韓国型被差別扇動ニュース 修学旅行の費用が負担だ
同じ間取りの住まいなのに収入がそれぞれ違うのは差別だ
100万ウォン台の海外修学旅行…思い出の代わりに'傷'
[ニュースミーナ]ある高等学校がこの前2年生の父兄たちに発送した家庭通信文です。修学旅行計画が書かれているが、カンボジア、中国、白頭山など全て海外旅行です。ところで経費が100万ウォンを超えるため、家庭の状況が難しい学生達は修学旅行を行けない実情です。
学生時代の思い出さえ金がなければ一緒にすることができない現実です。
8月に修学旅行に行くソウルのある高等学校の日程表です。
3泊5日の日程のカンボジア、初日夜に到着して2日目の日は観光、3日目はボランティア活動をします。4日目には現地学校などを訪問した後、帰国する日程だが、費用は122万ウォンです。
やはり環境の整理のようなボランティア活動が含まれた白頭山の日程は124万ウォン、それよりも安いという中国の西安と上海も100万ウォンぐらいします。
国内旅行地は、選択地になくて保護者には費用が大きな負担です。
[保護者:父兄たちの立場ではとても負担じゃないですか。 みんな帯引き締めて子らの塾ビニー何、このようなことのためにも大変ですが。 こんなに高い費用を挙げることが並大抵で、あえてそこ(海外)を行かなければならない必要があるのか。]
この学校は全体360人以上の学生のうち100人程度が今年の修学旅行を行けないが、多くは家庭の状況が難しい学生です。
[学生/8月修学旅行参加:家庭が貧しかったり、それとも片親家庭(子供のうちに行けない友人がいます)。 (修学旅行行けない学生たちは学校で自習をしてるんだと聞いています。]
この子たちには修学旅行は思い出がなく傷になります。
[修学旅行参加できない生徒:(学生は修学旅行行きますか。私はいられない行きます。 高くて。 両親に様子も見せてそれで先に行かないと申し上げました。]
それでも終えたため、悔しさは残ります。
[国内が良いですね。 国内のほうがもっと安くて(一緒に行けますから)。 あの友達の中で私だけ行かないことなのに。]
修学旅行を行く子供たちも訳もなくすまなくます。
[(一緒に行けばいいのに。)わたしもいいと思い、一緒に行ったら。]
外国で修学旅行行く学校は毎年増えている状況、昨年一高等学校は450万ウォンの米国の修学旅行を体験したりもしたが、こんなに高価の修学旅行から帰ってきた学校の平均経費が低廉な国内修学旅行から帰ってきた学校より60倍も高かったです。。
[チェウンスン/真なる教育のための全国父母会会長:修学旅行が教育の延長のためにすべての子どもたちがみんなで行くことができる普遍的な基準を定めて修学旅行地を選ばなければなりません。]
しかし、続けてきた議論にも教育当局は、学校現場が分かってする問題だとし、明確な指針を下していません。
(翻訳:みそっち)
この異常なまでの被差別思考ってよくわかんないですよ、塾にお金がかかるといえば夜10時以降の塾を禁止にしてみたり、学校によって早朝自習時間が早いのは遠くの子にとって差別だから、学校の始業時間を一律に遅くしてみたりですよ。
弁当では格差が出るからって給食にしてみたら、給食費の払えないうちが出てきて給食費を無償化してるのです。大学の初年度納付金が大学によって違うのは差別だとかもう訳がわかんないですね
一昨年のセヲル号の横転沈没事故で死んだ中には檀蜜高校の修学旅行生が多くいたわけですが、これに、経済的理由で参加しなかった子が何人かいました。
命拾いをしたわけですが、同じように命拾いをした、救助された学生とは随分違いのある待遇だったようです。
まず死んだ子の親は保険金が貰えてウハウハでした。救助されて助かった学生の中には親から”なぜ助かったの、あなたが死んでくれればお金になったのに”と言われて精神的ショックを受けたと告白した子もいました。修学旅行に参加できずに助かった学生はというと、同級生が死んだというのはショックだけど海に投げ出されたわけでも無いということでカウンセルは受けられず、教室は死んだ子のためだけに巨大な慰霊場となった関係で、教室のない生徒は10学級分の助かった子とひとまとめにされてしまいました。
学年の人数は1/10になったけど教室がないという生活がずっと続いたようです。
個性とも言うべき顔の造作にも格差があればそこに差別が生まれます。早い段階で算段できる家庭があると思えば、その一方では整形手術を受けられない女子のいる家庭向けに低利で整形手術代を貸すところが現れて、同じ顔を量産してみたりしてるのです。
毎年話題になる警察官の採用試験でも、試験の点数と体力検査の評価の割合が少し変わるとそれだけで大騒ぎするのです。その日まで勉強をしてきたのに体力検査の評価が高まると試験問題に備えてきた受験生が不利を被るというのです。
自分だけは特別だけど、ほかの連中と違うのもヤダという不思議な考え方なのです。
この間の総選挙ではセヌリ党というところが格差と差別の解消という公約を出していました。 実はこれには妙案があって、名門と呼ばれる大学の学生と底辺にある学生位を無差別に入れ替えちゃうという乱暴な方法は現実的ではないが、兵役という誰にも共通する義務を一律の枠組みの中で実施するということで、ある種の公平感があるのではないか>>>こんな意見が出てきちゃうのです。