地下鉄のスクリーンドアに挟まって19歳の作業員が死んだのです その話題から
あの事故'、キム君の母親"名誉の機関士? 絶対嫌だ"
”名誉機関士やんよ” パク・ウォンスン市長の提案を拒否…
"子供二度殺したソウルメトロなんか入社するもんか"
[ソウルミーナ]地下鉄の駅スクリーンドアを整備する途中、事故で死亡した整備会社の職員であるキム某(19)君の母親が、パク・ウォンスンソウル市長による'名誉機関士'の資格を付与するという提案に強く拒否した。
キム君の母親は3日、広津区建国(コングク)大学病院葬儀場の焼香所で記者たちを会って"うちの子供を二度殺したソウルメトロに子供を入社させたくない"と明らかにした。
▲記者会見の発言しているキム君の母親 31日午前、ソウル廣津区の地下鉄2号線の駅で開かれた'九宜駅スクリーンドア事故の原因究明と対策を促す記者会見'で28日、事故で死亡したキム君の母親が発言している。
パク市長は前日の夜、自分のfacebookにキム君の夢が電動車の機関士だったという市民の書き込みを見て"遺族が同意すれば、キム君に名誉機関士資格を付与する"と話した。
故人の母親は"SNSをしないから、事情は知らなかったが、記者から聞いて心臓が崩れるようだった"、唇を噛んだ。
母親は、"うちの子の名誉は回復した"、"国民が一緒に泣いてくれ、市民団体が力を載せてくれたし、国会議員の方が叱責もしてくださって名誉を取り戻した"と話した。
さらに、"あんなに柔らかなわが子を無惨に殺して、汚名まで着せて二度殺したソウルメトロに私の子供の入社させたくない"、"私は韓国国民がくれた名誉を選択する"と、涙を流した。
ソウルメトロは、事故当日、キム君の事故原因を向け、論争が起きたため、以降"事故は、故人の過ちではなく管理とシステムの問題"と謝罪した。
(翻訳:みそっち)
これも量産型被害者生産ですね。 ちなみ”名誉機関士”というのはよくわかんないのですが、鉄道の運転手が災害時などに犠牲的精神で市民を守ったりすると希に与えられることがあるということで 第1号はこんな人でした。
金裁鉉(キム・ジェヒョン) 1923 ~ 1950
韓国戦争の時殉職した鉄道機関士で1923年9月21日、忠清南道論山市で生まれた。
1944年、日帝強占期当時、鉄道局に入社し、大田(テジョン)機関車事務所機関士として働いた。 その1950年韓国戦争が勃発し、一ヶ月も経たない7月19日未明、朝鮮人民軍陸軍に包囲された米陸軍第24歩兵師団長の陸軍少将、ウィリアム・F.ディーン将軍を救出するために、志願して他のふたりの乗務員などと蒸気機関車美香3-129号、石炭車、貨車各1両ずつを連結された列車を運転して米陸軍特攻隊33人と一緒に夕飯6時頃、伊院駅を出発、大田(テジョン)駅に到着した。 しかし、特攻隊員たちが、将軍を発見できる可能性がないと見てまた沃川(オクチョン)駅で後退していた中、細川駅付近細川トンネルで待ち伏せしていた北朝鮮陸軍の集中射撃を受けてほとんどの特攻隊員とともに28歳の若さで殉職した。 特攻隊員たちは、多数の死傷者が出ており、残った乗組員2人のうち1人も銃に迎え、重軽傷を負った。
彼の遺体は同僚たちによって嶺東(ヨンドン)山の下に埋められたが、休戦後、故郷ノンサンに改葬され、1983年鉄道員としては初めてソウル特別市銅雀区銅雀洞国立顕忠院の領官級の墓地に埋葬された。 彼の息子のキムジェグン氏は駅務員として勤務し、外孫の洪星杓(ホン・ソンピョ)氏は2005年、コレイルに入社して大田広域市にある施設装備の事務所で勤務しており、母方の祖父の後を継ぐために2011年、鉄道機関士免許を取った。
2012年に米国防総省から'特別功労勲章'を受けた。 大韓民国でこの賞を受けた人は民間人では唯一である
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ということでしてね、アメリカでは申請すれば審査があって勲章をくれるのですよ。
まぁ軍人のいる国ではよくある話なんですね。
それで”名誉機関士”ですが、アイドル歌手が一日署長をやったりするみたいな感覚で鉄道の運転席に入ることも”名誉機関士”だそうです。 特別に年金が貰えるとかではなさそうですが、事態の拡大を懸念したソウル市では特例をもうけて挟まったキム君の遺族になにかしようとしているみたいです。
よくもまあこんなに集まるよね、っていうくらい行列を作って行進しています。
韓国では学生の本分は勉強ではなく、こうした活動なんですね。