”には韓国軍は参戦したのかというところなのです。

100人に一人徴用したら誰かひとりぐらい記憶してるだろうに
仁川上陸作戦は当然のことですが極秘作戦でした、ですから上陸前の兵隊が作戦を知っていたハズはありません。ところが韓国軍の正式資料では”済州島で海兵隊3000人を仁川上陸作戦のために徴募した”という記録があります。これはこれでおかしいわけですが、済州島って当時の人口は30万人ですからね。

イメージ 5しかも済州島では朝鮮戦争の前には4.3武装蜂起なんてあったのです。そんなところから3000人の兵隊が集まるのかなっていうと疑問ですよね。
つまり上陸作戦に参加したことになった
”韓国海兵隊部隊”は存在していない、あるいは訓練中だったのです。(1950年8月に海兵隊に志願した士官は1952年に初参戦している)


あまりにも有名なヤラセ写真▶
総督府建物のドーム部分を見ればわかるように戦災の被害を修復したあとに海兵隊イベントで撮影されたもの。

撮影時期は停戦後である。


それでも連合国軍側の立場からすれば、韓国軍が先頭にたって戦ってくれていることが、アメリカの国内世論的にも都合がいいわけです。
これは第二次世界大戦を戦ってきたアメリカ民主党が飽きられてきていた時期でもあります。
若いのがたくさん死んだ挙句にキタナイ半島でさらに殺すのかという世論があったころですから、アメリカ受けする韓国人が必要だったのでぺク将軍だったりしたというわけです。つまり”勝ち戦の写真の脇に韓国人”が必要だったから彼が出てきたのですね。

そういうわけで彼は米軍に使われたわけですが、その彼が仁川に降り立ってソウルにたどり着いたのは連合国によるソウル再占領後の9月末なんですね。
これはカメラといっしょにソウルにやってきたのでした。
その当時のぺク将軍といえば、名ばかりの陸軍歩兵第1師団の師団長だそうですが、その第1師団っていうのは実際には存在していません。戦死者も出ていないし彼以外に第1師団で参戦したという兵隊は一人も存在していないのです。

もちろん平壌一番乗りというのもデタラメでしょう。それらしい写真はいくつかあるようですが、肝心な兵隊が一人も名乗り出てこないのです。こちらからも戦死者や戦闘の記録などは見つかっていません。まるで新聞記事の見出しのような活躍ばかりが出てきます。 しかも連合軍配信の記事ですから、海兵隊第1師団陸軍歩兵第1師団がごちゃまぜになって活躍してるのです。それをハングルに訳した記事も今では”漢字混じりハングル”なので一部の研究者以外には読めなくなっています。
※国軍と国連軍が一文字違いで大活躍してる記事はいっぱいある

証拠がなければ探してくるのと、作り出すのではずいぶん違うでしょ。新元素を作り出すのと参戦記録を作り出すというあたりでも”脳内”で完結する作り出し方という点では韓国人ってホントにすごいと思いますよ。






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